ふと私は目の前に置かれたカップに視線を移した。

あれから私はセブルスの後に続いて彼の教室へ繋がる階段を下りていった。

どんよりした雰囲気の、暗い影を持っている地下牢に入ると、セブルスは私に椅子に座るように促しお茶を入れると言って行ってしまった。

しばらくすると、セブルスは湯気の立った二つのカップを手に戻ってきた。

そのうちのひとつを私の前に置き、セブルスは私と少し離れたところに腰掛ける。

何の会話もなく過ぎていった時間に、私は久しぶりと言っていいほどの居心地の悪さを感じていた。

それはセブルスが原因だということではない。ただ、何を話したらいいのか自分でもわからないということだ。

それはおそらくセブルスも同じのようで、白く湯気が立っているカップをじっと見つめていた。

ドキリとその落ち着かない空気に心臓が跳ね上がった。

石壁に囲まれたこの地下牢のひんやりとした空気がやけに身体に刺激を与えてくる。

ぶると身体が震えたので、私はたまらずにカップへ手をのばしていた。

カップはじんと温かく、それを両手で包み込むようにして口元に寄せる。

何の種類かはわからないが、深みのある紅茶の香りがふわりと漂ってくる。そして微かに、何かの薬品のような残り香も。

セブルスらしい。そう感じて、私はここに来て初めて頬を緩めた。

カップに口をつけて、薄く色づいた紅茶を口内へ含む。

カップから与えられた熱よりもいくらか熱く、けれど決して飲みにくい温度ではない紅茶はほのかに甘かった。

少し砂糖を入れてくれたのだろうか。

ちょうどいい甘さに誘われるようにもう一口飲み込む。

口の中が温かく潤い、私は無意識のうちにほっと息を吐いていた。

控えめだけれどしっかりと感じられる彼の優しさに、唇が微かに震える。

ゆっくりと両手で包んだカップを戻す。

コトンと軽い音を立てたカップから視線を離し、私はセブルスにそれを移した。



「セブルス…なにか、聞きたいことがあるのなら、遠慮はしないでください。」



そのために呼んだのでしょう?

