部屋に戻って、もう何分たったのだろう。
カーテンの締めきっている薄暗い部屋で、私はぼうっとしながらベッドに座っていた。
彼は今、ルシウスと話している。
…私のことを話しているのだろうか。
私に席を外させたことからきっとそうなのだろうが、何を話しているのか気になる。
私の部屋との間には書斎があるから、声がもれて聞こえてくることもない。
なんだか落ち着かない。
自分のいないところで自分の話をされるのはヘンな気分。そんなにいい気持ちじゃない。
憂鬱そうにため息を吐いて、ベッドから垂らした足をブラブラさせれば、なんとなく気分は楽になった。
でも見るからに"ひまだ"って言ってるみたい。
つい、はぁとまたため息を吐いてしまった。
何か気をまぎらわさなきゃ。
そう思った瞬間、扉がいきなり音を鳴らした。
「!」
「…アリスお嬢様。」
びっくりした。何の音かと思った。
思いきり肩を跳ねさせてしまって、少し恥ずかしくなった。
けれど音の正体がノックだと気づいて、ほっと息を吐く。
…いや、ほっとしてる場合じゃない。
誰がノックしたのかって…声からすると、ルシウスだ。
それに気づいて、内心パニックになってしまった。
ルシウスが来てる。
その事実が、すぐ目の前にあって落ち着いていられない。
「…っ、どうぞ!」
とにかく何か言わなきゃ。
そう思って緊張から裏返る声をそのままに言った。
少し間をあけて、ゆっくりと扉が開かれる。
「失礼いたします。」
開いた扉から姿を現したルシウスは、そう言いながら静かに頭を下げた。
流れるようななめらかな動作に目を奪われるけれどはっとした。
ルシウスは、なんの用で来たのだろう。
ゆっくりと頭を上げるルシウスを見ながら、私は無意識に緊張で目を丸くした。
「アリスお嬢様。」
「っ、はい…!」
もう一度、名前を呼ばれる。
言い聞かせるような、重い口調だった。
身を固くして返事をした私に、ルシウスはあの冷たい雰囲気の瞳を向ける。
光の加減で薄い水色とも灰色とも見えるその瞳は鋭く、ギラリと光った。
「これから身の回りのお世話をさせていただくルシウス・マルフォイでございます。
何かお困りのことがありましたら、すぐにお呼び下さい。」
「あっ、ありがとうございマス…!」
凛とした声、落ち着いた話し方。
ルシウスは流れるように話していく。
けれど、それらはどこか冷たく感じた。
何よりも、私に向ける瞳。
冷たくて、鋭くて、睨めつけられているように感じる。
…ルシウスは、私を信用していない。
それはもちろん重々承知だ。
初めて会った人間を、その日のうちに信用なんてできない。
それも、死喰い人であるのならなおさらそうだろう。
けれど、わかってはいるのだが、どこか寂しく感じてしまう。
何が、と聞かれれば答えられないが。
「…、あの…。」
勝手に、私の口は開いていた。
呼び止めるかのような私に、ルシウスは一瞬眉を寄せる。
つい、言葉に詰まった。
そもそも、私は何を言いたくて口を開いたのだろう。
無意識だった。知らず知らずのうちに言っていた。
目が回ってしまいそうなほど焦ってしまう。
何を言ったらいいのだろう。
訝しげに眉を寄せ、待っているように口を閉じているルシウスが目に入る。
とにかく、何か言わなきゃ。
「っ、えっと…。」
「…何でしょうか、アリスお嬢様。」
「…その、……"アリスお嬢様"って呼ばなくていいです。
…アリスって、呼んでください。」
「…。」
ルシウスの言葉で、はっと思い浮かんだことだ。
お嬢様をつけられると、なんだか自分が立派な家の娘に思えてくる。
けれど、実際はそんなことない。
だからアリス、と名前で呼ばれた方がしっくりくる。
…それに、ルシウスが"アリスお嬢様"と呼ぶと、なんだか遠くにおかれた気分になる。
