空高編


第3章 神子と双子と襲撃



これを、記憶といえばいいのか、思い出といえばいいのか、夢といえばいいのかわからない。
一人泣いている、自分がいた。
ひっくひっくとしゃくりあげて、膝を抱えて泣いている。

「どうした!また泣いているのか?!」

その声と共に、駆け寄って来たのは空色の髪をした少年。
鳥が気持ちよく羽ばたくことが出来そうな青空と同じ色の髪と瞳をした中性的な少年は、くりくりとした大きな瞳で自分の顔を覗き込んでいる。
その顔は、自分の涙のせいで歪んでいて、誰だかわからない。
少年は手を伸ばすと、わしわしと自分の髪をかき乱す。とっさのことに目を丸めると、少年は太陽のように暖かく爛々と輝くような笑みだった。

「ほら、泣くな。一緒に行こう?」

幼い手が差し出される。
その手を握ると、彼は本当に太陽なのではないかという位、暖かい。
そんな、記憶のような思い出のような夢のような、曖昧な光景は、目を閉じればミルクのように白んで消えていった。


第48晶 翼と青烏 其ノ壱


「ぐあっ」

低い唸り声をあげて、無焚の身体はぐしゃりと地面に屈するように崩れ落ちる。
それはまるで王者にひれ伏す下僕のようにも見えた。
泥が口の中へと入り、ぐじゅぐじゅとした不快感が口内に広がって無焚は顔をしかめる。
その顔はまさにそれは苦虫を噛み潰した時のそれに近いものだった。
白刃が無焚の頬に触れ、その頬に赤い線が一本入る。
しかし、無焚の身体は上から巨大な岩で押しつぶされているかのように、指一本動かすことすらままならない。
動きたいのはやまやまだが、動きたくても動けないというものだった。
白刃が一気に振り下ろされた時、勢いよく雨が降り注ぎ、その勢いから刀は青烏の手から手放されて地面へと突き刺さる。

「む、ふん、どのっ…」

翼も唸るように声を発する。
無焚だけでなく、翼も、死燐も、この場にいる誰もが見えない何かに押し潰されるようにして地面に屈していた。
皆で青烏を止めようと、そう言って一時休戦を確定してすぐのこと。
故に何が起きたのかは理解が出来ない。
しかし、一つ理解出来るのは、これが青烏の神業の力であるということだった。
青烏が第八番目の大使者であるとすれば、彼の化身となっている彼は空間を司る神、統青ということになる。
周囲の重力を自在に操る力を持っていれば、このように人々を地面へ強制的に押し潰すことも用意だろう。
先程の物質を吸い込む黒い光も、重力を強く圧縮したもので、光をも引き込む存在なのだとすれば、あの勢いは納得できる。
だからこそ、彼等は青烏への一撃を加えることが出来ず、困惑していた。
身体を動かしたくても重力が強制的に過重されたこの空間ではまともに動かない。羅繻の植物も同じ理由で駄目。無焚の雨は、逆に降り注ぐ重力が加速することで威力を増したが決定打にはまだならない。
それに、雨を霰にして決定打を作ったりすることが出来たとしても、それは青烏だけじゃなく、翼たちにも致命傷を与えかねないので反撃の手段として使うことは出来なかった。
実際、雨だけでも今は体に痛む。

(少しでも、隙を作らなければ…)

そう思うが、明確な手段が浮かばない。
顔に泥を感じながら思考を凝らしても、刀を振ってとにかく物理攻撃をすることしか特技のない今の翼では、身体が動かなければ決定打にはならないのだ。

「こ、れ、どうにか出来ないのかっ…」
「どうにか、し、たいのはっ…や、まやま…だけど、こうも重力の負荷を、つけさせられちゃ…」

翼の問いかけに、雷希も吐き捨てるように答える。
喋る度に、泥の感触が口の中に入って来て気持ち悪い。
自分には泥というものの美味さを感じることは出来ないが、世界の何処かには泥を主食にする者もいるかもしれないと関係のないことまで考えてしまう。
青烏は平然と立っていることから、青烏の周囲は重力が通常ということなのだろうと想像出来た。

