空高編


第3章 神子と双子と襲撃



青烏の動きは、とても軽やかだった。
今までは身体中に鉛をずしりと付けさせられていたが、一気に全て取り除かれたかのような、そんな開放感のある心地よさを想いながら、迷わず刀を振る。
鉄と鉄のぶつかり合う音は、まるで涼やかな風鈴の音と同じように聞こえていて、生まれ変わったような、新しい自分と出会ったような、そんな高揚感を胸に押しとどめ、あくまで冷静に青烏は刃を翼に向けた。
切っ先が、翼の鼻先にぶつかるかぶつからないか程度にまで、刃の距離は近い。
この場で戦うには、少し場所が狭すぎる。
何より、彼の後ろにいる残り数多のせいで彼との斬り合いを妨害されてしまうことになるのは、とても癪であった。
そこで青烏は刀を一度引き、翼の胸倉をつかむと一気に外へと放り投げる。

「翼!」
「翼さん!」

彼の名を呼ぶ声を聞きながら、青烏は外へと歩み出た。
これくらいの事では死なない。唸りながら身体を起こす彼の、澄んだ空色の瞳をじっと見つめる。
同じ色の髪。同じ色の目。
これからは彼ではなく、自分が翼になるのだ。
その決意を胸の中で焔として灯しながら、青烏はその刀を振り下ろした。


第45晶 世界(しあわせ)を掴む


振り下ろされた刃を、なんとか自分の刀で受け止めた翼は、その刃を振り払って青烏と距離を置く。
乱れた鼓動と心を落ち着かせるように大きく息を吸って、そして、吐いた。
どっどっど、と素早く高鳴っていた心音は少しずつ落ち着きを取り戻していき、翼の脳もまた、冷静さを取り戻し始める。
しかしこの程度で諦めていない青烏は、強く握った刀で翼を斬ろうと振るう。そして、翼はそれを受け止めて、弾き返した。

(何かが、違う。)

以前初めて戦った時と、空高青烏の気配はすっかり変わっていた。
あの時の青烏は感情を剥き出して、その激情のままに刀を振るっている印象があり、翼を討とうと執着し、アエルが味方によって刺された時には、明らかに動揺の色を浮かべていたが、今は、その表情というものがない。
当然刀の動きや、刀を握る手の強さから、多少の感情の動きというものは伺うことが出来るが、それでも、翼にとっての青烏は当初と印象が違い過ぎて、まるで全ての感情を根こそぎ奪われたかのようにすら見える。
それ程に、人間としての感情故に生じる動きや気配というものが読み取れず、本来人であればあるはずのクセや規則性というものも感じられない程にその動きは不規則であった。
確実に致命傷を狙ってくる刃を何とか受け止め、弾き返す。
金属のぶつかり合う不愉快な音を聞きながら、翼は目の前にいる少年の瞳を睨む。
光のない瞳はまるで太陽の見えない深海のようにも思えて、そしてたった数週間見なかっただけで彼が此処までの変化を遂げてしまった理由が、羽切にあることは明らかだった。

「青烏っ!」

翼は、青烏の名を、彼の名を、呼ぶ。
しかし自分の名前が今は空高青烏なのだと覚えていない彼にとって、その呼びかけは何の意味も成さず、青烏は顔色を変えずに刀を振るう。
彼の中で、今の自分は空高翼なのだ。
空高青烏なんて人物は、現時点では何処にもいない。誰にも当てはまらない。
翼は自分を翼と思っている。
青烏も自分を翼と思っている。
二人がどのように育ち、どういう関係性を持っていて、どういった経緯で入れ替わるようなことをしていたのか、当事者である二人は知らない。

(きっと、それを知らなければ、俺は、俺達は、前へ進めない。)

