アルフライラ


Side黒



準備は、整った。
降り注ぐ太陽は突き刺さるように国全体を照らしている。この光が国を包むのも、今日というこの日が最後だろう。
そう思うと、ひどく、感慨深い。
白いマントを身にまとい、気付けばそれが当たり前となったヘアピンで前髪をかきあげ留める。そろそろ下ろしたままでもいいのでは、と、シャマイムには言われたけれど、そうしてしまうと気弱だった自分がまた顔を覗かせそうだったから、願掛けもかねて続行することにした。
それに、この方が、自分が見ている世界がよく見える。
宮殿のバルコニーへと出れば、そこには、数多くの国民が立っていた。
静かにこちらを見る者。驚きで目を丸める者。何が始まるのだろうかと、身内同士で話している者。その様子は様々だ。
しかし、国民全員に共通しているのは、驚愕と戸惑いだ。
ノワールは、二代目統括者として就任して以降、頻繁に国内を歩くことこそあれ、こうして、正式な場に出ることはなかったのだから。
こうして人々の前に立つのは、就任の時以来である。

「ノワール。」

胸に抱く、ルミエールの声が響く。
翠色の宝石で出来た瞳が、穏やかな光を放ちながらノワールのことを見つめていた。
少なからず、こちらのことを案じてくれているのだろう。ノワールは、大丈夫だと頷いた。そして、力強い目で、国民を見据える。
息を大きく吸い込む。
彼らに言うべき言葉はもう、決めていた。

「この国は、今日をもって理想郷へと変わる。国民は飢えることも、朽ちることも、また、それに怯えることもないだろう。この国は豊かさを永遠に保つ、理想郷と化すだろう。」


Part15 理想郷の誕生、その当日。


国民が寝静まった夜。ノワールたちは、宮殿から姿を現した。
宮殿から現れたのは、ノワールとテフィラにシャマイム。そして、シャリアフと称するシャマイムの八人の部下。総勢十一名と、シャマイムの使い魔一匹と、ノワールの肩に乗っているルミエールの一体だ。
その手には各々バケツを持っていて、その中には、赤黒く、生臭い液体がたっぷりと満たされている。
そこから放たれる異臭に顔をしかめる者は、この中にはいない。

「手順は先日伝えた通りだ。各地分かれて、陣を完成させる。夜明け前には完成させるぞ。国民の大半が寝静まっている今のうちに行わねばならないからな。」

ノワールの言葉に一同は頷くと、それぞれ、事前に打ち合わせをした持ち場へと向かう。
彼らの背中を見送ると、ノワールもまた、バケツを抱えて足を進める。

「しかし。自分の血を深夜に国中にばら撒くなんて……こんなことでもないとやりたくないな。」
「あら、でも他のみんなも表情変えずにやってくれているじゃない。」
「それが恥ずかしいんだよ……何年もかけて集めた自分の血なんて……古いのはもう腐っていてもおかしくはないだろう……」
「テフィラが冷凍魔術で冷凍保存していてくれたから大丈夫よ。……たぶん。」

そうであることを祈る。そう呟きながら、ノワールは壁際までたどり着くと、壁に沿って、バケツに満たされている血液をゆっくり垂らしていく。
ぼたぼたと落ちた粘り気のあるそれは砂を赤黒く染めた。
一歩、また一歩進めば、赤黒い線もそれに従って伸びていく。腰をかがめて行うこの作業は、地味に、背中を痛めるから辛い。
一度身体を真っ直ぐに戻して伸びをする。後ろを見れば、まだ赤黒い液体は数メートルしか伸びていないという現実に、溜息をつきそうになった。
ちらりとバケツの中を見れば、血液の量も残り少ない。宮殿にまだいくつか残っているから、また戻って取りに行かねばならない。この繰り返しだ。

「ごめんなさいね。私も、ユラみたいに手伝えればいいのだけれど。」
「構わないさ。話し相手がいるだけでも、気が紛れるから、私はルミエールが傍にいてくれるだけで心強いよ。」

ユラとは、シャマイムが召喚魔術で召喚した使い魔の名だ。
使い魔として別の人格を所有はしているが、つまりのところ、シャマイムの魔力の塊が意思を持った生命体である。
夜闇に映える金色の髪と赤い瞳。ぴょこぴょこと動く獣の耳と尾は愛らしい。今もきっとシャマイムと共に、頑張ってバケツに満たされたノワールの血を、国内に撒いていることだろう。そう思うと少し、良心が痛む。
空を見上げると、闇夜を照らす月の位置が空の中心にまで動いている。このままではあっという間に夜明けだろう。

