アルフライラ


Side黒



「ノワール。こいつら、どうする。」
「…………」

宮殿で縄に縛られた男たちは、満身創痍という言葉が非常によく似合う状態であった。
ノワールに睨まれ、怯え、震える者。不貞腐れたように目を逸らす者。助けてくれ助けてくれと呟き、命乞いをする者。
その中で、唯一、ノワールを睨み返し、力強く、希望を失わずに奮い立っている男がいた。

「ブラン=アラジニア。」

仲間内から、アラジンと呼ばれ、慕われる男。
彼は、この理想郷を暗黒郷と罵った。
未来を歩むことこそが正しいとし、少数派の、この不老不死国家で静かに涙を流し続ける人間に耳を傾けないこの国はおかしいのだ、と。
可笑しなやつだと、思った。
だって、ブラン=アラジニアには、アラジンには、実害がない。
本人は至って普通の青年だ。老いた老人の不便さも、成長しない子どもの不服も、赤子を抱え続ける母の嘆きも、子を成せない夫婦の想いも、彼には何の関係もない。
けれど、彼はその総数派の人間たちの意見を拾い上げて、彼らを救おうと、未来を歩むために、こちらへ牙を向けたのだ。

「未来も、希望も、夢物語だというのに。」

商人として、大人しく、意味もなく、娯楽として、広場で日々布でもなんでも売っていればよかったのに。
仲間たちとビールを飲み、ワインを飲み、どんちゃん騒いで、バカになって過ごしていれば、この世界は楽だというのに。
彼はそれを、否と叫ぶ。
その青さが憎らしく、そして、希望を抱き続けるその目は少し、羨ましくもあった。
未来なんて。希望なんて。見るのは諦めたから。未来を夢見たところで、あったのは、絶望と、死だけだというのに。

「それでも俺は、無駄だとは思わない。お前は、間違っている。シャマイムを利用して、人と人の信頼を出汁にして、俺たちを縛り付けて。これがお前のやり方か!卑怯者!」

どうやらアラジンは、ノワールがシャマイムに指示をして、レジスタンスを作らせて、捕えたのだと勘違いしているらしい。
シャマイムの独断ではあるのだが、まあ、こちらが卑怯者であるのは事実だ。否定する必要もない。ノワールはわざとらしく溜息を吐き、椅子に座っている足を組み直した。

「だから何だ。卑怯者で何が悪い。全ては、この国のためだ。」

ノワールが指をパチンと鳴らせば、彼らを見張る、八人のシャリアフたちがガラガラと音を立ててあるものを床へばら撒いた。
重々しい鎖。皮で出来た鞭。鎌。短剣。鉄球。どれもこれも、人々を痛めつけるに相応しい武器であった。

「レジスタンス共。……それで、その武器で、ブラン=アラジニアを嬲れ。そうすれば、お前たちのことは、不問にしてやる。」
「なっ……!」

アラジンの目が、見開かれる。
普通であれば、彼を信じついて来た仲間たちだ。拷問を恐れ、武器を手に取るなんて、在り得ない。
ただし、それは、普通であれば、の話だ。
彼らは顔を見合わせ、武器を取り、よろよろと、立ち上がる。

「う、そだろ……お前ら……」

信頼というものは、恐怖で簡単に打ち砕かれる。付け焼刃の信頼であれば猶更だ。
お前が信頼を出汁にした、と叫ぶのならば、最後まで、信頼を出汁にしてやろうじゃないか。

「やめろ。おい、待て、待ってくれ……ああああああああああああああああああああああああ!」

ぐしゃりと、嫌な音がした。
一人が鉄球を手に持って、アラジンに向けて、振り下ろした。それに続くかのように、捕えられた何人もが、床に散りばめられた武器を取り、各々、アラジンを痛めつける。
見ていて、痛々しい。
その様を見ながら、ノワールは、顔をしかめた。

