我慢はやめた


「傑!怪我したって?!」
「五条、五月蝿い」
「ちょっと油断してね。そんなに酷い傷じゃないよ」

夏油も黙れと硝子に睨まれて口をつぐんだ。
肩から胸を切りつけられてしまった。
あれっきり会わない姉さんの事を考えて油断したなんて本当に笑えないよ。
悟が姉さんを抱いたと思うと酷く胸が痛む。
肩からゆっくりと塞がって行く傷を見ながら溜め息を飲み込んだ。

「ー硝子、ちょっとい、い…?え、傑?」

あんなに会いたかったのにタイミング悪過ぎだろうと思いながら大丈夫だと言おうとすると姉さんが膝から崩れ落ちた。身体を抱き締める様に肩をぎゅっと掴んで震えている。

「おい!名前?!」

駆け寄る悟を押し退けて立ち上がり私の元にふらふらと近づいて来る。
気迫に圧された硝子が後退り椅子がガタンと床に倒れた。

「姉さん?」
「……」
「ちょっと、どうし、たーー」

ベッドの縁に座っていた私を押し倒して顔を上げた姉さんはふぅふぅと熱い吐息を吐きながら唇を噛み締めていた。え?発情期か?と顔を見ると見開かれた瞳の瞳孔が縦に伸びている。目を吊り上げて私を睨み付ける顔は正に蛇だった。

「姉さ、ん、んん"ッ!!」
「っ五条!名前抑えろ!!」

塞がりかけた肩にガブッと噛みつかれて鋭い牙の様な犬歯が刺さる。じわじわと溢れる血を割れた舌が掬い取るように舐めた。
え?は?何が起きているの?
状況が理解出来ないまま悟に羽交い締めにされて私から離れて行った。
荒い呼吸のまま私の傷口を睨む様に見つめている。
これは……誰だ?

「名前、ごめん」

悟が呟くと、ぐにゃりと身体から力が抜けて瞳が閉じられた。

「なに、今の。夏油の血で興奮したのか?」
「そういえば名前、性欲より食欲の方があるって言ってたけど…」

悟がベッドに姉さんを横たえながら呟いた。
灰原と七海が言ってたのはこれか。血を見て興奮したから二人を遠ざけたのか。
あぁ、私は何も分かっていなかったのに姉さんに何やってるんだってちゃんとしろよって思ってしまった。
灰原と七海に言われた事を二人にも伝えた。

「いつからなの」
「…私が最後に抱いた時にはそんな様子はなかったよ」

硝子が瞳を開くとそこには縦長の瞳孔があった。

「何だよ…蛇みたいに肉を食うようになるって事?瞳も皮膚も蛇になるって事かよ?!」
「…は?皮膚?」

ずっとタイツを履き出した事に違和感を覚えていた。姉さんは締め付けられるのが嫌いだ。部屋着だってほぼ裸みたいなものなのに何故かと気になっていた。
夏油何すんの!と叫ぶ硝子を無視して黒いタイツを破った。そこには艶々と艶めかしく光る鱗がところどころにあった。

「…もしかして、傑知らなかったのか?」
「っ!知らない!こんな姉さん知る訳がない!!なんで……」
「これ…私に見られたくないから怪我しなくなったって事?」

悟は前から鱗状になった皮膚があると思ったらしく私には言わなかったらしい。
姉さんは蛇に取り込まれてしまうのか?
さっきみたいに私の事も分からずあんな瞳で私を睨むのか?

「すぐる…ごめん、なさい」
「っ!姉さん何が起こってるんだ!どうしてこんな…」
「ちゃんと、する…嫌わないで」

ぼろぼろと涙を流した彼女の瞳はいつものものだった。縋る様に私を見上げて泣きじゃくる姉の気持ちが全く分からない。

「嫌いになんてならないって言ってるだろ!それにちゃんとするって何なの…」
「ちゃんとお姉ちゃんになるからこれ以上離れないで」
「は?姉さんはいつまでも私の姉だ!…何を言ってるのか分からないよ」
「…分からないなら殺してよ。私死ぬなら傑に殺されたいってずっと思ってたんだ」

ふわりと綺麗に微笑んだ。姉の笑顔を見るのはいつぶりだろうか。
姉さんは平気で私を傷付ける。
もう私なんて要らないってはっきり言えよ。

「あ"ぁッ、ごめ…嫌いに、はぁっはぁ」

呻き声と共にパキパキと音をたてて首から顔に鱗が広がっていった。
元の真っ白で綺麗な皮膚がはらりと落ちて溶ける様に消えた。
…は?何なんだ。まるで悪夢じゃないか。

「はな、すから。すぐる、ごめん」

ふぅっと呼吸を整えた姉さんはあの日の事を話し始めた。悟も硝子も茫然としながら話を聞いている。

「ーーそれで蛇に呑まれた私は一度意識も全部失ったんだ。私を救ってくれたのは傑だよ」
「…は?私は守られてただけで何も、」
「傑が呪ってくれたんだよ。『姉さんを返せ、死なせない、僕のだ』って」
「え?」
「その気持ちが私を蛇から取り返してくれた。私の意識があるのは傑が縛りつけてくれたから。だから私は救ってくれた傑に何でもしたいし命すら惜しくない」

確かにあの時蛇に呑み込まれたのに目を開けた時には姉さんは笑っていた。
私があの大蛇から救っていた?姉さんを呪って?なら私はそれを自分で解呪しようとしているのか?その所為で姉さんは私に嫌われたと思って好かれようとちゃんと姉になるって言ったのか?