そう言えば、セブルスはゆっくりと私に顔を向けた。

その表情は何かを考え込んでいるような、じっと堪え忍んでいるかのようなものだった。

ズキン、と胸が悲鳴を上げる。

その顔をさせているのが私だと思うと、なおさらだった。



「…あの人から、話は聞いていた。」

「アルバスに、ですね。」

「あぁ。」



その控えめな言葉に、私は苦笑をこぼした。

私の様子をうかがうようなセブルス。まるで傷つけないように見守っているかのようだ。

本当に、セブルスは優しい。私のことなんて気にかけず、自分の聞きたいことをもっとぶつけてしまってもいいはずなのに。



「アルバスがどう言ったのかはわかりませんけど…すべて、本当ですよ。」

「ッ…。」

「私が、あの人のところにいたことはもう知ってますよね。」

「…。」



あの邸にいる私を、彼らは迎えに来た。

私が静かに言葉をこぼせば、セブルスは間をあけて頷いた。

アルバスは、セブルスにどう教えたのだろう。

彼は、もともと私が異世界の人間であることを知っていただろうか。

いや、彼のことだから私に直接言っていないだけで気づいているに違いない。

ただ、それをセブルスに教えたのかは予想もつかないが。

ぎゅっと眉根を寄せ、私は瞳を伏せた。

まだ、セブルスに全てを教えられない。

全てではなくても、拒絶されてしまうかもしれない。

ドクンドクンと嫌な音を立てて深くなる心音に耳を傾けながら、私は慎重に口を開いた。



「あの時…初めて、ホグワーツに来た時から、私はあの人のところにいたんです。」

「……薄々、気づいてはいた。」

「ルシウスと面識があったのは本当です。
彼は、私の世話係に命じられてましたから。」



やはり、セブルスは頭の回転が速い。

私があの人の邸にいることを知り、色々と思い返せば、私とあの人を繋げる事柄はいくつでもあったはずだ。

セブルスは、それを見逃さなかったのだろう。

あの日々を思い返すように、私は瞳をつむった。

セブルスから向けられる視線が、拒絶するようなものではないことに、ほっと安心しながら。



「私は、変えないといけないって、思ってたんです。
でも…あはは。やっぱり、私ひとりの力じゃ、足りないんですかね。」



あの未来を――十年前のあの夜の出来事を――止められなかった。

私なりに努力したつもりだった。

そう。つもり、だったのだ。

もっと、努力はできたはずだ。なりふり構わなかったのかと問いかけられれば、私は首を横に振るしかできない。

私ひとりの力が足りないのではない。それを測ることすらできない状況だったのだ。

そう思うと、自分の情けなさに身体の熱が奪われていったように感じた。

指先が冷たくなり、ひやりとした空気に肌が粟立つ。

たまらず、無意識にカップを両手で包んでいた。



「楽し、かったんですよ…?みんなと、過ごせて。」

「……そうか。」

「私が…守らなきゃって、思ってたんです。
………っ、ごめん、なさい…。」



ぎゅっとカップを包む手に力が入った。

その手も不思議と震え、中に入っている紅茶も小さな波を立てる。

私の決意も、今思えばとても中途半端なものに思えて仕方がなかった。

その時は気づかなくても、後になって目の前にそれを突きつけられる。

もっと、必死にできたはずだ。何にしても。

結局は何も変えられていない。何も守れていない。

たくさんの人が、死んだ。数え切れないほどのたくさんの命が消えた。

私の知らない人物も、知っている人物でさえも。

なぜか、今になってその重大さに気づいたかのように身体ががたがたと震えてくる。

今までだってそれを考えた。けれど、押し寄せるこの大きな波は何だろう。



「……アリス。」

「っ、…!」



ふと名前を呼ばれ、私は我に返ったように瞳を瞬かせた。

気づけば、セブルスは眉根を寄せて私を見ていた。

私は無意識にでもこんな話をしてしまったことに恥ずかしく、情けなくなった。

誤魔化すように微笑みをうかべれば、セブルスの顔が歪む。

セブルスは何か口を開きかけたが、その口はすぐにぎゅっと引き結ばれた。



「こんな話をして、ごめんなさい。
今さらどうにかなるなんて、思ってないですけどね。」

「いや…。」

「…紅茶、美味しいですね。」



戸惑ったようなセブルスの様子に、私は苦笑をうかべた。

勝手な話をして、困らせてしまった。

両手で包んだカップにまた口を付けて、こくんと飲み込む。

いくらか冷えて、もとの熱さではなくなっていたけれど、ほのかな甘みが身体中に溶け込んでいった。

話をそらすように言った言葉に、セブルスはつられたように自分のカップに口をつけていった。

その姿を見て、ずっと心の中にあった疑問が、自然と口からこぼれだしていた。



「セブルス。ハリーが…ううん。ジェームズが、嫌い、ですか…?」

「あぁ。」

「じゃあ…じゃあ、リリーは…?」

「…ッ、!」



ジェームズが嫌いかという言葉に迷いなく頷いたセブルスは、リリーの名前を出すと言葉に詰まったように眉根を寄せた。

やはり、セブルスはまだリリーを想い続けている。そして彼女を奪ったジェームズを、憎んでいる。

そのことはハリーを見ている瞳でよくわかっていた。

ハリーの外見はあまりにもジェームズに似すぎている。生き写し、と言っても過言ではないだろう。

けれどその瞳は母のリリー譲りだ。アーモンド型の明るいグリーン。

ハリーを見るセブルスの瞳には憎悪がうかんでいることはよくわかっている。

同時に、セブルスがハリーの瞳を見ようとしないことにも。



「…私、ずっと思ってたんです。」



私はゆっくりと口を開いた。

誰に言うわけでもなく、ただぽつりと。独り言のように。

セブルスは俯き、その表情は影になっていてよくわからない。

そんなセブルスから視線を外し、持っているカップの中を見つめた。

透明な薄く色づいた紅茶はゆらりと揺れていて、そこには私の顔が映っていた。



「セブルスもハリーに優しくすればいいのに。そうすれば形は違うとはいえ、敬愛だとしても好意を見れるのに、って…。」

「ッ、」



目は口ほどにものを言う。全く、その通りだと思う。

原作通りに進んでいたとしたら、おそらくセブルスが最後に見たリリーの瞳は決していい感情のものではないはずだ。

彼女を"穢れた血"と称してしまったあの過ち以来、彼らの関係は崩れてしまったはずなのだから。



「だから、その目からの好意を、リリーに重ねたら…セブルスも、楽に…。」

「……やめろ…。
やめてくれッ…!」



私の言葉を遮るかのように、セブルスは言葉を発した。

その声は絞り出したかのように掠れていて、思わずびくりと肩を跳ねさせてしまう。

はっとしてセブルスに視線を向ければ、セブルスは瞳の奥がゆらゆらと揺れていた。

普段のセブルスからは想像できないほどの弱々しい姿に、ぎゅっと胸が苦しくなった。

あぁ…言ってしまった。



「ごめん、なさい……。」



セブルスは虚勢を張っているだけだ。

本当は誰よりも不安定で、誰よりも繊細で。

セブルスもハリーの瞳を見た瞬間、おそらくそれを考えたのだろう。

"あの瞳をこちらに向かせて彼女に重ねたら、楽になれるだろうか"と。

けれどそれをしないのは、誰よりも深く彼女を愛しているから。

その心と、プライドがあるから。だからそれをしようとしない。

ハリーをこの世で最も憎い人物と重ねて虚勢を張り、ただ自分が安心したいだけの方法を――彼女に対する"裏切り"を――使わずに。

私はそれを、彼が今まで積んできたものを揺らしてしまった。

決意を、削ってしまった。

ぎゅっと心臓が鷲掴みにされたかのように苦しくなった。

どうしようもない情けなさが、胸を突き刺す。

私はゆっくりと立ち上がり、セブルスに近づいていった。

微かに震えているように見えるその背中に手をのばし、優しく触れる。

びくりと肩が跳ねたが、私は気にせずその背中を後ろから抱きしめた。



「ごめんなさい、セブルス…私、言っちゃいけないこと、言いました…。
ごめんなさい…ごめん、なさい……。」

「……いや、別に…いい。」



静かに、セブルスはそう言った。

前に回されている手にそっと触れられたような感覚に、私は顔を歪める。

その一言で、彼は何でも許してしまう。

辛いのはセブルス自身であるのに、それを気づかない。いや、気づこうとしていない。

私は抱きしめているセブルスの身体の温度に、胸の奥が解れるような感覚になった。

温かい。やはり、彼は誰よりもスリザリンらしくない。

ゆっくりと瞳を閉じ、私はセブルスを抱きしめている腕の力を強めた。

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