アルフライラ


Side黒



「最高の魔術師、か。」

ノワールの言葉を聞き、テフィラは思わず、その口元に笑みを浮かべた。浮かべずにはいられなかった。
それはこちらの台詞だと、言ってやりたい。
誰よりも才に愛された、優秀で、誇り高い魔術師。彼なら自身が扱えない魔術すら、この国の為に、最高の魔術として役立ててくれると信じていた。
そして、自分の期待通り、彼は、何十年と、この国を守り続けて来た。
背丈は自分より大きくなった。筋肉もつき、逞しくなった。けれど、テフィラにとってノワール=カンフリエという男は、てふぃてふぃと言いながら、笑顔でついて来た幼子のままで。
弟というものは、何時まで経っても、弟なのだ。

「邪魔をするな!テフィラ=エメット!」

聞き覚えがあるけれど、聞き覚えのない声が、憎悪と共にその炎でテフィラの召喚した木の怪物を焼き払う。
対面する翠の瞳。白い髪。白い服まで同じとは、やはり兄弟というものは、服の趣味も似るものなのだろうか。
それに比べてノワールは、兄である自分の真似なのか、白いマントはよく羽織っていたものの、その下に着る服のセンスといったら、残念なものであった。
そこが、彼の魅力でもあったのだけれど。

「……オズ。僕の弟。出来ることなら、僕は、君と戦うことなんて、したくなかった。」

血の繋がった実の弟と、戦うなんて、望まない。望みたくない。
でも。

「ブラン=アラジニア。そして、オズワルド=エメット。……此処から先には行かせない。この理想郷を、崩す訳にはいかないから。」

可愛い弟を守るためならば。
愛しい理想郷を守るためならば。
自分は、実の弟すら手にかける悪魔となろう。


Part20 少女となった人形


声が止まない。騒ぎは益々、大きくなっていく。
それでも追って来る者がいないのは、シャマイムの部下たちがなんとか引き留めてくれているからだろう。
彼らも優秀な魔術師だ。
付け焼刃で剣を持っただけの国民たちに、彼らが負けるとは思わない。
もしも負ける可能性があるとすれば、自分たちの方だろう。

「ノワール。降ろして。」

胸の中で、声が聞こえて、立ち止まる。
もぞもぞと動くルミエール。彼女を抱く手を放すと、彼女はふわりと宙を舞い、床へと着地した。
彼女は確かに、二足歩行が可能だ。しかし、その背丈はただの人形。歩幅も短く、到底、この場で歩き回ることのできる余裕はない。
それでも彼女は一人で立った。その理由は、語るまでもない。

「私は此処に留まるわ。」

ここに残る。
つまり、これからテフィラの足止めを掻い潜り、現れるであろうアラジンたちを足止めするためのものだ。
駄目だ、と呟くノワールに対し、ルミエールは静かに、首を振る。

「これから来る子たちの中には、きっと、女の子もいるわよ。貴方、女性に手はあげられないでしょう?」
「そういう問題じゃない!そんな小さい身体で……」
「あら、私だって、多少足止めできる程度の魔力はあるわ。確かに、この国の時が再び流れ出した時には、動くだけの魔力はなくなってしまって、事実上死んでしまうかもしれないけれど。」

何故彼女は、平然と、淡々と、そんなことが言えるのだろう。
死ぬかもしれないのに。もう動けなくなるかもしれないのに。ただの人形に戻ってしまうかもしれないのに。
しかし彼女は、怖くないわ、と呟いて、温かな笑顔をノワールに向けた。

「ノワール。私の愛しい子。カンフリエ家に代々伝わる“動く人形”である私に名前を付け、愛してくれた変わり者。私は貴方に会えて幸せだった。貴方に愛されて幸せだった。だから、私は愛した貴方を守るために、此処に立つの。」
「ルミエール……」
「ふふ。貴方と……そうね、シエルぐらいよ。私を連れまわした物好きは。」

一歩、彼女が前へと踏み出す。
このままでは彼女は行ってしまう。そして、自分もまた、行かなければならない。
そう思うと、伝えずにはいられなかった。伝えなければならないような気がした。だから。

「ルミエール!」

ノワールは叫んだ。
彼女が振り向く。絹のような金色の髪を揺らして。大きな翡翠の瞳をきらきらと輝かせて。
そこに立つのは、ノワールにとって、ただの人形なんて言葉で片付けられるものではない。

「愛してる。」

そこに立っているのは、ノワールにとって、姉のようであり、そして、自分のことを支え続けてくれた、掛け替えのない、たった一人の女なのだ。
ルミエールは、ぱちぱちと、何度も目を瞬かせる。
不思議なものを見るように。そう、まるで、幽霊でも見つけたかのような目で、彼女は首を傾げたのだ。

