空高編


第3章 神子と双子と襲撃



翼が去った後も、襖の奥では会話が続いていた。

「そういえば…羽切様、確か今回殲滅する荒雲一族の中に、翼様の弟子である守護役もいますよね?…彼は…」
「例外はない。殺せ。」
「………しかし、翼様にとって、彼は欠かせない存在。…そういった存在を再び失うことで、青烏のことを思い出してしまうのではないでしょうか?」
「奴の記憶操作については問題ない。それで暴れるのであれば、また記憶を書き換えればいい。」

羽切はにやりと口角を持ち上げる。
神の子の記憶を書き換える。
通常であれば、考えられないようなことだ。
ただでさえ非人道的なことなのに、それを世界の象徴である少年に対して行うのだから。

「神の子に余計な感情は不要なのだ。大人しく、彼は自分の役割を全うすればいい。」
「…そのために…………を…失っても、ですか………」
「…これ以上の意見は、私に逆らっていると、解釈するぞ。」
「…申し訳ありません。」

青年は深く頭を下げ、これ以上口を開くことはなかった。


第36晶 翼と雷希 其ノ参


外へ出たことがなくても、道がわからなくても、雷希の居場所を特定する手段がない訳ではなかった。
雷希との会話を思い出す。
幼い少年との、他愛もない話をした二年間。
いつも空高の屋敷へ向かう時、通る道で最近茶屋が出来たと話していた。
暗い中でも、多少の文字は読み取れる。
目を凝らして辺りを見回せば、茶屋の看板と、みたらし団子が名物だと記載された品書きを見つけた。
きっと、雷希が言っていた店は此処のことだ。
みたらしのタレが絶品だと、先日少年は語っていた。
結局、彼とこの店に行くことも、せめて、一緒に団子を屋敷で食べることも、叶わぬ願いとなりそうだけれども。

『でさ、着物屋を曲がった所にデカい桜の木があるんだ。荒雲の家にある桜は、何処の桜よりも鮮やかな色で咲くんだ。…あ、別に死体埋めてるとかそんなんじゃねぇぞ?ま、確かに俺も含めて血の気の多い奴ばっかだから、そんな話が出るんだろうけどさ。』

今の季節では、もう桜は散っているのだろう。
茶屋の奥に見える着物屋を曲がる。
深夜なのが幸いし、人の姿は感じられない。鳥や虫の鳴き声が僅かに聞こえるが、大きく聞こえるのは自分の荒い息だけだ。
無邪気に語る、雷希の顔を思い出す。

『季風地…だっけ。此処よりも、何処よりもずっと、四季が色鮮やかに現れる土地があるんだって。きっと、其処の桜は此処よりもずっと綺麗なんだろうな。…な、師匠、俺が一人前になったら、外に連れて行ってやるから、一緒に行こうぜ。』

優しい子だと、そう思った。
多くの者が荒雲一族を莫迦にした。力だけが取り柄で短気で血の気の多い者達ばかりで、元は同じ空高なのに恥ずかしい、と。
けれど、そんなことはないのだ。
確かに荒雲の者は短気が多いかもしれない。雷希だって、事実、短気だ。
しかし短気だから優しくないのか、人の心がないのかと問われれば、それはイコールではない。
外に出られない自分の為に外の話をしてくれた。
もっと外へ出たい欲求が強くなり、少し、悔しい気持ちをしたこともある。
それでも自分の為に何かをしようとしてくれる彼の心遣いは嬉しかったし、その優しい心と、強い身体で、多くの人を守って欲しい。
だからこそ、生きていて欲しい。

『え、俺の家?…俺はガキん時…つっても今もガキか。もっと小さい頃に両親が死んでるから、さ。今は荒雲一族の土地でも一番ちーせぇ小屋に住まわせてもらってるよ。俺がアンタの守護役に選ばれたのも、身寄りがないから盾として丁度良かったのかもな。…おいおい、そんな顔すんなって。俺、アンタに…師匠に会えて、良かったって、思ってんだから。』

着物屋を曲がったまま真っ直ぐ走り続けると、そこには大きな木がそびえ立っていた。
緑が生い茂っていて、花なんてとっくに散っているが、恐らく雷希が語っていた桜の木は、この木で間違いないだろう。
木の周囲には多くの建物が立っていて、此処が荒雲一族の集落なのだということがわかる。
そうなれば、後は雷希の住んでいる場所だ。
荒雲の中でもあまり良い扱いを受けていないであろう境遇は気の毒だと思うけれども、そのおかげで、雷希の住んでいる場所が“一番小さい小屋”というわかりやすい特徴を備えているので、見つけるのは容易かった。
集落のはずれに近い場所。
古びていて、小さな、辛うじて崩れない程度の造りをしている小屋。
自分が住んでいる場所とは余りにも違い過ぎて、思わず息を飲んだ。

「……雷希、いるか?」

しかし、彼の境遇を嘆いている暇はない。
少しでも、雷希には時間が惜しかった。
古びた扉をノックする。もう深夜だ、彼は眠っているだろうし、だからといって大声を出して大事にしたくもない。
どうするか悩んでいると、古びた扉が少し軋んだ。

「…師匠…?!あ、アンタ、何で此処にっ…」

扉の奥には、雷希の姿があった。
どうやら彼が住んでいたのは、此処で正しかったらしい。良かったのか、悪かったのか、このタイミングでは良かったというべきなのだろうが、もう少し良い環境で暮らしていて欲しかったという面では、悪かった。
本来此処にいるべきではない翼の姿に、雷希は驚愕する。

