彼と出会ったのは、桜がひらひら舞う頃だった。
着慣れない制服。見慣れない校舎。聞き慣れない人の声。



自己紹介をしろ、と言った担任の先生の言葉に僕は固まっていた。
今日、クラスメイトとなった人たちは一人、また一人と、波のように次々と席を立ち、雄弁に述べていった。
だけど、僕の頭には内容なんて入ってこなかった。

「―っ!…平野っ!」
「は、は、は、はいっ!!」
「ぼーっとするな。お前の番だぞ」
「は、はは、はいっ!!」

ガタ!と勢いよく立つと、どこからかクスクスと忍び笑いが聞こえた。
俯いた顔を上げられず、馬鹿にされている、そう思った。
そこで僕のピークは迎えた。

「ひひ、ひ、ひら、平野っ…ひな、ひ、陽、で、です!」

意を決して自分の名前を言うと、一瞬静まった教室にどっと笑いが溢れた。

「ひひひってなんだよ!」
「なんて、名前?」
「どもりすぎっ」

矢継ぎ早に飛んでくる野次に僕は、さーっと血の気が引いた。


また、僕は同じことを繰り返すんだ。


泣きそうなのを必死で堪え、ただその場が収まるのを待つしかなかった。

―ガタァン!!

それはいきなり轟いた。ピタリと声は止み、無音の教室に地を這うような声が響く。

「うるせーんだよ」

たった一言。
その一言で、僕は救われた気がした。



僕の真後ろの席に彼、松原翔くんはいた。
これが僕たちの出会いだった。




あの入学式の日から、僕は完全に浮いた存在になっていた。
クラスには馴染めず、ただ一人でいた。
目を合わすのは苦手だから、俯いて、話すことはもっと苦手だから、口をきゅっと閉じて、黙々と過ごしていた。



僕には小さい頃から吃音の癖があった。
人より発育が遅かったせいか、両親は同年代の子に追いつくようにと僕を厳しく躾けた。

けれど、何をやってもうまくいかず、それどころか極度の吃音が出だした。
病気なんじゃないかと疑った両親は僕を病院へ連れて行った。
そこで先生は、僕じゃなくて両親に原因があると言った。
それを聞いた両親はそんなはずはないと激怒し、以来、僕には関心を示さなくなった。
二人ともエリートだったから、こんな出来の悪い僕は自分の子どもだと認めたくなかったのだろう。

それでも僕は両親に懸命に話しかけた。
けど、冷たい眼で一瞥するだけで、反応はなかった。
それが怖くて僕は話すということがとても億劫になった。

冷めた眼で見られるのが辛くて、目を合わすことが苦手になった。
いつも俯いて、口を開いてもつっかえた言葉しか出ない僕は、同級生にいじめられた。からかわれたり、時には殴られたり、でもみんな次第に興味が薄れ、今度は無視するようになった。



同級生たちが、毎日笑いあって、楽しそうに日々を過ごしている傍らで、僕はいつもひっそりといた。
家でも学校でも空気のように扱われるのが苦しくて、でも人に触れるのは怖かった。





あの日、松原くんは僕をかばってくれた。
多分、本人はそんなつもりじゃなかったと思うけれど、僕にとっては本当に救いだった。

それにあのせいで、クラスの人たちも近寄りがたいらしく、僕と違った意味で彼は人の輪から外れていた。
すごく申し訳なくて、だからこそ、お礼を言いたかった。

きっとどもってうまくは言えないだろうけど、それでも僕はありがとうって言いたかった。
ここ数日、初々しい空気の教室の隅っこでそんなことを考え、悶々していた。

彼は真後ろの席だからいつでも言えるチャンスはあるのだけれど、長年培った性格のせいか、なかなか言い出すことができなかった。


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