「とにかく青烏の動きを一旦止める…で、暴走を止めるぞ。」

無焚はそう言って、身体に力を込める。
赤い羽根が瞬くと、ヒュウ、と風の音が聞こえた。

「己れは天気を操る大使者だ。雨、晴れ、雪、……嵐だって、気象現象の一つだ。風は気圧が高い所から低い所へと流れる…」

風は勢いを増し、青烏の周囲を渦巻く。
ぐるぐると渦巻く風は、まるで竜巻のようだった。
青烏が竜巻の渦に巻き込まれると、翼たちの身体が一気にふわりと軽くなる。
重力の負担が通常に戻っただけだというのに、開放感が尋常ではない。立ち上がると、修院はすぐに右目の眼帯を外した。

「次は、僕の番。」

修院が右目を開くと、その瞳は左目と異なり、まるで時計のようになっていた。
秒針まで細かくあり、かちかちと瞳の中で針が動いている。その針がぐるぐると動くと、修院の身体は素早く駆け、気付けば光を帯びた砂色の羽根が羽ばたき青烏めがけて飛んでいく。
その動きは常人のそれをとうに超えていた。

「修院は、時間を司る大使者です。己の時間を周囲より早めて、行動を早くすることは…負担こそかかりますけれど、造作ではないでしょう。」

そう語る無色の顔は、誇らしげだった。まるで自分のことのように。
修院の刃は青烏の左肩へと入る。
赤い血飛沫が雨のように降り注ぎ、翼の頬を赤く濡らした。
青烏の身体はゆっくりと地面へ落下していき、地面へぶつかる直前に、落下点である地面から生えた巨大な植物が飲み込んだ。

「…流石に死んだら不味いでしょ。」

羅繻の植物がクッションの役割を果たしたようで、その植物の中に飲み込まれた青烏を皆で覗き込むと、血を流し苦しそうにしてこそいるが、なんとか無事というものだった。
息を切らしながら、青烏は翼を睨んでいる。
その瞳は翼だけを見据えていて、他の者たちは眼中に全くないようだ。

「青…、…翼、私です、アエルです、わからないんですか?私だけでなく、無色様や鴈寿様たちにまで手をかけようとして、貴方、一体何をしているのかわかっているんですか?!」

かつての相棒の言葉も、今の青烏には届いていない。
無機質な青色の瞳は、アエルを映そうとしていないのだ。

「つ、ば、さあああああああああああああああ」

青烏は吠えるように唸り声をあげて、両手を持ち上げ翼の細い首を掴む。
翼の身体は地面へと叩きつけられ、その上に、青烏がのしかかる。
青烏の手が、ぎちぎちと翼の首を締め上げていた。
呼吸がままならず、苦しげに、翼は青烏の手を掴むが、それでも動かない。
青烏と翼を慌てて引き離すと、羅繻の植物が青烏の身体に絡みついた。

「はぁっ、ッ、全く…こんな不毛な兄弟喧嘩、早めに終わらせようよ…こんなの、限がないし…」

羅繻は大きく息を吐くと、己の額に巻いている包帯をゆっくりと解く。
紫色の、花のような痣が晒された。

「羅繻、殿…何を……」
「君たち、このままじゃずっと戦い続けるだろうし、知るべきだと思うんだ。君たちが何者なのか。君たちがそれぞれ、何を思って今の道を歩んだか。そして、本来の敵は、誰なのか。」

額は淡い紫色の光を灯す。
そして、その光が強くなると同時に、周囲の光景が白く染まった。

「君たちに、みんなに、見せるよ。僕の力を、大使者と異なる、慾意家としての力を使って。」

 


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