「私は人形よ。」
「知っている。」
「戦乙女がモデルとなった、縁起の悪い由来のものよ。」
「そうか。それは知っていたが知らんな。どうでもいい。」
「この魂だって、人の想いが蓄積されて宿った、仮初のものなのに。」
「仮初だろうと、ルミエールはルミエールだ。」
「ノワール……」
「ルミ。」

ノワールは短く、彼女の愛称を呼ぶ。
彼女の前で膝をつくと、陶器のような白く小さな手を取って、その甲にそっと口付けた。
目を丸める彼女に、ノワールは、わざと不敵に微笑んで見せる。いつも涼しい顔をしている、年上の姉ぶっている彼女に対する小さな反抗。
最初で最後の反抗だ。

「お前が人形だとか、縁起が悪いとか、そんなことはどうでもいい。物心がついた時から、お前はずっとそばにいてくれていた。そばで、支えてくれていた。私にとって、お前は掛け替えのない存在だ。人形だろうと、肉の器を持つ人間だろうと、私はお前を愛している。」
「……いい男になったわね。服のセンスは残念だけど、貴方は間違いなく、いい男よ。」
「そうか。」

そう言って、ノワールは立ち上がる。
名残惜しいが、きっと、もうすぐ時間切れだろう。シャマイムと目を合わせて頷くと、更に先へと。宮殿の奥を目指して足を進める。
その時。

「ノワール。」

ルミエールの声が、響く。
振り返ると、彼女は、笑顔でその場に立っていた。いつも穏やかな顔を浮かべている彼女が、この時ばかりは、蝶と戯れる少女のように、あどけない笑みで、笑ったのだ。
人に恋する少女のように。
そう。
そこに立つ人形は、今、この世界に生きる誰よりも、どんな人間よりも、少女と呼ぶに相応しかった。

「私も大好き。貴方を愛しているわ。ノワール。」

告白の返事。
何十年。何百年と。ずっと、ずっと想い続けた気高く儚い少女の人形。
もっと時間が許されたならば。ふと、心に浮かんだ迷いはすぐさま消し去った。
だって、時間が許されなかったからこそ、限られた時間の中で生きたからこそ、告げることができた想いなのだから。
故に。
ノワールはその少女へ再び背を向けた。
ルミエールもまた、ノワールに対して、背を向ける。これ以上、二人の間で交わす言葉はない。互いにそう告げるように。

「……いつの間にか、男の子から、男になっていたのね。」

パタリと扉が閉じられた音を聞いてから、ルミエールは、そっと呟く。
泣いてばかりだった男の子。どんなに身体を鍛えても、その本質は変わらない。変わっていないと思っていたのに。

「変わっていないところもあるけれど、変わったところも、あったのね。」

人形である自分とは大違い。
否、自分も、もしかしたら、ノワールという男と共にいて、変化をしていたのかもしれない。
だって、以前の自分であれば、恋をするなんてことは、考えられなかったから。

「……アンナ。貴女も、彼に恋をした時は、こんな気持ちだったのかしら。イーファ。貴方も彼女と別れた時は、こんな気持ちだったのかしら。」

顔を上げて、彼女は呟く。
己の魂。その基礎となった、ホムンクルスの魔女の名を。
己の身体。そのモデルとなった、戦乙女と呼ばれた魔女の名を。
どちらも、年端も行かない、ただの子どもであったというのに。
だからこそ、ルミエールは、一つ、興味深いと思っているものがあった。

「……来たわね。」

ぱたぱたぱたと聞こえて来る足音。複数ある足音が、誰のものか、ルミエールは容易に想像できた。
テフィラの魔力は失われていない。
きっと、誰かが残ったのだろう。
二人程、足止め出来れば上場だろうか。
両手を広げる。白く小さい両手から、ふわりふわりと淡く輝く白い光。その光はぐるぐると回転し、その輝きを、より強めた。
光を放つ。
一見すれば、綺麗に見えるただの光は、勢いよく狙いの人物たち目掛けて飛んでいき、柱の一部を、破壊した。
誰か一人ぐらい殺められればよかったのだが、そう簡単にはいかないらしい。

「ノワールの……人形……!」

驚愕の声が、宮殿内に響く。
ただの人形が動いたのだ。誰もが驚くものだろう。人形が元気に動いているというのに、にこにこ笑うのはあの子ぐらいのものなのだから。

「ごめんなさい。本当は、こんなことしたくないの。……でも、これはノワールのため。あの子のため。そして、全ては、この国のためなの。」

全てはこの国のため。
全てはあの子のため。
そして何より。
全ては、あの子を愛する自分のために。

 


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -