鐘の音が鳴る前に。


本編



パチパチパチと、炎の弾ける音がする。
炎の海に覆われた屋敷の中で、小鳥遊浮の遺体は、綺麗に整えられたベッドに寝かされていた。
男は、冷たくなった彼の白い頬を撫ぜる。
もう生意気な口をきいてはくれないのか。そう思うと寂しいけれど、この終わりは、彼にとっても、そして、他のどの咎人の中でも、幸せなものだ。その眠りを、妨げてしまう方が心苦しいというもの。
眠る男から顔を上げると、彼を穏やかな顔で見つめる、彼の両親の写真が、炎に飲まれそうになっている。
両親の写真と共に、その部屋に置かれていたはずの、彼の祖父の日記は此処にない。
数刻前に訪れた客人たちが、持ち帰ってしまったのだろうか。

「まあ、あの子にとっても、縁があるからなあ。こいつの祖父は。」

そう呟いて、男は、また、顔をぐるりと動かす。
その視界に収められたのは、古びた大きな古時計。
いっそ、この炎で。彼の亡骸ごと、葬ってやろうと思ったのだろう。彼と共に時を紡いだ古時計を。この物語の全ての元凶を。
男は、にやりと、嗤う。

「この時計は、私が貰い受けよう。何、最後の形見分けだ。悪く思うなよ、小鳥遊。散々お前の為に働いてやったんだから。」

最後の給料代わりだ。
そう言って、男は、百合雅楽は、妖しく、不気味に、微笑んだ。


第18話 元・死神少女と男の話


葉という葉を地に落し、肌を剥き出しにした木々の枝には、桃色の蕾が膨らみ始めていた。
後、もう少しで咲くだろう。そんなことを思いながら、窓から見える桜の木を眺めている。

「宰さん。」

声をかけられて振り向くと、黒いセーラー服を身にまとった、彼女の姿があった。
背中まで伸びていた彼女の白い髪は、いつの間にか腰の下まで伸びていた。
そろそろ切らねば邪魔ではないかと問うても、これでいいの、と彼女が拒むため、気付けば此処まで伸びている。
ひざ丈数センチ上のスカート、黒いソックス、上から下まで眺めても、模範的な制服姿。
彼女のこの姿も、今日で見納めだ。

「ごめんね。お仕事、休んでもらっちゃって。」
「何を言っている。大事な日だ。こういう時ぐらいは、普段使っていない有給を使ってもばちは当たるまい。」

呟くと、彼女は、さえるは満足そうに笑みを浮かべる。
今日は、彼女の、高等部卒業式だ。
マンションの扉を開けて、二人で外へと出る。もうすぐ桜が咲く時期とはいっても、まだまだ肌寒い。スーツの上から、ベージュのコートを羽織った宰は、はあ、と、息を吐いた。
その色は、仄かに白い。

「時の流れというのは早いな。」
「そう?」
「嗚呼、早いさ。あんなにちんちくりんだった女子中学生が、4月からは大学生だ。俺も年をとる訳だな。」

そう。
いつの間にか、あの時から、数年の月日が流れていた。
都市伝説が閉店となったあの日から、彼女の耳に、あの音が届くことはなくなった。
何故聞こえなくなったのかはわからない。そもそもあの音は、彼女に“死”を知らせることが目的なのではなく、十年以上、あの屋敷に取り残されていた、一人の少年を救うために授けられていたものなのかもしれない。
原因はわからないけれど、彼女は、あの、悲しい鐘の音を聞くことはもうない。
そうなれば、本来のところ、宰とさえるは共にいる理由がなくなってしまう訳だけれど、それでも、宰とさえるはまだ、二人で共に暮らしていた。

「ちんちくりんって言わないで―!それに、宰さんだって年じゃないもーん!」
「お前な……47は十分おっさんの領域だぞ……あーあー、嫌だ嫌だ年をとるのも。最近は目も霞むし肩も凝るし腰も痛いしで最悪だ。教師なんて辞めて良かった。デスクワークだけでも辛いというのに、あんな肉体労働を定年まで続けるなんて、たまったもんじゃないさ。」

