「よろしくね、アリス。」
「うん…よろしくお願いします。リーマス、ピーター。」
授業が始まり、ペアが分けられた。
普通は二人ペアらしいが、今日は特別に三人だった。
穏やかに微笑んでいるリーマスを見て、少しだけ心が落ち着く。
リーマスと対照的に、ピーターは引きつった笑みをうかべていた。
魔法薬学は、"あの人"に教わったのである程度はできる。
ドクンという心音が響き、忘れていた緊張が戻ってきたかのようだった。
すると、その緊張を増大させるかのような言葉をリーマスにかけられる。
「僕は、なんだかこの授業と相性が合わないんだ。」
「う、うん…本当に。
ぼ、僕も、あんまり…なんだ…。」
挨拶をするかのように言うリーマス。機会を見つけたかのように言い加えるピーター。
つまりこの二人が言いたいのは、魔法薬学が苦手だということだ。
魔法薬学の授業はペアでやるので、一人が苦手でももう一人が得意ならうまくいく。
そういうことで、この二人は私を頼みの綱にしているのだ。
私は瞬きを繰り返し、身体中に染みていく緊張を感じていた。
「っが、頑張りマス…!」
私がそう言うと、リーマスとピーターはきょとんとした瞳をした。
それを見て、ほとんど直感的に感じる。
また、発音がおかしくなってしまったのだろうか。
ルシウスは、私の気持ちが極度に高まると発音に影響が出ると言っていた。
私は元々英語が苦手であったし、日本人は英語が苦手だと言うことをよく耳にした。
その本質が出てしまうのだろう。
そう私は結論づけ、深く息を吸い、そして吐いた。
ちょうどその時、ホラス・スラグホーン先生の合図がかかり、周りの生徒は調合を始めた。
よし。始めよう。
ドキドキと跳ねる心臓を感じながら、私は目の前にある材料に手をのばした。
「…。」
「アリス、なんだか手慣れてるね。」
「っえ?そ、そうですか?」
調合を始めてしばらく経ち、煮立った鍋にネズミの脾臓を入れた頃、じっとこちらを見ていたリーマスが口を開いた。
それまでは何も話をしていなかったので、真剣になっていた私は突然の声に目を丸くした。
教科書に従いながら鍋の中をぐるりと回す。
リーマスの隣にいるピーターは、私の手元を見ながら大きく頷いた。
「魔法薬は得意なのかい?」
リーマスはキラキラと輝くあめ色の瞳をこちらに向けた。
その言葉に、私はふと首を傾げる。
何度か調合したことはあるけれど、それでも手間取ってしまう。
それを少しでも抑えられているのは、あの人の言葉を心の中で繰り返しているからだ。
ホグワーツ始まって以来、最高の秀才と称されたあの人。
そんな人に教わっていたのだから、ある程度できているのだろう。
「得意では、ないけれど…たぶん教えてくれた人が上手いからですよ。」
「へぇ、そうなんだ。
ここに来る前はどこに行っていたんだい?」
どこに、というのは学校という意味だろうか。
けれど私は学校に行っていなかった。この世界では。
リーマスは、教えてくれた人というのが先生だと思っているに違いない。
気にしているような視線をピーターからも感じ、私は口元に笑みをうかべた。
「えっと、なんというか…学校は行ってなかったんです。」
「そ、そうなの…っ?」
「それでこんなに上手いなんて、才能かな。」
驚いたような瞳が二人から向けられる。
何となく恥ずかしくなって、鍋をぐるぐると回してしまった。
はっと我に返り、鍋の中を確認する。
よかった。失敗してない。
ヒルの汁を搾りながら、微笑んでいるリーマスに向けて言った。
「そんなことないですよ。
あの人の教え方が上手いんです。」
「あの人?」
言った瞬間、しまったと思った。
そして、リーマスがそこに注目したことにも。
大事になるほどのことでもないのかもしれないが、思わず冷や汗がこめかみを伝う。
それでも、リーマスは特に気にした様子もない。
ほんの自然な好奇心で聞いてきたのだろう。
その言葉に変に警戒しても、逆に怪しまれてしまうに違いない。
できるだけ気にしていない様子を取り繕い、私は口を開いた。
「いま、ちょっとお世話になってる人です。」
「そ、そうなんだ。」
そう言うと、ピーターが納得するように反応した。
リーマスも、それで満足したようだ。
私もほっと息を吐く。
すると、リーマスがふと考えついたように口を開いた。
「でも"あの人"なんて、他人行儀だね。
こわい人なのかい?」
親交の深い外国ということを、身に染みて感じた。
日本ではそんなに気にすることでもないのかもしれない。
しかし、ここでは一線を引いた関係ということになるのだろう。"あの人"と呼ぶと。
けれどそれ以外になにかあるだろうか。
あの人は…彼は、闇の帝王。
私が彼の元にいることを知られてはいけない。
悶々と考えていると、ふとリーマスの言葉が頭に響いた。
"こわい人なのかい?"
こわい人であるかどうか。
一般的に考えたら、彼はリーマスの言うこわい人に当てはまるだろう。
実際、こわいと感じたことなんて何度もある。
それにそう思わない人の方が珍しいだろう。おそらくいないに等しい。
けれど、こわくないとも感じていた。あの人は、こわくない。
そう思っていると、私は無意識に口を開いていた。
「…そう、でもないと思いますよ。
少し、こわい時はありますけどね。」
苦笑して答えると、リーマスは優しく微笑んだ。
グツグツという音を立てている鍋を一、二回かき混ぜる。
するとリーマスはゆっくりと机に肘をつき、頬杖をついてこちらを見た。
「そう…。
いつもは、どう呼んでるんだい?」
「っ、え?
えっと……っ。」
どうしてそんなことを聞くのだろう、と思ってしまう。
興味深そうな瞳。隣にいるピーターも、そんな目をしていた。
冷や汗が身体中の汗腺から噴き出すかのように感じる。
彼の名前は、ヴォルデモート卿。闇の帝王だ。
捨てた昔の名は、トム・マールヴォロ・リドル。
どう呼んでいたのかというと、大体が呼んだことがない。
ルシウスに話を出すときは、あの人と言ってしまう。
たまに呼んだとしても、ヴォルデモート卿としか呼んだことがない。
けれどそれを今言えるだろうか?答えは簡単だ、言うことはできない。
もう一度、心の中で繰り返した。
彼の名前は、ヴォルデモート卿。
すると、はっと思いついた。
"卿"というのは爵位を持つ人の名につける敬称だ。昔のではあるが。
それでも不自然ではないはず。
じっとこちらを見つめてくる彼らの視線を感じながら、私は大きく息を吸った。
「きょ、…卿。」
そう言った瞬間、顔がカッと熱くなった。
突然、思い出したかのように左手の印の場所を気にしてしまう。
リーマスは目を瞬いて、確認するよう口を開いた。
「卿?」
「ぅ、ん。」
ドクンドクンと胸が高鳴る。心臓が口から飛び出してしまいそうだ。
きっと今鏡を見てみれば、私の顔は赤いだろう。
それを痛いほどに感じていると、リーマスはクスクスと笑った。
柔らかく微笑みながら、リーマスはそれと同じような声を出す。
「ふふっ、そんな緊張しなくても。
すこし詮索しすぎたね。ごめんね。」
リーマスはそう言い、ピーターは心配そうな顔をした。
私はそんな二人に微笑みをうかべた。
こんな話ができるのも、ここだけだということを感じる。
ふと瞳を閉じて、私は口を開いた。
「ん…いえ。」
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