アルフライラ


Side黒



「ノワール!しっかりしろ!ノワール!」

その声に、ノワールはゆっくりと目を覚ました。どうやら気絶をしていたらしい。
手が熱い。そして痛い。よく見ると、シャマイムがノワールの右手をしっかりと握り続けていた。その手は赤く染まっていて、皮膚が傷ついたが故のものなのだろうと、ぼんやりとした思考で考える。
ノワールが目を覚ましたことに気付いたテフィラが、ノワールへと寄り添って、赤く傷ついた右腕にタオルをかける。
水で湿ったそれは、ひどく染みる。ノワールは思わず、顔をしかめた。

「まずは体温を下げて、安定させよう。それから治癒術をかけるから。……他に異常はない?だいぶ出血したから、治癒しないと。」
「……テフィ、ラ。」

何とか、テフィラの名前を呼ぶ。
声は掠れていて聞き辛いものであったが、テフィラはすぐ気付いて、何かな、と返事を返した。

「国は……どう、なった……?」

それはノワールにとって、一番聞きたいこと。一番聞きたくないこと。
成功しただろうか。失敗しただろうか。上手く行っていて欲しい。でも、そうでなかったら。
急に、弱気になってしまう自分が嫌になる。
ノワールの問いかけを聞いたテフィラは、穏やかな優しい兄の顔を、ノワールに向けた。何故だろう。何時も彼のその顔を見ると、無条件で安心してしまうのだ。
そして、彼が最も望む言葉を、テフィラは紡ぐ。

「成功だ。今、時刻は午前6時。とっくに夜が明けている時間だけれど、この国は、君が術を施した時から変わらない、夜明け前のそれだよ。」

その言葉に、ノワールは、ほっと身体の力を抜いて、思わず、微笑んだ。
術は、成功した。
長年かけて構築した、準備した、この儀式は、成功したのだ。
理想郷が、完成したのだ。


Part16 理想郷:光と闇


アルフライラという国が理想郷へと、不老不死の国家へと変わって、国民たちの戸惑いというものは、避けられないものであった。
感じることのない空腹。老いないからだ。止まり続けた空の時。
シャマイムの部下、その一人であるトワの手により作られた時計のおかげで、時が遮断されたこの世界でも、凡そ、本来の時刻を把握することは出来た。
しかし、それでも、延々とこの夜明け前の空が天を覆っていると、間隔が狂ってしまうものなのだろう。
中には、不安定となる国民も出て来た。
この国は理想郷だというのに。
何故、反感を抱く者がいるのか、その時、ノワールは理解しなかった。理解することが出来なかった。
だって、これが、ノワールにとっての最善だったのだから。

「ノワール。」

或る日。
シャマイムは、国民の一人を捉えて宮殿にやって来た。その国民は、つい最近、子どもが生まれたばかりの若い青年であった。
暴れたのだろう。抵抗したのだろう。身体の所々に切り傷や擦り傷、そして痣が在った。
何故この青年は、こんなにも怪我をしているのだろう。何故この青年は、今、抵抗出来ないよう、鉄で出来た縄で強引に縛られているのだろう。そして何故、シャマイムは、この状態で、この男を此処まで連れて来たのだろう。
ノワールは、首を傾げたい思いでいっぱいだった。
その思いを飲み込んで、態度に出さず、玉座に座り、愛する人形を抱きかかえたまま。

「どうした。」

その言葉だけ、口にした。
顔色を変えることのないノワールに、シャマイムは言葉を続ける。

「この男は、この国がおかしいと言う。生まれて来た娘がいつまでたっても成長しない。言葉を話さない。気が狂ってしまいそうだから、元凶であるお前さえ討てば、と、よからぬことを考えたらしい。」
「……え……」

ノワールの表情が、不安の色を帯びる。
国がおかしい。自分さえ討てば。国民がそんなことを思うなんて、ノワールは思わなかった。思いもしなかった。
だって、赤子が小さいままで、何の問題があるというのだろう。
赤子は小さくて可愛い。永遠に小さくて可愛いままでも、問題なんて、ある訳がないじゃないか。と。
そしてその時、ノワールは、一つの恐怖を抱いた。
国民が、平穏と安寧を願い、守ろうと誓った国民が、自分に敵意を向けているという事実に。
何故理解してくれないのか。何故討とうとするのか。こんなにも、国民たちのことを思っているのに。どうして。
そう思うと、無意識に、震えている自分がいた。
自分を理解してくれない人間。自分を肯定してくれない人間。思えば、そんな人間と対面したのはこの日が初めてであった。