そう言って、へらへらと、皮肉を込めて笑ってやる。
いつものように。そう、いつものように、彼のその皮肉を受け流して、さえるは、くすくすと、穏やかに微笑んだ。

「ね、聞いた?宰さん。読さん、もうすぐ就活なんだって。」
「就活、か。あれから四年だもんな……当時高二だったアイツも、もう大学三年生。春からは四年か。確かに、その時期だな。せっかく同じ大学に進学したが、被るのは一年だけか。」
「読さんと同じ大学なのは偶然だもの。近場で、公立で、学費も安い。通学が近ければ、ちゃんと早く帰って、宰さんにご飯作れるもの。」
「……俺の食事の心配はしなくていい。お前だって、サークル参加とか、いろいろ、あるだろう。高校だって、部活にろくに参加しないで真っ直ぐ帰って来て……」
「いいの。私がそうしたいの。」
「青春時代はもっと、大事に使え。」
「私の青春が宰さんでーす。反論は認めませーん。」

長い髪を翻して、いたずらっ子な少女のように、年相応の、無邪気な笑みを見せて、楽しそうに、笑う。

「私、宰さんと一緒にいれて嬉しいの。楽しいの。それと同じくらい、感謝してる。血の繋がりもない、身寄りもない、得体の知れない私のことを置いてくれて、それだけじゃなくて、高校にも大学にも行かせてくれて。本当は、高校を卒業して、すぐに就職でも、よかったんだけど……」
「今時、大学ぐらい出ておいても損はないだろう。お前も知っての通り、俺は煙草も酒も興味がないからな。趣味もない。貯金は貯まる一方だ。一度は死のうとした身。財産をお前のために使ってやるのも、悪くはない。」
「もう、また、そういうこと言う。」
「……俺は、お前に救われたからな。」

宰は手を伸ばし、さえるの頭を優しく撫でる。
艶やかな長い髪。嬉しそうに、照れくさそうに、頬を朱に染める目の前の少女。
自殺しようとした自分を、必死で、涙を流して止めた少女。死ななかった自分を目の前にして、ほっとしたように笑った少女。過去の己の罪を聞いて、全てを受けとめてくれた少女。
この少女を、愛おしいと、そう、思うようになってしまうのも、当然と言うべきだろう。
そして、彼女と一緒にいる度に、こう、思うのだ。生きることも、悪くはない、と。

「なあ、さえる。」
「なぁに?」
「後、また数年したらお前も就活の時期だろう。今の時代、女が働く、というのも、まあ、よくあることだ。けど、まあ、その……」
「ん?」

嗚呼、今、自分は今、一体どんな顔をしているだろう。
顔が熱い。身体が熱い。コートなんて、必要ないのではないかという位に。
目の前で首を傾げている少女の瞳は、嗚呼、しかし、なんて、綺麗なんだと、心の底から、思いながら。

「……とりあえず、まず、内定先を、今のうちの決めないか。例えば、そう、その……俺の、ところに、とか……正式な、家族、として。」

ごにょごにょと、自分の声が少しずつ小さくなっていくのがわかる。
恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。その一言が、頭の中でずっと繰り返されている。
自分は今、目の前の少女に、外で、何を言っているのだと。
けれど、この少女は、それをからかうでもなく、呆れるでもなく、嬉しそうに、頬を桜色に染めて、温かい、小さな細い手で、宰の両手を握り締めた。

「はい、宰さん。私を、貴方の家族にしてください。」

そう言って、少女は、さえるは、嬉しそうに、幸せそうに、微笑んだ。
その頬は喜び故か、恥ずかしさ故か、それともその両方か、桜色に染まっている。
彼女の笑顔を見ていると、この周囲だけ、少し早い、桜の花が咲き誇っているのではないかというぐらいに、彼女の笑顔は華やかで、綺麗であった。

「俺は、お前よりもずっと年上だぞ。」
「気にしません。周りが気にしても、私が気にしない。」
「お前よりも確実に、先に逝く。」
「貴方の最期は、私がしっかり看取ってあげる。」
「誰よりも死を恐れるお前に、あの音色を、いつか、いつかまた、聞かせてしまうことがあるかもしれない。」
「誰よりも繊細な貴方が、これ以上、辛い思いをすることがないように、私があなたよりも、ずっと長く生きてあげる。」
「……さえる……」
「宰さん。もう、いいでしょ?何を言っても、こうして私が論破してあげる。隣にいたいの。支えたいの。私はまだ子どもだけど、もう子どもじゃないんだよ?」

