青い春をもう一度 A


"悟の書類渡したいんだけど時間ある?"

何度も打っては消してを繰り返してこの文章に落ち着いた。会いたいとか色々詰め込んだ長い文章は悩んだ結果カットした。
メールの返事がこんなに待ち遠しいなんて私は今まで女性に酷い事をして来たなぁと少しだけ反省する。まぁ好きでもなかったし名前以外の女性に態度を改める気はないけど。
机の上の携帯が震えて返信が来た!と慌てて開くとまさかの着信だった。
五月蝿く騒ぎ立てる心臓にふうっと息を吐いて通話ボタンを押した。

「…もしもし」
『あ、傑!遅くにごめんね。寝てた?』
「大丈夫、起きてたよ」
『あの書類さ、ただの報告書らしいね?態々頼まれたから重要なものかと思ってたよ』
「あーうん、見る限り普通の報告書だね」
『それ事務室に置いとくか夜蛾さんに渡しといて欲しい』
「あーうん、分かった」
『ごめんね、なら』
「あ!ちょっと待って。えーと、また会いたいんだけど…」

あー言うつもり無かったのに。
確かに何でただの報告書にそこまでするのかなって思ってはいたけど、悟が余りにも提出しないから婚約者に頼めば楽だと思った事務員がいたんだろう。
どうせならもっと個人情報とか載ってる重要なやつにしてくれよ。報告書も重要ではあるけども。

『会いたい?んー、今眠い?』
「え?眠くは、ないけど」
『なら休憩室おいでよ』
「…直ぐ行く」

ゆっくりで良いよと少し笑われて通話を終えた。まさか、今日会えるとは思ってなかった。下ろしたままの髪にスウェット姿で行っていいものだろうか?
いや、変に気合いいれるのもなぁと数秒悩んで上のTシャツだけ着替えて部屋から出た。
静かな夜の校舎にパタパタとスリッパの音がよく響く。
高専を拠点に動く呪術師の為に用意されている仮眠室や応接室を通り過ぎて、言われた通りに一番奥の休憩室の扉をノックした。
空いてるよと言われグッとドアノブを握りしめてゆっくりと扉を開けた。
ふわりと甘い香りが鼻を擽ぐる。

「お疲れー。とりあえず座ってよ」

言われるがままソファーの端に腰を下ろした。大きめのソファーにシンプルなテーブル。備え付けのミニキッチンと冷蔵庫。それは何度かここに来た時に見た事があるものだったけれど、壁際に数個積まれた段ボールは何なのだろうか。

「この荷物は?」
「あぁ、急な引っ越しだったから家がまだ決まらなくてね。ここに住ませて貰ってるの」

成る程?ならこのソファーで名前は眠っているって事かな。あー通りでいい匂いがすると思った。寝転んでしまいたい衝動に駆られる。

「それで?何か相談でもあるの?」

冷蔵庫からお茶を二本取り出して横に座った名前はそれを手渡しながら首を傾げた。
そうか、普通はそう思うよね。特に何も考えずに会える事に浮かれてしまっていた。
けれど私は後悔をしない生き方をすると心に決めている。

「ただ会いたかったんだ」
「え、と?私に?」
「そう。本当は仲良くなってからと思っていたけど二人きり、なんて中々ないだろうし」
「ん?まぁ、そうだね?」
「私は名前の事が好きなんだ」
「ん?え……は?!」

持っていたお茶を落としそうになるくらいに驚いて目を見張っている。

「ハハッ、そんなに驚く?」
「え、いや…うん。私一応だけど五条くんの婚約者だし?ちょっと、まさかすぎてびっくりしてる」
「今返事はいらないから。私は絶対に名前を手に入れてみせるよ」
「…フハッ、本当に君は変わったね」
「んー失礼なんだけど何処で会ったか思い出せないんだ。私はいつ死んでも後悔しないように行動してるんだけなんだけどね」
「…え?」

再び目を見張った名前は真っ直ぐに私を見つめている。何か変な事を言ってしまっただろうか?やはり覚えてないのがいけなかったか。一方的に、と言っていたから高専関係者にでも聞いたのかと思っていたけど、本当に会った事があるのか。んー思い出せない。

「それって…誰かに、言われたの?」
「え?あぁ、生き方の話し?」
「…そう」
「中学の時に言われたんだけどその子があまりにも綺麗に笑ったから私もそうなりたいって思ったんだ。どんな生き方をしてきたのかとか、色々聞きたくて探したんだけど結局会えなかったよ。名前すら知らなくてね」
「あ…そうなんだ、ね」

ふっと噛み締めるように、でも柔らかく笑った名前にあの雪の日の彼女が重なってみえた。

「そういえば、名前に似てるかも」
「ふ、ふふっ!似てる?」
「え?うん、綺麗に笑うところが似てる」
「ふふっ、あー私の青春も無駄じゃなかったって事かな」

ふわっと名前の呪力が渦巻いて思わず目を閉じた。

「…え?」

目を開けると黒髪に黒い瞳のあの日の彼女がそこにいた。線はかなり細くなっているが間違いなくあの日私に生き方を教えてくれた彼女だった。

「夏油くん、久しぶりだね?」
「え…そんな事って……」
「私が君を変えたなんて、好きになって良かったよ」
「あ…ずっと言いたかったんだ。ありがとうって」
「…私こそありがとう。夏油くんを好きになった私の中学生時代は今でも私を支えてくれてるの。毎日キラキラしてたあの青春があるから私はこれからも生きていける」