「成る程ね。何となく分かったわ」
「私も。夏油さ、名前に教えてやれよ」
「は?何を、」
「オマエは名前の事をどう思ってんの?」
「傑…無理しなくていい。もう私は要らなくなったんでしょう。それなら私じゃなくなる前に殺して」
「っ!!違う、違うんだ。…私は姉さんの事を一度も姉だと思った事がないんだ」

姉らしくなかったもんね、当然だよ、と自嘲した姉さんに痛いくらい拳を握り締める。

「私はずっと…ひとりの女性として姉さん、いや…名前が好きだった」
「え…すぐる、」
「私の為に無茶をする名前を見ていてこれじゃ駄目だって、ちゃんと弟になろうとしたんだ。逆に名前を苦しめているなんて思ってなかった。ごめんね」
「で?ほら、ちゃんと言えよ」
「…私は名前が好きだ。愛してる」

悟に急かされて覚悟を決めて紡いだ言葉に今まで閉じ込めていた分溢れて止まらない暖かい気持ちに心が満たされた。
好き、愛してるってずっと言いたかったんだ。名前には迷惑だろうこの気持ちをそれでもずっと伝えたかった。
私の歪んだ愛が姉さんを救ったんだと知ったらその気持ちすら高貴で美しいものに思える。
お願いだから拒絶しないで。
受け止めてくれるだけでいいから。名前がずっと好きなんだ。

頬に伸ばされた手をそっと取って口付けして擦り寄った。
指先にも現れている鱗を撫でるとはらりと剥がれ落ちて消えた。

「え…」

目を見張ったまま名前の顔を見ると鱗が剥がれ落ちて元の皮膚に戻っていた。

「名前、別れよっか。最初からオマエら両思いだって分かってたんだよね。短い間だったけど幸せだったわ。ありがと」
「悟、違う。私は傑を好きだと気付いたのは悟と付き合ってから」
「え?」
「悟の事を好き、愛してるって思った時に傑と同じだって気付いた」
「…俺の事、傑と同じくらい?」

私の事を悟と同じくらい、好き、愛してるって言ったのか?
私は本当に馬鹿だな。姉さんはこうだって勝手に決めつけて気持ちを聞きもしないで勝手にひとりで塞ぎ込んで…。
こんな暖かい気持ちが知れただけで充分だよ。関係が何であれ私が名前を愛している事は変わらないから。

「名前と悟はお似合いだよ。応援する」
「私高専離れる。傑の気持ち知れただけで嬉しい。もう大丈夫だから、悟と硝子と笑って生きて」

起き上がった名前は悟と私の頭をよしよしと撫でて傑も悟も愛してるよと言って切なそうに目を細めて笑った。
どちらも選べないって事かな。姉さんは優しいから自分より人の幸せの方が大切なのは分かるけど…

「あーもう付き合ってらんないわ。お前ら全員馬鹿でイカれててお似合いだよ」
「硝子、避けててごめん」
「それは別にお詫びしてもらうから。じゃ、三人とも仲良くなー」

ヒラヒラと手を振って出て行った硝子からサッと悟に目線を移すと目が合った。
どうやら悟も同じ事を考えているらしい。

「名前さ、俺と傑と三人で付き合わない?俺やっぱ名前と別れたくない」
「ん、どういう、」
「名前と悟が笑ってないと私は辛いんだ。三人で付き合ってくれないと死ぬかも」
「え…でも」
「姉さん。駄目かな?」
「名前、お願い」

眉を下げて首を傾げながら名前を見つめる。姉さんはこの顔に弱い。
横目で薄ら悟を見ると子犬みたいな顔でサングラスを外して蒼い瞳をうるうるとさせていた。正直口元が引き攣りそうになるくらい腹立つ顔しているけど名前が好きな仕草なんだろう。
瞳が苦手と言っていたのに随分と悟の事が好きになったんだね。

「んん、私の倫理が試されてる」
「フハッ、何だよそれ!」
「試してないよ。姉さんは誰が好きなの?」
「…悟と傑」
「なら決まりだな!はぁー諦めなきゃって思って死ぬ程辛かったわ」
「悟が名前抱いてると思ったら泣きたかったよ」
「え、ちょっと、まだ」
「名前、好きだよ」
「姉さん愛してるよ」
「……私も」

まだ完全に納得はしてくれていないみたいだけど、今はこれで良い。これからは気持ちを我慢しなくていいんだ。名前も私を想ってくれていたのだから。
これからも一緒に生きて行こう。
蛇に呑まれそうになるなんて二度とさせないから名前も殺してだなんてもう言わないで。



「てか、傑さぁ」
「何だい?」
「どんな抱き方したらああなる訳?」
「あぁ、遊びのセックスしかした事がない悟には刺激が強かったかな」
「あぁん?!…表出ろ!」
「すまないね、私は名前に伝えたい想いが沢山あるから付き合えないよ」
「あ、私補助監督待たせたままだ」
「そうなんだ。起きたばかりだしね、私も一緒に行くよ」
「あ!ずりぃ!俺も行く!!」

にこにことありがとうと微笑んだ名前に口付けると目を見張ってからふにゃりと蕩ける様な笑顔を見せた。
かわいい。
そんな顔を見るのは久しぶり過ぎて顔に熱が集まる。

「名前のとびきりスマイルは傑には刺激が強かったのかなー??」
「…悟、表出ようか」
「俺は名前に付き添うから無理でーす」
「ふふっ、仲良しだね」

「「どこが?」」

「私行ってくるから、またね」

するりと私たちの間から抜け出した名前はサッと医務室から出て行った。

「ふ、ハハッ!」
「ククッ、これから毎日楽しみだね」
「傑にも名前も笑って欲しかったんだよね。やっぱ俺最強だわ」
「…ありがとう。私の親友は最高だよ」



  
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