さえるは大人びた微笑みを浮かべて、首を傾げる。
嗚呼、そうだ。
あの時より、彼女は背も伸び、顔立ちも大人びた。あんなに離れていた目線が、少し近くなった。小さかった手が、あの時よりは、大きくなった。
細く柔らかい身体だけど。抱きしめたら壊れてしまいそうだけれど。
でも、あの時、助けを求めて来た少女は、気付けば、少女から、女性へと変わっていた。

「私を、家族にして。ちゃんと、宰さんと家族になりたい。貴方と最期まで、一緒にいるために。」

彼女の笑顔を見ていると、きゅ、と、胸が締め付けられるように苦しくなる。
この苦しみは、けれど、決して嫌なものではなく、寧ろ心地の良い苦しみだ。
その理由は知っている。そして、たった二文字の言葉で表すことが出来る。
けれど、嗚呼、良いのだろうか。
幸せ。
この、たった二文字の言葉で、この、溢れんばかりの思いを済ませてしまって。否、溢れんばかりのこの思いを、この二文字の言葉で済ませることが出来るのだから、やはり、言葉というものは、素晴らしい。

「さえる。」

死というものは、全ての人に平等で、そして、全ての人に不条理だ。
時に事故。時に事件。時に病。時に災害。ありとあらゆる形で、人は命という灯を消して逝く。
その手に皺を刻むまで。齢がもうすぐ三桁になるという時まで。生きていくというのは、簡単にみえて、とても、とても難しい。
寿命で死にたい。
そう言う者も言うだろう。けれど、寿命なんて、誰が決めるものなのか。
命が尽きる、その瞬間。それが、寿命としか、言いようがない。
五歳で死ぬ幼子も、百歳で死ぬ老人も、皆、等しく、その時その瞬間が寿命なのだ。そして、寿命というタイムリミットを迎えた時、人々は、時に必然的に、時に唐突的に、その時を迎える。
自分の寿命は、果たしていつなのか。
彼女が耳にしたその鐘の音は。自分を助けてくれたその瞬間は。
自分の寿命が延びた瞬間であったのか、そもそもその時、自分は死ぬ予定がなかったということなのか。
答えは神のみぞ、知るのだろう。
信じてもいない神に、その答えを教えてくれなんて、言うことも出来ないし言えたところで言うつもりもないけれど。
命が消えるその時まで、目の前の彼女の、隣を歩いて、生きていく。

「ありがとう。俺と、家族になりたいと、そう、言ってくれて。」

生きるということは、簡単なようで、とても辛い。
あの青年は言った。死こそが、救いだと。
確かに、いっそ死んでしまった方が楽な瞬間というのはとても多くて、苦しむことなく生きるということは、それこそ死ぬよりも難しい。
死ぬのはとても簡単で、けれど、とても難しい。
けれど、それ以上に、生きるということは簡単で、けれどそれ以上に難しくて。
理不尽な思いをすることも、不条理に歯を噛みしめなければならないこともあるだろう。悲しみで涙をこぼすことも、怒りで叫びたいことも、故に喉を枯らすこともあるだろう。
けれど、それでも。
心の底から死にたいと思う人なんて、きっと、そうたくさんはいなくて。
何処かで聞いたことがある。
『しにたい』は、『しあわせにいきたい』の略であると。
成程、そう言われると、ごもっともだと頷いてしまう。誰だって、幸せに生きたいに決まっている。
けれど多くの人々は、幸せに生きる術がわからなくて、『しあわせにいきたい』が『しにたい』に、『しにたい』から『死にたい』に変わっていき、あの扉を、潜っていくのだろう。

「お前に言わなきゃいけないことがあるな。まずは、卒業、おめでとう。そして―――…………」

いまはただ、ただ、生きて行こう。
この愛おしい、家族と共に。




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