「……シャマイム。」
「何?」
「……これが終わったら、サトリを使って、アラジンの記憶を奪え。他の奴らのも、だ。」
「はあ?!それじゃあ、私刑にした意味ないだろう?恐怖を、痛みを与えてこそ、私刑だ。忘れさせたら意味がないだろう?!」
「……恐怖は身体が覚えている。それでいい。本能で逆らってはいけないと刷り込まれていれば、それでいい。ただ、心まで、完全に壊す必要はない。彼らだって、大事な国民なのだから。」

シャマイムは大きく溜息を吐き、髪をかきあげる。
彼のその苛立ちは、ノワールを想ってのものだ。しかし、それでもノワールは、これ以上、この男を絶望させたくはなかった。
身勝手であるとは、承知の上で。

「わかった。……ただし、私が奴を裏切ったという記憶だけは残させてもらうぞ。囚われてからその先。そこから消させてもらおうかな。」
「それでいい。こんな記憶、残っていても悪夢でしかない。」

もし。
もしここで、アラジンの記憶を奪わなかったら。
彼はもしかしたら、また、同じような過ちを犯すということはなかったかもしれない。そもそも、裏切られたという過去があるのだから、もう、人を信じるなんてこと、しなかったかもしれない。
けれどノワールは、アラジンの記憶を奪った。
裏切られた絶望を。

「お前は甘いな、ノワール。……その甘さが、命取りにならないことを願うぞ。私は。」


Part18 崩壊の時:アラジンの演説


「皆は、この国に、何の疑問も抱かないのか?」

時系列は戻り、現在。
宮殿の前でそんな声が響いたのは、広場が賑わう、時刻上は午後、昼時を少し過ぎた頃合いであった。
己の意思を伝えようという確固たる意志の宿った声。
宮殿内にまで届くのだから、広場にいた国民たちの耳には、更に力強く響いたに違いない。ノワールは窓から広場を見る。広場の中心には深緑色の髪を持つ青年、アラジンが立っていた。
あの時と変わりない力強い翠色の瞳で、国民たちを見つめながら、アラジンは、演説をしていたのである。

「この国は理想郷だ。そう思う人も確かにいるかもしれない。俺も、かつてはそう思っていた。……でも、この国で俺たちが何年、何十年、何百年と生きて来て、この国は、良くなったか?」

国民の声が、騒めきが、大きくなる。
この国は良くなったか。アラジンのその問いかけでいえば、答えは、NOだ。良くはなっていない。救いがあるとすれば、悪くなっていないということだけだろう。

「確かに食べることには困らない。飢えることもない。老いることも、死ぬこともない。しかし、逆を言えば、成長することも、若返ることもない。赤子は何十年も赤子のままだし、老人は何十年も、老人のままだ。人が死ぬこともなければ、生まれることはない。未来を創るための子供たちだって、生まれることはない!」

この男はまた、立ち上がったのだ。
今度は一人で。否、この広場に集まった野次馬の中に、本当の仲間が潜んでいるのかもしれない。きっと、この演説で捕らえられるのは承知の上なのだろう。
しかしアラジンは胸を張って、この広場に立っている。
ということは、いるのだ。もし捕えられても、助けてくれる仲間たちが。己が助かるために誰かを傷つけて生き延びるなんて浅ましいことを考えない、本当に信頼に足る仲間たちが。
そう思うと。
不謹慎かもしれないけれど、胸が熱くなるのを、ノワールは感じられずいはいられなかった。

「ノワール!」

シャマイムの声がして、振り向く。
彼もまた、アラジンの演説を耳にしたのだろう。慌てた顔で、こちらへと駆けてきた。

「ノワール。聞いたか、アラジンの演説……」
「嗚呼。まさか、また性懲りもなく、立ち上がるとはな。それほど、やつの意思が強かったということなのだろうが。」
「やっぱり、あの時記憶を消さないで、心をバキバキに折っておくべきだったんだ!……すまない……私も、お前のことを甘いと言いながら、記憶操作を、少し、誤ったかもしれない。」
「いい。気に病むな。……僅かな時とはいえ、お前は、彼と友だったのだろう。否、お前にとっては、未だ、奴は友なのではないか?」
「ノワール!違う!そんな……ことは……」