「アンタ、屋敷から出られないんじゃ…」
「嗚呼、そうだ。俺は屋敷から出られない。出てはいけない。…でも、抜け出した。お前に会う為に。」
「…どうして…」
「…間もなく空高一族が、荒雲、卯雲、卯時の一族を殲滅しに来る。逃げなければ、お前も殺されてしまう。」

翼の言葉に、雷希の赤い瞳が見開く。
怒るだろうか。否定するだろうか。それとも、笑うだろうか。
どんな言葉が来ても、仕方のないことを話している自覚はあった。
でも、雷希の反応はそのどれでもなかった。

「……そうか。」

納得したように小さく呟くと、雷希は部屋の奥へと入って行く。
一体どうしたのかと中を覗き込めば、小屋の奥には、巨大な剣が立て掛けてあった。
雷希は自分の身体よりも大きな剣を背中に背負うと、再び翼の前へと立つ。

「…俺はアンタの言葉を信じるよ。二年しか付き合いはねぇけど、二年も付き合いがある。……悔しいけど、俺が関わって来た人間の中で、一番信頼出来るのは、アンタだ。」
「…ありがとう。…しかし、雷希、その刀は…」
「親父の形見だ。手ぶらで動き回る訳にもいかねぇと思うから、さ。」
「そう、だな。」

二人は小屋から出ると、すぐに集落の外れにある森の中へと身を潜めた。
荒雲はすぐに襲われる。
今街中へと出れば、集落へ向かう空高の者達と鉢合わせる恐れがあったからだ。
それでも森と街側から挟み撃ちをされる恐れがある為、森の中にも長時間は滞在出来ない。
ガサガサと草木をかき分けながら、道なき道を歩く。

「…すまない。」
「何が?」
「…本来であれば、荒雲一族全ての者に、このことを知らせなければいけないのだろう。荒雲だけではなく、卯雲や卯時にも。…しかし…」
「…知らせたとこで、信じる奴は殆どいねぇだろ。アンタの顔知ってるのだって一部だし。」
「しかし…」
「いいから、さっさと逃げるぞ。…一緒に、外に行こう。」
「わかった。…こっちだ。」

翼が先導して、森の中を駆ける。
一度も外に出たことがないにしては、あまりにも動きが軽やかで、森の茂みに慣れていた。

「…なぁ、アンタ、屋敷暮らしの割には森の動きに慣れてるな?」
「お、おかしいか?」
「おかしい、っつーか…まぁ、いいけど。」

翼の困ったような顔を見て、雷希は呆れるように溜息をつく。
通常であれば、実は翼は雷希をおびき寄せていて、この先には空高の者達が待ち受けていると思うだろう。
もしも翼のことを知らなければ、雷希は当然彼を疑うが、彼はそれが出来る程器用ではないのだ。
外に出たことがないのも、森が初めてなのも、彼の言葉は全て真だろう。
けれど、強い違和感が感じられるのは…気のせいではない。

(本当は出たことあるんじゃねぇのか…コイツが覚えてないだけで…否、でもまさか…)

考えに試行を巡らせていると、ゴロゴロを唸る雷の音が響き渡る。
この雷の音は、…自然のものではない。

「雷希!!伏せろ!!!」

翼が叫ぶとともに、雷希の身体は一瞬宙に浮き、そして地面へと転がった。
仰向けになるような形で地面を転がった雷希の視界に映ったのは、白い稲妻。
それが雷希の頭上を走っていたのだ。
もしも翼が雷希の身体を倒さなければ、今頃はあの稲妻で丸焼きだっただろう。

「雷希、平気か?!」
「俺はっ…でも、師匠は…」
「俺は平気だっ!思ったよりも早い…早く行くぞっ…!!」

雷希の腕をぐいっと引っ張ると、翼は駆け出した。
自分たちの足音の他にも、複数の足音が聞こえる。
翼と雷希を追っているというのは、もはや明確であった。
再びあの稲妻が放たれ、しかも体に直接受けてしまったら、命の保証はともかくとして、身動きが困難となるだろう。
そうなってしまえば捕まり、どちらにしろ、殺される。

「…でも…あの稲妻……一体何なんだ…?!」

空は雲一つない星空が広がっていて、雷雲なんて出ていない。そもそも稲妻は横から飛んで来たのだから、自然のものではないことは明確だ。
今振り返れば、雷を操る使者の仕業であったのだが、当時の翼は何らかの技術を用いて、人工的に雷を発したのかもしれないと、そう思っていた。
足音はどんどん近付いていく。
いくら育ちざかりといえ、子供の足よりも鍛えられた大人たちの足の方が、ずっと早いということなのだろう。

「見つけた!!!」

男の低い声が響く。
鋭利な刃が翼の頬を霞めた。

「師匠っ!!!!」

雷希の叫び声が響く。
翼はバランスを崩して、転ぶように倒れこんだ。
追いついて来た男の顔を睨むようにして見つめる。
月明かりが男の顔を照らしていて、くっきりとその顔を見ることが出来た。そして、その顔を見て、翼は目を見開く。
深い青色の髪。そして、血のように、紅い瞳。

「……荒雲……」

今まで翼たちは、荒雲を殲滅しに来た空高一族が追ってきているのだと思った。
しかし、よく考えれば、夜明け前に殲滅に来ると言っていた空高一族が、すぐに翼たちに追いつくのはあまりにも早すぎるのだ。
追ってきていたのは、空高一族ではない。
追ってきていたのは、荒雲一族だったのだ。

 


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