壁をつくられたような、溝を掘られたような、一歩引かれたような。
それが何よりの理由かもしれない。
壁は、つくらないでほしい。
相容れない存在なんだと、思わないでほしい。
私はまるで乞い願うようにルシウスをじっと見つめた。
ルシウスは驚いたように目を見張り、奇怪なものを見る目で見てくる。
なんとなく顔を背けたくなったけれど、しっかりと目を開いて顔を背けないようにした。
ここで私が背けたら、ルシウスはずっと今のままだ。
そう自分に言い聞かせる。
やがて、ルシウスは訝しげに眉を寄せながら口を開いた。
「…わかり、ました…アリス。」
たどたどしいように感じたけれど、名前で呼んでくれたことが何よりも嬉しい。
私はつい笑顔をほころばせ、目を細めた。
「ありがとうございます…っ!」
「…ッ、」
そう言って微笑めば、ルシウスは緊張したように表情をかたくした。
冷たい瞳が、ゆらりと揺れる。
ルシウスの中の何かが揺らいだかのように見えて、私は眉を顰めた。
「…っ、どうかしましたか?」
体調でも悪くなったのだろうか。どこか痛いのだろうか。
迷ったような瞳を向けてくるルシウスが心配でしょうがない。
私がベッドから立ち上がり、近づこうとすると、ルシウス自身にそれを制された。
ルシウスの淡い色をした瞳は大分落ち着いていて、しっかりと私を見てくる。
「何でもありません。」
「…。」
凛としたその声で、ルシウスは言った。
けれど、それでも心配になる。
得体の知れない私に心配されるのが嫌で、うそを言っているのかもしれない。
眉を寄せてじっと見つめれば、ルシウスは薄く微笑んだ。
「本当です。何でもありません。」
その声も、表情も、瞳ですら、今までとは少し違った。
優しくなった、という言い方はどこか違う。
そう、あえて言うのなら、柔らかくなった。その表現が一番だ。
私は思わず目を丸くして、ルシウスを凝視する。
ルシウスが、柔らかくなった?
…私に対して?
信じられなくて、何度もまばたきをする。
でも、目の前のルシウスは夢でも幻でも幻覚でもなくて、"現実"だった。
薄い微笑みをうかべたルシウスがどこか眩しく感じる。
嬉しい。とても、嬉しい。
ほころぶ顔をそのままに、私は小さく口を開いた。
「えっと…じゃあ、1つお困りなこと、言ってもいいですか?」
「何ですか、アリス。」
私の呟くような小さな声にも、答えてくれた。
彼の、ルシウスの声もいくらか優しい。
柔らかくて、あたたかい。
これが本当の彼。本当の彼の一部。
さっき、真紅の瞳のあの人よりもルシウスの方が苦手かもしれないって思ったけど、やっぱり違う。
ルシウスは、苦手なんかじゃない。
私は目を細めて、ルシウスに向かって言った。
「敬語じゃなくて、普通に話してくれると嬉しいです。」
「…。」
「…ダメ、ですか?」
私がそう言うと、ルシウスは言葉を探しているように黙り込んだ。
私は何も言わず、彼の返事を待つ。
なぜか、断られてもいい気がした。
本当の彼が見られたのだからいいだろう、と思っている自分もいた。
けれど答えを早く聞きたくて、ゆっくりと首を傾げると、ルシウスはおもむろに微笑んだ。
その笑みは優しく、柔らかく、あたたかい。
「…それが貴方の望むことならば。」
甘い声で言われて、私は思わず誘われるように微笑んだ。
真紅の瞳をもった彼が、ルシウスを私の世話役にしたのには疑問を抱いていた。
けれどもうそれは気にならない。
むしろ、ありがたいくらいに感じてしまう。
ルシウスの優しい微笑みを見ながら、私はあの人を無意識に思い描いていた。
いつも信じてた
(あの彼が私を本気で追いつめないことには、心のどこかで気づいてた)
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