「ま、さか…。」
無意識に呟いた私に、ルシウスは無言で頷いた。
私の唇は、自然と小刻みに震えてしまう。
ルシウスはいつの間にか私の甲にある印に手を添え、小さく呟いた。
「我が君に呼ばれたとき、その"印"はもうあったんだ。」
「…じゃあ、っ。」
「我が君がおつけになったのだと、私は思うよ。」
膝から、崩れ落ちてしまいそうだった。
喜びか悲しみか、どちらかわからない感情が私の中を支配する。
目が回ってしまいそうだった。
どうして私はこんなことになっているのだろう。
混乱しすぎて、もう何も考えられない気がする。
その瞬間、左手の甲がじわりと燃えるような熱をもった。
「っ、あつ…!」
反射的に声を漏らし、甲を庇ってしまった。
そしてはっと気づく。印のある場所だということに。
情けない顔で、私はルシウスを見上げたことだろう。
いつの間にか甲の熱っぽさは消えていた。
困惑したように見た私に、ルシウスは優しく微笑んだ。
私を落ち着かせようとするような、そんな笑みだった。
「我が君が、お呼びだよ。」
全てを見透かしたようなルシウスに、戸惑うことしかできなかった。
ゆっくりとベッドから手を引かれて降りる。
私は何の抵抗もせず、ルシウスの手に従った。
熱の消えた手の甲が何となくじんじんしている気がする。
今、私はどうなっているのだろう。
自分の状況がうまく理解できない。
"彼"に印をつけられて、呼ばれて…。
ルシウスに手を引かれ、彼の所へ行こうとしている。
彼は、何を考えているのだろう。
ぼんやりと考えていれば、気がつくと彼の部屋の前まで来ていた。
「ルシウス…、」
私は無意識に前にいるルシウスの名前を呼んでいた。
何を言うつもりもなく、ただ口からこぼれていた。
唇が細かく震える。突然、心細くて仕方がなくなった。
「わ、たしは…どうしたら…。」
途方に暮れたかのようだった。
手を引いているルシウスの手を、ぎゅっと握り返す。
いつの間にか、様々なことを考えてしまっていた。
どうして彼はこの印を私につけたのだろう。
しかも、魔法を教わった昨日に。
私は死喰い人になったことになるのだろうか。
けれど、この印は他の死喰い人の闇の印とは形が違う。
髑髏ではなく、薔薇。左手首ではなく、左手の甲。
これが意味することは何だろう。
どうして、私にこの"印"をつけたのか…。
そんなことを考えている私に、ルシウスは静かに微笑んでいた。
何となく、複雑な表情で。
あの薄く冷たい灰色をした瞳は、ゆらゆら揺れていた。
「アリス…君なら、大丈夫だよ。
我が君は、君をどうにかしようとはお考えにならないはずだ。」
"どうにかする"
その言葉に、少し引っかかった。
どういう意味なのだろう。
ルシウスがどういうつもりで言ったのか、その真意はわからない。
聞こうかと口を開きかけた瞬間、ルシウスは一歩前に踏み出し、彼の部屋の扉をノックした。
「っ、!」
「入れ。アリス。」
まだ何の心の準備もできていないのに。
中から聞こえた彼の声に、私はビクリと飛び上がった。
しかも、彼は私の名前だけを呼んだ。ルシウスではなく、私だけを。
涙目になりながらもルシウスを見つめる。
これから、どうすればいいの。教えて。
私は切にそう願っていた。
けれどルシウスは、"彼に対する態度"のように頭を下げ、扉に手を差し出していた。
自分で、彼に聞けと言うの。
呆然と私は立ち竦んでいた。
ルシウスを見ても、彼は顔すら上げようとしない。
どうしよう、と何度も思った。いっそここから逃げてしまおうか。
そう思ったとき、少し前のルシウスの言葉が頭の中に響いた。
"アリス…君なら、大丈夫だよ"
本当に?本当に、そう思う?
今も頭を下げているルシウスに、私は心の中で聞いていた。
ルシウスは、嘘は言わない。そのことはもう知ってる。
大丈夫、大丈夫。私は必死に自分に言い聞かせた。
そしてゆっくりと足を踏み出し、扉に近づいていく。
これでこの扉を見上げるのは何度目だろうか。
それでも消えない緊張感に私は静かに笑った。
「…。」
大丈夫。私はもう一度自分に言い聞かせる。
傍にいるルシウスを見て、私は誘われるようにドアノブに手をのばした。
ドクンドクンと自分の心音がすぐ耳元で聞こえた。
思いきって、ドアノブを握る手に力を入れる。
冷たい感触が、手の中いっぱいに広がる。
緊張して熱くなっていた身体が、どんどん落ち着いてきたように感じた。
ひとつ、大きな息を吐いて、私は真っ直ぐ前を向いた。
まだルシウスは頭を下げていたけれど、もうそのことは気にならなかった。
身体にしっかりと力を入れて、ドアノブを回し、扉を開く。
一歩前に踏み出し、はっきりと言葉を発した。
「失礼します。」
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