アルフライラ


Side黒



「たかだか希望のために、未知を選ぶと?とんだ愚か者だな。」

それがお前の答えか。
そう口にしたいのを堪えて、代わりに零れたものがこれであった。
彼に激励の言葉は不要だ。もし彼にかける言葉があるとすれば、悪人相応の悪態だけだろう。

「愚か者はどちらだ!こちらは二対一。形勢不利なのはそちらだ。大人しく降伏したらどうだ?」
「愚か者はどちらだ。……雑魚が一匹二匹、増えたところで、大差はない。」

ノワールは不敵に笑って見せると、マントを翻しながら手に握る剣を振り上げた。
ノワールの剣をとっさに避けたコハクは、腰からノワールのものよりも刀身の細い、極東の国で刀と呼ばれる刃物を抜き取ると、彼に向って突進をした。
突きの一撃。その刃が頬を掠める瞬間に、身体から魔力を放出させて、紫色の稲妻をバチバチという音を立てて弾けさせる。
魔力の電流で彼の身体がのけぞった表紙に、ノワールはその剣を横に振り切る。狙うは首。人間の一番の急所。
この国では殺しても死なない。ならば、遠慮なく殺しにかかっても、問題ないだろう。

「コハク!」

切っ先がコハクの首を裂くその寸前、ノワールの剣はアラジンのそれによって阻まれた。
ギシギシと金属が軋む音が耳に痛い。この金属音は、昔から嫌いだ。人を傷つける音。人を苦しめる音。こんな音が存在するから、人は争い続けるというのに。
しかし。
ノワールはちらりと、アラジンのその体躯を見る。
ブラン=アラジニアという男はこの国に住むただの商人の一人。そう思うに相応しく、彼の身体は、ノワールのような武人として鍛えた男の剣を受け止めるにはか細いものであった。
否、普通の商人の中では鍛えられた方だろう。しかし、その身体は、武人と呼ぶには程遠い。それでも、その剣の扱いは手慣れたものであった。
時が止まった世界ということは、どれだけ鍛えたとしても、筋肉をつけることが不可能な世界でもある。
元から存在する限られた筋肉、限られた身体能力。その限られた資源の中で、統括者として相応しい人間であるために、と鍛え続けていたノワールに匹敵するには、それ相応の鍛錬を続けて来たのだろうということが想像できた。
全ては、自分を倒すため。
もう少し押してみてやってもいいのだが、これ以上の押し合いは互いに体力を消耗するだけ。そう悟ったノワールは、手首を少し捻らせてアラジンの刃の上に、己の刃を滑らせる。
彼の身体を支えていた軸がぶれる。片足が浮かぶ。バランスが、僅かに崩れた。

「千の星。万の星。幾つもの星は天に上る。天から注ぐは光の槍。」

魔術というものは、発動させるにあたり、方法はいくつかある。
まず一つ目は、魔術式を用いたもの。これは魔術をイメージするにあたり、イメージしやすい構築式を書いて発動させるものだ。
実際に書くことで想像力も働くし、中には、落書きのような絵を魔術式にする者だっている。つまり、魔術式は人によって様々だということ。大半は、ゼロから考えるよりも先人の魔術式を真似して行う方が容易なので、そうしているようだけれど。
そしてもう一つ。
詠唱による魔術の発動。実際に呪文を唱え、魔術を発動させる様をイメージさせ、魔術を行使する。
慣れれば魔術の名前だけを。更に上達すれば、詠唱なして行うことすら可能になる、魔術式の上をいく、魔術行使の上位段階。

「シュヴィール・ハラヴ!」

ノワールが叫んだその瞬間、空に散りばめられた星々のような、大昔、夏の夜空に浮かび上がった『天の川』と似たような、幾つもの光が天井を埋め尽くした。


Part23 約束された破壊


「アラジン危ない!」

ぼんやりと、天井を埋め尽くし光の数々を眺めていたアラジンを現実に引き戻したのは、コハクの叫び声であった。
コハクが伸ばした手を見たアラジンは、反射的にその手を伸ばす。伸ばした手をコハクが力強く引っ張れば、二人の身体はごろごろと赤い絨毯の上を転がっていく。
ノワールが発動させた魔術はつい先程までアラジンが立っていた場所へ一気に降り注ぎ、大理石の床を抉り、絨毯を焦がした。
絨毯の一部が焼ける焦げ臭さを感じて、ノワールは眉間にしわを寄せる。殺すつもりはなかった。まずそのことに安堵して、それから、足ぐらいは抉って再起不能にしてやろうと思っていたことがかなわなかった、無傷な様が悔しくて、思わずフン、と鼻を鳴らした。
否、しかし、この床の破壊力からして、命中していればどう考えても足だけでは済まなかったな、と、己の未熟さも反省しつつ。

「……貴様。コハク、といったか。」

ノワールは、アラジンを庇った男、コハクに声をかけた。

ノワールに声をかけられ、コハクは顔を上げる。
コハクの白い喉元に、銀色の切っ先を突きつければ、コハクは、力強い瞳でその刃を手に持つノワールを睨み上げた。
瞳に恐怖は宿っていない。
サトリと異なり、感情を読み取ることは得意とはしないけれど、巨悪に立ち向かおうという強い意思だけは、痛いほど伝わる。
人の意思は、まるで炎だ。
彼の持つ炎は決して大きくない。強くもない。けれど、いくら水をかけたところで、砂をかけたところで、燃え尽きることはないだろう。
故に、聞きたかった。

「何故、この男に従う。何故、皆、この男に付いて行く。貴様とて、この国の恩恵を受けた人間だろう。」

この男は、妻と二人で慎ましやかに暮らしていた。
子を願っていたという。けれどこの国では、その願いは叶わない。夢を諦め一度は嘆いたというけれど、しかし、この国で、二人で寄り添って生きていくと決めた夫婦。
一度はあきらめたというのに。
その炎を灯すことを放棄して、今を生きると、そう決めていたというのに。何故今になって、立ち上がる気になったのか。
アラジンが原因だということはわかり切っている。しかし、アラジン一人のその思いに惹かれたからといって、何故、此処まで踏ん張ることができるのか。心を折らずにいれるのか。
琥珀色の瞳で彼は睨む。強い決意を宿して。

「……希望だからだ。」

そう、答えた。

「アラジンは、僕の、僕たちの希望なんだ。この国は確かに理想的かもしれない。飢えることも老いることもない不老不死の世界は、確かに楽園だろう。けれど、永遠と続く、終わりのない世界なんて、未来のない世界なんて、そんな世界で、希望なんて生み出せない。」

未来を信じる強い意思。希望を想う強い心。それは、未来に在るかもしれない絶望も、嘆きも、悲劇も、全て、全て、その眼に留めていない。
見えているのは明るい未来と希望に満ちた明日のみ。
ノワールは静かに、問いかける。

「未来ならば、希望は生まれると?」
「少なくとも、この世界よりはね。」
「その先に、希望があると、その確信は?」
「確信は、ない。けれど、彼が創り出す未来、その先に……希望があるって、信じているんだ。」

信じている。
たったそれだけで、彼は剣を握るというのか。たったそれだけで、彼は、この国を変えようともがいているというのか。

「希望。か。」

ノワールは、くく、と喉を鳴らして笑う。
希望。なんと美しい言葉。なんと綺麗な言葉。意図せず、口から笑い声が漏れる。世界がそのような優しい言葉で、甘い言葉で、救えるというのなら、こちらとて、このような形で国を救うことはなかったであろうというのに。

「ハハッ……ハハ、ハハハハハハハ。」

笑い声は大きくなる。それは止まることなく、この宮殿内に虚しく響き渡る。
笑い声とは裏腹に、嗚呼、自分はこんな浅ましい笑い方をする男に堕ちてしまったのか、と。他人事のように考える己がいた。

「なんて綺麗事だ。なんて子どもじみた発想なんだ!あまりにもおかしくて腹がよじれそうだ!希望だから、信じているから!それだけで国が変えられると?世界が変えられると?理想大いに結構!だがな、お前たちのその甘さが、全てを滅ぼすと、何故気付かない!」

時間が進み始めれば、この国は滅びる。
これは最後通牒だ。
耳を傾けてくれたなら。滅びるとはどういうことだ、と言ってくれたなら。この国の真相を語ろう。壁の向こう側を語ろう。絶望を語ろう。
しかし、もし、この言葉に耳を傾けないというのなら。
千夜の国を否定するというのなら。

「はあ!」

コハクが、剣を振り上げる。
振り上げられた刃を、自身の剣で受け止めると、ノワールは左足を持ち上げてコハクの胴を勢いよく蹴り飛ばした。
鍛えられていない薄い身体は勢いよく飛ばされて、赤い絨毯の上をごろごろと転がっていく。
お前は足癖が悪い、と、剣の打ち合いをする度にシャマイムに怒られたことをふと、思い出した。

「バラック。」

ノワールは再び呪文を呟く。すると、バチバチバチと弾ける音と共に、頭上に、龍の形をした稲妻が現れた。
龍の稲妻がコハクの元へと飛び込むが、彼は絨毯の上をごろりと一回転し、龍の直撃を免れた。
ぶすぶすと燻ぶった音を立てる、黒く変色した絨毯を横目に見ながら、コハクは剣を力強く握り締めてノワール目掛けて突進をする。
突きつけられた刃をまた受け止めると、ギシギシと金属が軋む耳障りな音が、また、響いた。
突進とは芸がない。そう冷たく言い放つが、コハクはまあまあ、と不敵に笑う。
剣を振り払ったかと思えば、また切りかかって来て、ノワールはそれを受け止めて、その繰り返しだ。その様は、あわよくば命をとりたいという様子ではあるが、どちらかといえばこちらの様子を伺っているようにも見える。
まるで隙を探すかのように。弱点を探すかのように。
弱点なら明白だ。自分の後ろに佇むこの古時計こそが、その心臓だ。そしてその存在には直ぐ、アラジンもコハクも気付くだろう。否、既に気付いているかもしれない。
何故ならば、自分はこの時計の前から一歩も動いていない。時計を背にした状態を維持し続けているのだ。
コハクの後ろで、アラジンは、こちらの様子を伺っている。
時計を破壊するタイミングを、見計らっているのだろう。

「シュヴィール……」
「させない!」

アラジン諸共。唱えようとした詠唱は、コハクの剣に遮られる。
自分よりも体躯は細いと言えど、彼も剣を操る人間の一人。侮れば、すぐにこちらの首が飛ぶ。
迂闊にアラジンには攻撃できない状況。注意が一人の人間に注がれている。
つまり。
隙があるか否かを見計らうならば、それは。今。
そう自覚した刹那。アラジンが走った。己の精一杯、魔力を込めて、威力をあげたその剣を握って。
此処までタイミングよく来るものだろうか。そう思うと、思わず目を見開いてしまう。

「はあああああああああああああああああああああああああああああああ!」

アラジンは声をあげて、剣を振り上げる。
ノワールが守っていた古時計。世界の核。理想郷を創り上げていた原動力。それを、アラジンの剣が、切り裂いた。

「しまっ……!」

しまった。
そう言いそうになった言葉を途中で止める。
そしてノワールは、薄く笑った。その笑いは誰にも気付かれることはなかったし、後世に渡っても、気付かれることはないだろう。
古時計の中から現れた、美しい宝石。アラジンは、呆けた顔で古時計を見つめて、そっと、手を伸ばす。

「これは……」

彼がその宝石に触れたその瞬間。宝石の輝きは翠色のそれへと変わり、辺り一帯を、その光で包み込んだ。

「これで、終わりだ。」

ノワールは聞こえないように、小さく呟く。
もし、この言葉に耳を傾けないというのなら。
千夜の国を否定するというのなら。
この国を、革命者へ差し出そうじゃないか。全ての嘆きと絶望を、引き換えに。

 


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