「急ごうか。」
「そうね。」

ルミエールが答えると、ノワールはバケツが空になるまで進んでから、また宮殿に戻ってバケツの中身を補てんして、空になればまた宮殿へ戻り、この往復作業を繰り返した。
幸いしたのは、この国土の狭さだろう。
血液でぐるりと壁際を一周。そして、バケツを持つことのできる十一名と一匹は各々時計の時刻に値する場所に立ち、中心である宮殿へ向かって真っすぐ血液の線を引いた。
そしてまた、ぐるりと宮殿の周囲を血液の線で囲む。
この一連の作業が終わる頃、真っ暗だった空は夜明け前の白んだ紫色へと変化していた。天に広がる星々は白く輝いているが、真夜中の時と比べると、それは薄っすらと見えるぐらいで弱々しい。
壁から浮かぶ巨大な月と太陽が、互いに睨み合うように、同じ位置に佇んでいる。
日頃、この時間帯は寝床についていたから見ることはなかったけれど、この時間帯の空も、幻想的で、美しい。
もし、時を止めるのであれば、千夜の国の象徴とするのであれば、この空が、最も理想ではないかと、そう、思えた。
つまり、やるなら、今だ。
ノワールは宮殿へ戻ると、宮殿の中心。応接間に設置された大きな古時計の前に立つ。
古びた時計は、時を刻むことはない。
動くことを止めた古時計に触れると、時計は、ノワールの魔力に呼応して、淡い紫色の光に包まれた。

「我が名は、ノワール=カンフリエ。」

小さく呟き、己の魔力を、時計へと注ぐ。
それと同時に、時計から、ゴーン、ゴーンと時刻を告げる時に定番となる鐘の音が響き始めた。この時計に、もう、時を告げる力はないはずなのに。

「全ての災厄。全ての穢れ。全ての怨念。我が国土を侵すものから守護せんと。千夜の時。千夜の安寧。千夜の平穏を与えんと。……主として願う。私は、この国を、守りたい。」

魔術に必要なのは、願い。それが、ノワールの持論であった。
呪文なんて関係ない。魔法陣なんて関係ない。魔術式だって、本当は、関係ない。関係ないのだ。それらはただ、魔術を実現させるためにイメージさせやすいための、ショートカットでしかない。
魔術は術者の魔力さえあれば、後は、想像力と、願いがあれば、どうとでもなる。
この国を守りたい。この国の時を止めて、永遠の平穏と安寧を。そして、この国を。

「我が千夜の国は、理想郷へと、至るもの。」

この国を、どうか、幸せな理想郷へ。
その願いが、ノワールの魔力を通じて、時計に蓄積された膨大な魔力の塊を刺激する。
時計から溢れ出した魔力は宮殿全体へと広がり、宮殿から溢れた魔力は、ノワールの魔力が染み込んだ血液を媒体として、国中へと広がっていく。
身体が熱い。
魔力が国全体へと広がっていく程に、ノワールの身体は、内側から燃えるような、焼けるような、それ程の熱を放っていた。
身体が軋む。ギシギシと、骨が軋むような嫌な音がする。血液の流れが異常なまでに早い。どくんどくんと脈打つそれに、いつか、血管が切れて、身体が風船のように破裂してしまうのではないかという恐怖が襲ってくる。
それだけ、多くの魔力がこの国を包み、そして、ノワールの身体を蝕んでいるのだろう。

「ノワール!」

遠くから、声が聞こえる。
テフィラの声や、シャマイムの声。そして、ルミエールの声だろう。
きっと、彼らが目の当たりにしている光景は、目も当てられないものに違いない。ふと、自分の手を見る。
時計に触れている自身の手は熱で皮膚が赤くなっていた。よく見れば、所々皮がめくれ上がり、血がぽたぽたと滴っている。
嗚呼、通りで痛い訳だ、と、何処か、他人事のように思った。
けれど、この程度の痛みがなんだ。

「私はもう、誰かが死ぬところを見たくない。」

病で侵された父は。母は。もっと苦しかったに違いない。
国民たちだって、もっと、苦しい思いをしてきたに違いない。
誰かが苦しむところを。誰かが死ぬところを。ノワールはもう見たくない。見たくなかったのだ。

「もう誰も、死なせない。死なせたくない。だから。」

身体を支える足に、力を籠める。ぼたぼたと、赤黒いものが零れ落ちた気がするけれど、それを気にするのは、後で良いだろう。

「と、ま、れ……!」

叫ぶ。
喉が熱い。鉄の味が口からする。目が霞む。けれど。けれど、けれど。
この国を、どうか。どうか。どうか。
どうか、幸せな理想郷に。
そう思った刹那、世界は、この国は、真っ白な光に包まれた。

 


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