そして、空高青烏を取り戻すことは永遠に叶わない。
顔のすれすれを走った刃を、翼は己の刃で弾く。
鈍い金属音が耳に煩い。

「しかし、難しいものだな。」

翼は、青烏を殺せない。
青烏は、翼を殺せる。
殺そうとして来る相手に、殺さないよう戦うということの困難さを、翼は痛感していたのだった。
いっそ自分も殺すつもりで刀を振るえば楽かもしれない。しかし当然ながら、そんな芸当が翼に出来るはずもない。
そもそも翼がそんなことを出来るような人間なのであれば、この場に居る誰もが翼の傍で戦おうとしないだろうし、翼も屋敷の外へ出ることはなかっただろうし、空高翼という人間が今のような形で形成されることもなかっただろう。
気付いたらあがっていた荒い息を、再び深呼吸をしながら整えていく。
汗は額を伝い、頬を伝い、顎を伝った。
そんな汗を拭う余裕すら、翼には与えられていない。

「なぁ、青烏。…いや、翼。」

翼は、青烏のことを、あえて翼と呼ぶ。
そう呼ぶことで、少しでも対話に糸口が見えないかと考えてのことだった。
そして翼の考えは的中していたのか、翼という名前に青烏はピクリと反応をして、眉を動かす。
一瞬の動きも見逃さなかった翼は、畳みかけるように質問を投げかけた。

「何故、俺の命を狙う?何故お前はその刀を握る?何故お前はっ…!」

何故。
彼の存在を知った時から、彼が神の子に成り代わってると知った時から、彼が翼に刃を向けた時から。
溢れる『何故』は収まる所か、溢れ続ける一方で、その疑問は風船の如く大きく大きく膨らんで、今にも割れそうになっていた。
翼は歯を強く噛みしめる。歯と歯がギリギリと軋み合っている厭な音が耳に響くが、そうでもしなければ、翼はこの胸に宿る激情を押し留めることが出来なかった。
彼は、自分の双子の弟らしい。
そうとしか認識出来ない自分に、疑問しか覚えることの出来ない自分に、翼は怒りお覚える他なかった。
もしも記憶があったのであれば、この再会に感慨深いものを感じていたかもしれないし、涙を流していたかもしれないし、けれどそれらは全てたらればの話であり、あり得なかったことを想像しても仕方のないことなのである。
今まで一人っ子として育っていた翼にとって、目の前の少年の認識は自分と瓜二つの自分を殺そうとしている少年としか思えない。
けれど、無焚の言うことが真実なのであれば、彼との関係はただの瓜二つな存在というだけでなければ、血の繋がりが真であれば、自分と彼を引き離し、こういった形で引き合わせた、翼の人生をことごとく狂わせた人間、空高羽切に対しても、怒りを覚える。
翼から雷希を奪い、時間を奪い、自由を奪い、それだけでなく、家族を奪っていたというのだから。

「羽切様が、教えてくれた。空高翼になれば、自由になれると。」

青烏は一歩、足を踏み込む。
異変はその時起きた。
青烏が足を踏み込んだその地面が、微かにめり込んでいたのだ。
翼も現在、この地面にしっかりと足をつけて立っているから、わかる。この地面は一歩踏み込んだ程度で形を歪める程やわらかいものではない。
そして青烏もまた、地面の形を歪める程、体重のある人間でもない。

「私は、何年も、暗闇の中に閉じ込められていた。生きている意味も、其処に居る意味も、何もわからず、今のお前のように何故だ何故だと頭を抱えて生きるしかなかった。」

青烏の足元から、ふわりと淡い青色の光が灯る。その光はゆらりゆらりとまるで燃え盛る炎のように青烏の身体を包み、彼の全身は青色に光り輝く。
またもう一歩、足を踏み込むと、その光は一気に放出され、その時生じた風圧に翼は足をよろめかせた。
青い光は青烏の背中へと集まっていき、形をぐにゃりと歪めていく。
その形はなんと表現すればいいのだろうか、例えるのであれば、まるで羽根のように、その光は形を変えていた。
黒いコートを着ていた服は一変し、真っ白な、衣装をその身に纏う。
何が起こっているのか、理解するのに時間がかかった。
けれども、青烏のこの変貌は、きっと大使者故のものなのだと、自然と理解することは出来て、唖然と見つめている翼を、青烏はじっと見据える。

「だからこそ、お前を殺す。私は私の世界を掴むために、お前の世界を奪う。」

そう言って差し出した青烏の掌には、黒い光が渦巻いていた。

 


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