「ノワール。」

シャマイムが静かに、ノワールの名を呼ぶ。
今、自分は一体どんな顔で、シャマイムのことを見ているだろうか。きっと、とても情けなくて、弱々しい顔をしている。
こちらの不安を和らげるように、シャマイムは穏やかな笑みを浮かべると、ノワールを睨んでいる国民の背中を力強く蹴り、バランスを崩した彼の身体を床に寝転がして踏みつけた。
その光景にノワールは目を丸め、玉座から身体を離して立ち上がる。

「シャマイム!やめろ!」

ノワールの静止の声を聞いても、シャマイムはその足を、男から退ける気配はない。
寧ろ、その腰に下げている剣を抜いて、男の首筋へと当てた。冷たい金属が、男の首に食い込んで、力を入れようものなら、このまま首を切り落としてしまいそうな勢いだ。

「シャマイム!」
「なあ、ノワール。お前、独裁者になれ。」
「……え……」

シャマイムの言葉に、ノワールの声は、消え入りそうな、弱々しいものへと変わっていく。
それとは対照的に、シャマイムの表情は、とても、とても穏やかなそれで。

「こういう奴らにはな。お前の想いは届かない。そして、きっと、こういう奴らはどんどん増えていく。そういう奴らを縛るのに一番打って付けなのはな、恐怖と支配だ。」
「ヒイッ……!」

シャマイムが突き立てた剣が、男の肉に食い込み、一本の赤い線を作る。
痛み故か。恐怖故か。はたまたその両方か。シャマイムの足元から、男の情けない悲鳴が、悲痛な叫びが、ノワールの耳に響き、心を刺した。

「頼む……た、助け……助けてくれ……」
「この国は不老不死の国だ。誰も死なない。仮に、コイツの首と胴を切り離したところで、時空の因果がコイツの死を許さない。たちまち首は繋がって、すぐに元通りさ。」
「や、やめろ……シャマイム。なあ……」
「試してやるよ。ノワール。これがお前の作った世界だ。」

グシャ、と、聞き覚えのない、耳障りな音がした。
赤い雫が飛び散って、ノワールの頬を濡らす。生臭い臭いが、つい先日嗅いだばかりの、バケツに並々と満たされていたそれによく似ていた。
ごろごろと、籠から零れ落ちた林檎のように、首は赤い絨毯の上を転がる。
切り口から見えるサーモンピンクの肉がひくりひくりと動いていて、真っ白な骨が、見えて。

「うっっ……」

口元を手で覆い、込み上げてくるものをなんとか抑え込む。
胃が熱くて、口の中に酸味が広がる。目の前に広がる光景は、決して、見ていて気持ちのいいものではない。
けれどノワールは、決して、目の前に転がる遺体のようなものから、目を背けなかった。目を背けてはいけないと、自らを奮い立たせた。
この国を理想郷にするためならば。理想とするものを実現させるためならば。
何でもするという覚悟を持たねばならない。例え、時に誰かを傷つけることになったとしても。
転がる首と胴が、淡い光に包まれる。何処からともなく、チクタクチクタクと、時計の秒針が動く音がしたかと思えば、絨毯を汚していた赤黒い液体は徐々にその場から蒸発するかのように消え、首と胴が、時間を巻き戻すように繋がっていく。
まるで、本来首が繋がっていたという、正しい時間軸に身体を戻すかのように。
男は首が繋がったと同時に、ビクリと身体を痙攣させて、宮殿中に響き渡るような悲鳴をあげた。

「あああああああああああああ!」

その悲鳴に込められた色は、恐怖と怯え。
目に涙を溜めた男は、腰の抜けた情けない身体をずりずりと引きずりながら、逃げようとする。
数歩歩けばいとも簡単に追いついてしまいそうだ。
シャマイムは男を追いかけることなく、ノワールの前へと歩いていくと、先程まで赤黒い液体で汚れていた、シャマイムの剣を差し出す。
次はお前だと、言うかのように。
自らの手で、心を殺せ。非道になれ。残酷になれ。全ては、この国の、ためなのだ。

「……わかった。」

シャマイムから、剣を受け取る。
剣は彼との鍛錬で握り慣れていたはずだというのに、いつもより、その鉄の塊は、ずしりと重く感じられた。
命を弄ぶ罪悪感からだろうか。恐怖で人を支配しようとする愚かさからだろうか。しかし、ノワールはもう覚悟を決めていた。

「愛する我が国民よ。その身体に恐怖を刻みつけろ。そして、この国中に広めるがいい。この国を変えようとしてはならない。外を出ることを望んではいけない。外へ出ようとしてはいけない。時を進めたいと思ってはいけない。時を進めようとしてはいけない。そして。」

にたり、と、笑みを浮かべる。
作った笑み。作られた笑み。人を蔑むように。卑しむように。嘲るように。驕るように。この、愚かな国民を煽り見て。

「その私の意向に逆らってはいけない。と。」

ノワールは、手に持つ剣を、鉄の塊を、勢いよく振り下ろした。

 


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