シャマイムはそう言って、俯く。
ノワールの言葉は、図星なのだろう。
諦めが悪くて真っ直ぐで、己の意思をしっかりと持っていて、迷いがなくて。
ブラン=アラジニアは、ノワールにとって、何処か、親近感を抱かせる人間であった。
そんなアラジンなのだ。シャマイムが、気に入らない訳がない。いくら目的がレジスタンスの一掃だったとはいえ、アラジンの人間性を気に入ってしまったのも、事実の筈だ。
それは、ノワールにとっても同じである。

「意志の強い男は嫌いではない。」

そう言って笑って見せると、シャマイムは顔を赤くして、こら、とノワールを叱った。
本気で叱っている訳ではないということは、見てわかる。

「そんなこと言っている場合か!私は他のシャリアフを動員してアイツを止めて来るから!」
「……わかった。」

シャマイムはそう言って、怒りを露わにした足取りで宮殿の外へと歩いていく。
彼の後ろ姿を見送ってから、ノワールは、ぽつりと、呟いた。

「テフィラ。ルミエール。」

呼ぶと、ルミエールは顔を上げ、呼ばれる気がしていたのであろうテフィラが、ひょっこりとどこからともなく表れた。
二人の顔を交互に見る。そしてノワールは、窓の外で湧き上がる国民たちを見た。

「この都市国家を囲うように壁を造り、閉鎖的な世界で生き続けることが、理想だというのか?!本当の理想郷はそうじゃないだろう?!かつての国を!世界を!再び甦らせ、新しい未来を造る!造り上げたその世界こそが、理想郷になるのではないか?!理想郷は与えられるものではない!自らの手で!造り出すものだ!」

アラジンの言葉は、国民たちの心に刺さる。
彼の真っ直ぐな心は、きっと、国民たちを動かすだろう。

「……この国は、もう、終わりだ。」

ノワールの呟きに、テフィラとルミエールは、動揺することなく、耳を傾けている。

「きっと、国民たちは立ち上がる。この理想郷は、間もなく終わりを迎えるだろう。……無論、私は最期まで足掻く。例え滅びが決まっているとしても、最期の時まで、私は統括者としてこの理想郷を守ろうとするだろう。だが。」
「ノワール。」

そこから先の言葉を、テフィラは遮る。
まるで、それ以上いう必要はない、と、言いたげに。

「僕も、ルミエールも、最期まで君に付いて行くよ。それに、逃げたって、生き残ったって、どうしようもないからね。……僕は君の父に救われた。君の父に命を拾われなければ、僕はとっくに死んでいた。この命は君たち親子のためにある。だから、最期まで、君たちの理想のために、足掻かせてくれ。」
「テフィラ……」
「私も同じ。最期まで貴方の傍にいる。……ノワール。私の愛しい人。私は貴方だけの人形だもの。私も、貴方のために、最期まで。」
「ルミエール……」

視界が滲む。
それと同時に、己の身体は崩れ落ちた。赤い絨毯に膝を付けて。ルミエールを抱きしめて。幼子のように丸まっているノワールの身体を、テフィラは優しく包むように、抱き締めた。
不安だった。
最期は結局、一人ぼっちなのだろう。たった一人で、処刑台に立つことになるだろう。きっとそれは、決定事項だ。そんなことないように足掻こうとしたところで、そういう運命なのだと、きっと、決定付けられている。
でも。それでも。

「ありがとう。」

見捨てられなくてよかった。
最期まで、自分のために、傍にいてくれる人間がいてくれて、よかった。

「最後までついてきてくれて……ありがとう……」

そう言ってノワールは、幼かったあの日のように、涙を流した。

 


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