懐かしむように目を細めた後、スッと髪色と瞳が元に戻って行った。確かにこの見た目は目立つ。三年間隠して生活するのは苦しくなかったのだろうか。私だったら疲れてしまいそうなのに私への想いが今の名前を支えているなんて。
驚嘆と歓喜と、多分迷惑だとか言ってしまった罪悪感で心の中はぐちゃくちゃだった。

「あの時は、ごめん…」
「え!何で?私だって逆の立場なら誰だよオマエってなってるよ?」
「…それ悟の真似かい?」
「正解!まぁ、でも良かったよ。あの時の君はアンバランスで不器用って感じだったのに今は凄く生き生きとしてる」

アンバランス、か。あの頃も生き辛さを感じていた。こうあるべき、とこうしたい、は別物で私の中に常に二人の別人格がいる様な気さえしていた。
後悔をしないように、という言葉は悟と硝子と出会って明確に私に馴染んだ。
三人で笑い合うあの空間を守りたいと思ったから私は何があっても二人の側に居たい。悟と最強であり続けたい。

「私も頑張ってみようかなぁ」
「…え?」
「あの雪の日に私のやりたい事はぜーんぶやりきった、これからは親の言う通りに生きて行くんだって覚悟を決めたんだけど、傑を見てたら私も変わりたいなって」
「…悟との婚約も家の為?」
「そう。無下限を一応使える私は数百年振りの稀有な精子を受け入れる恰好の胎なの」
「そんな……」

ただの名家同士の婚姻じゃなかったのか。
無下限呪術と六眼の抱き合わせをもう一度生み出す為の胎盤として名前は生きているんだ。悟が遠ざける筈だ。仲良くなろうものならそれこそ家の思うがままだから。

「私、特級術師になるわ。それで当主になってどうしようも無い世界を少しでも変えてみせる。小さい頃にとっくに諦めた子供っぽい夢だけどね」

晴れやかな表情で名前はありがとうと笑った。
私が彼女の背中を押せたのか?
この笑顔を引き出したのが私なのか?
嗚呼、どうしよう。嬉し過ぎて胸が一杯だ。
私が彼女に救われたように彼女も私に救われた。それが険しい道になろうともこの澄み切った笑顔に後悔は一片もない。

「私にも手伝わせてくれないかい?私も悟も同じ様な夢を持っているんだ」
「ふふっ、頼もしいね。私一人じゃどうしようもないし、最強コンビが味方なんて嬉しい」
「名前も最強になるんだろう?」
「フハッ!そうだった、頑張らないと、あ」

穏やかな空気に電子音が鳴り響いた。

「はい。………はぁ…分かりました。なら直ぐに向かいますよ」
「…任務かい?」
「うん。本当人使い荒いよね」
「気をつけてね。あと…良ければまた二人で会って欲しいんだけど、」
「私も会いたいな」
「え…本当?私が好きだって言ったの忘れてないよね?」
「本当ほんと!…私が当主になったら、苗字傑になるけど大丈夫?」
「え?…ちょっと、それって、」

じゃっ!とニタリと笑って颯爽と休憩室から出て行った。
え?は?本気?
…それって、結婚前提にって事だよね?
今度こそ衝動のままソファーに横になる。
真っ赤になったであろう顔を両手で覆った。

「これは…ヤバいな」

ふんわりと名前の甘い香りに包まれながらこれからの未来に期待が膨らむ。
はぁ。どうしよう。ゆるゆるに緩みきった口元が戻りそうに無い。
こんなに浮かれてて大丈夫?今更、冗談とか本当にやめてくれよ。
あーもうここで眠ってしまおうかな。




「は?夏油何やってんの?」
「え?硝子?」
「ーーもしもし?何か変質者いるんだけど」
「ちょっ!!硝子、誤解だよ!」
「…は?お前はもう少し警戒心持て……はいはい。頑張れー」

通話を終えた硝子はじとっと私を睨みつけた。相手は名前だろう。
やはり衝動に駆られるべきではなかったか。タイミングが最悪だ。

「…本当、誤解だから」
「二人でこの時間にねぇ。夜這いかよ」
「…そういう硝子は?」
「今日飲もうって約束してたの。夏油のクズさを教えてやろうと思ってなー…何その顔。絶対誘ってやらないから」
「…まだ何も言ってないだろう?」
「てかまじなの?見る目は褒めてやるけどクズ卒業してから出直してこいよ」

じゃあな変質者、と吐き捨てて出て行った。
え?もう遊んでないし認めてくれたも同然じゃないか?
硝子が明日、悟に告げ口するんだろうなと思ったらげんなりするけどそれを差し引いても死ぬほどいい日じゃないか。
訪問者がまた来る前にそっと部屋を後にした。

婿養子でも何でも名前の一番側にいられるならなんでもいい。
早くお互いの夢を叶えないとね。



  
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