部屋に入っても、僕に構うことなく、松原くんは台所に立ってやかんを火にかけた。
彼の態度に、燃え上がっていた勢いが、小さく萎んだ。
靴は脱いだものの、未だに玄関で帰ろうかどうしようか悩んでいると、座れ、と無表情な彼が言った。
意を決すると、台所を通り抜け、8畳程の部屋の真ん中にある小さなテーブルの前に座った。

よくよく見れば、松原くんの部屋は寂しいくらいにシンプルだった。
ベッドに、小さなテーブル、タンス、テレビ。

そういえば彼がどうして一人暮らしをしているのか知らない。
コト、とテーブルの上に2つマグカップが置かれた。
松原くんは向かい側に腰を下ろして、手前のマグカップを一飲みした。
僕も出されたものを一口飲むと、ふわん、と甘い香りが広がった。

松原くんがココアって、何だか似合わないな。
と、空気にそぐわないことを頭の片隅で考えていた。
話を切り出すタイミングを見計らっていると、松原くんが痺れを切らしたみたいだった。

「…何?」
「…えっ?」
「何か話があるんじゃないのかよ」
「あっあ、う、ん」



そこでまた空気が重くなる。
逃げ出してしまいたくなりそうだけど、



―好きなら「好き」と言えるようになっていてください。



僕は、おもむろに口を開いた。


「あ、あ、あ、あのぼ、ぼ僕は、あの、む、昔、から、ひ、人、人とう、うまく、は、は話せ、な、なくて」
「な、何をや、ややっても、だ、だ、駄目で、か、かわ、変わら、な、きゃ、っておお思って、も」
「け、結局、し、失敗し、して、あ、あ、あの、日も、にゅ、入学、し、式の、日もし、失敗し、して」
「あ、あき、諦めよ、よう、と、し、して、た。で、ででも、ま、まつ、松原く、んが、お、お怒ってく、くれ、くれて」
「ぼ、僕、のためじゃ、なな、ない、のは、わ、わかって、ても、う、うう嬉し、かった」

途切れ途切れの、聞きとりづらい僕の言葉を、松原くんはただ、聞いていた。

「せ、せせ、セックス、は、こ、こわ、怖かった、け、ど、ま、まつ、ばら、く、くんは、ぼ、僕を、へ、変な、ひ人の、め目で、み、み見なかった!」
「か、か風邪、ひひ、引いた、と、ときも、か、かん看病し、して、く、くれた!」
「そ、それ、それ、だ、だけでも、ぼ僕は、し、しあ、幸せ、なき、きも、気持ち、に、な、なった」
「め、め迷惑、って、わ、わか、わかってる、で、も、ぼ、僕、のお、おも思ってる、こ、ここと、き、聞いて、ほ、ほし、ほしく、て」
「ぼ、僕、僕は」

松原くんを見るととても真剣な面持ちだった。

「ぼ、僕は、ま、ま、松原く、くんのこ、ことが、す、…好き」

もう見ることはできないだろうその顔を、目に焼き付けた。




突然、力強いものに締め付けられた。
松原くんに抱きしめられていることをゆっくりと理解した。
どうして。何故。
疑問符は彼の肩口に押しこめられた。

「好きだ」

耳元で囁かれた言葉は、脳に直接響いた。

「俺も、平野が好きだ」

ぶわっと足のつま先から頭のてっぺんまで熱がこみ上げてきた。
目頭がつーんとなって、ぼろぼろと止め処なく涙が零れた。

「お、おい」

松原くんは焦った声で、僕を引き離すと覗き込んできた。
優しく涙を掬ってくれる指に、また涙腺が緩んだ。
僕が泣き止むまで松原くんは、頭を撫でてくれたり、瞼にキスしてくれたりした。

頬も乾いたときに、彼はぽつぽつと話し始めた。

「俺、孤児院育ちなんだ。小さい頃、親が離婚して、母親に引き取られたんだけど、これが酷い女でさ。ガキの俺、放って男ン所行くようになって。ついには帰って来なくなった」

僕は驚きと悲しさで、彼の腕をきゅっと握った。それに気付いた松原くんは、優しく頭を撫でてくれた。

「いわゆる育児放棄ってやつで、金も頼る人も知らない俺は餓死しそうになったんだよ。」

衝撃的な内容に僕はぶる、と体が震えた。

「んで、家賃の催促に来た大家に見つかって、そのまま施設行き。母親がどこに行ったのかは知らねぇ。」

ふ、と松原くんが僕を見下ろすとふんわり笑った。

「お前には、いろいろ酷いこと、言ったな」

僕は目一杯首を横に振った。

「正直、最初は、お前に腹が立ってた。自分は被害者なんだって、面して。誰かが助けてくれるのを待っているように思えて。そんなの他人からすりゃ、どうでもいいことなのに。」

松原くんは、色をなくした目でそう言った。

「でも、お前の一所懸命な姿を見てると、俺は勘違いしてたんだと気付いた。俺は自分のものさしで測ってたんだ。お前にとって話すということは、すごく勇気のいることなんだってわかった。」

僕のことをちゃんと、知ってくれていた。
そう思うと全身が甘く痺れた。



「俺はお前に最低なこといっぱいした。なのに、お前はそれさえも受け入れてくれて、俺は救われた気がしたんだ。そして、どんどんお前―陽のことが」

ちゅ、と軽く口付けられ、好きになった、と松原くんが言った。
だから僕も唇を重ねて、ありがとう、と言った。
松原くんは一瞬目を見開いて、再び、キスをくれた。



「んっ…はっ…う、んっ」


舌を絡ませ、唇を噛んで、唾液を零しても、何度もキスを交わした。



そうして、松原くんに抱きしめられて二人で眠った。



朝、起きたら彼に「おはよう」って言おう。
それから「ありがとう」って、
「大好き」って、伝えよう。



END.

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