私は重い身体を引きずるようにして医務室を這い出た気持ちでいた。
マダム・ポンフリーが帰ってくる様子もなかったので、簡単な置き手紙を用意してそれをよく目に付く場所に置いておいた。
私の足下では、ナギニがまるで付き人のように寄り添いながら皆の後に続いていた。
三人はとても重い表情をしていて、私とハグリッドは下手に口を開くこともできずにじっと口を噤む。
やっと三人が口を開いたときにはもうハグリッドの小屋も近い外れの方に出ていた。
ぼそっと低い声で囁くように言われた言葉に、私とハグリッドは言葉を失った。
「馬鹿な!なんでスネイプがハリーの箒に魔法なんぞ。」
話の内容は、クディッチの試合でのある出来事についてだった。
試合の最中、ハリーの箒が何者かに呪いをかけられ自由が利かなくなり、ハリーを振り落とそうとしたことについてだった。
ハーマイオニーのその言葉だけでも驚きであるのに、加えてハリーがそれを起こしたのはセブルスだと言い出した。
ハグリッドは驚きに目を見開き、すかさず否定の言葉を口から放つ。
私は呆気にとられたようにその様子を見つめていた。
「知らないけど、ハロウィーンのとき、頭が3つある犬に近づいた!」
「なぜフラッフィーを知っとる。」
「っフラッフィー!?」
ハリー、ロン、ハーマイオニーはハグリッドの口から出た言葉に驚きを隠しきれなかった。
ハリーの言う頭の三つある犬とは、その言葉の通り三頭犬だろう。立ち入り禁止の廊下の奥にある部屋にいる、あの見上げるほどの巨大な犬。
あのときの事は今でも鮮明に思い出せる。
間違いで廊下に足を踏み入れてしまったのをミセス・ノリスがしっかりと見ていたのだ。フィルチが来る前にと駆け込んだのが、運悪くもあの部屋だった。
私達にとっては苦い思い出しかない。
訝しげに眉根を寄せたハグリッドに、ハーマイオニーが慎重に聞き返した。
「あの犬に名前があるの?」
「あるともさ、おれの犬だ。
去年パブで会ったアイルランド人からもらった。
ダンブルドアに貸して学校の…、」
「なに?」
ハーマイオニーの言葉に、ハグリッドは誇らしげに胸を張った。
三頭犬はいくら魔法界といっても簡単に飼うことはできない。あまりにも危険すぎるからだ。
けれど、そこは流石ハグリッドというのか、とても危険な生物である三頭犬を飼っていることが嬉しくてたまらないらしい。
自慢するように話し出したハグリッドだが、その言葉ははっと止められた。
それにハリーが反応する。ハグリッドは落としてしまいそうなほど目を見開き、咎めるような視線を寄越した。
「おっといけねぇ!
これ以上きかんでくれ!何もきくな!重大な秘密なんだ。」
「っでもハグリッド、フラッフィーが守っているものをスネイプが狙ってるんだよ?」
ハリーとハグリッドは言葉を素早く交わしながら、足を歩ませていた。
その横をロンとハーマイオニーは慎重な顔をしながら続いていく。
私は後ろから話を聞きながら、ふと口を開いていた。
「ハリー、違うよ。セブルスは、狙ってないよ。」
その言葉がなぜ出てきたのかは自分でもわからなかった。
ただ、セブルスがあの部屋の奥にあるものを求めているのではないことは確信が持てる。
そう。狙っているのは、クィリナス・クィレルのはずだ。彼の後頭部には、あの人がいる。真紅の瞳をギラリと輝かせた、あの人が。
セブルスとクィレル先生では、大きな差がある。
セブルスは見た目こそいかにも怪しく、何かを企んでいるかのようだが、そんなことをするはずがない。
クィレル先生はあの人の忠実なしもべであり、ただそれだけではなく大きな野望を内に秘めている様子を見せている。最も怪しいのは、彼だろう。
ただ、あの部屋の奥には何があるのかは、思い出せないけれど。
私の言葉に、ずっとハグリッドの方を見ていた三人が驚いたように視線を向けてきた。
ハグリッドはそんな三人に釘を刺すように言葉を低めた。
「アリスの言う通り!スネイプ教授はホグワーツの先生だぞ!」
「先生だろうと何だろうと、呪文をかけていれば一目でわかるわ。本で読んだもの!
目を逸らしちゃいけないの、スネイプは瞬きもしてなかったわ。」
「うん、そうなんだ。」
クィディッチの試合の話を出されると、私は口を噤むしかなくなった。
実際にその様子を見ていたわけでもないので、反論すらできない。
話を聞こうとしない三人に、ハグリッドは苛ついたように言葉を荒げた。
「いいかよく聞け、3人とも!それにアリス!
おまえさんらは関わっちゃいかんことに首を突っ込んどる!危険だ。
あの犬が守っているものに関われるのはダンブルドアと、ニコラス・フラメルだけだ!」
ハグリッドは一息で言い切った。
けれどその言葉の中に、聞き慣れない名前が入っていることにハリーが気づかないわけがなかった。
忠告した言葉をじっくりと考えている余裕のないハグリッドに、ハリーが呟いた。
「ニコラス・フラメル?」
「ッあぁ、しまった…また口が滑ってしまった、言うてはいかんことなのに…。」
ハリーの言葉にはっと息を呑んだハグリッドは、自身を叱咤する言葉を繰り返しながら小屋の方へ歩いて行ってしまった。
いつの間にか歩ませていた足を止め、すっかり話に夢中になっていた私達はお茶の約束なんて頭から抜けていた。
私はその名前を頭で繰り返しているうちに、どこかで情報が繋がった。
ニコラス・フラメルは、有名な錬金術師だったはずだ。飲めば不老不死となる命の水を生み出す賢者の石を作り上げた、唯一の人物。
どこの文献で読んだのかは覚えていないが、そのことはしっかりと覚えていた。
そんな彼が関わっていて、この学校にあの人が潜り込み、何かを狙っている。
考えてみれば、自然と結論が出た。あの部屋の奥にあるのは、賢者の石だ。
なぜかそう答えが出た瞬間、言葉も出ないほどの安堵に包まれた。
私は、このことを知っていたのだろうか。賢者の石が、この学校にあるということを。
ぼんやりと考えていると、ハリー達が眉根を寄せながら口を開いていた。
「ニコラス・フラメル…。何者なんだ?」
「知らないわ。」
じっと黙りこくった様子の三人に、私は口を噤ませた。
このことは、なぜか言ってはいけない気がしてたまらない。
喉の奥に何か熱いものがこみ上げるような感覚に、私は視線を逸らすようにナギニを見た。
私と四六時中行動を共にしていたナギニも、賢者の石について気づいたようだった。
まるでため息でも吐くような表情の彼女に、私は無意識にでも手を伸ばす。
ナギニは私の手に気づき、応えるように首をもたげた。
するっと肌触りのいいその肌に触れると、気が落ち着く。いつまで私はナギニに甘えているのだろうと自嘲気味に考えるけれど、寛容な彼女に包み込まれるような感覚は心地よかった。
ずんと重く続く沈黙のなかで、私は彼らが何にも気づかず安全にいられるように願うしかできなかった。
賢者の忍苦
(結局何もできない私は、いつもこの感覚を味わう)
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