マルフォイ家の屋敷は大きく、威厳をもち佇んでいた。鉄格子の門を通り、背の高い垣根で造られたアプローチを進んでいく。

相変わらず立派な佇まいの屋敷に懐かしさが胸を突く。ふわふわと高揚するかのような心地に、身体が熱く、左手の甲の印が浮かされるように熱をもった。

大きな屋敷に感嘆しているかのような私にドラコは心なしか誇らしげにしていた。

屋敷に入ると身の丈が私達の半分程の小さな、お世辞にも綺麗や可愛いといった言葉に当てはまらないような生物がいた。コウモリのような長い耳、飛び出した大きな目、手足が出るようにして着ているのは古い見窄らしい枕カバーのようだった。

この生物は、長い年月その生涯ほどんどを特定の魔法使いやその屋敷に仕えている、屋敷しもべ妖精だろう。以前私がマルフォイ邸にいたときも仕えていたのだろうが、そのときは私が不安定なこともありあまり気にしてはいなかった。

裂けるほどに大きいその口からはキーキーした高い声が発せられた。



「っお帰りなさいませ、ご主人様、奥様、坊ちゃま!…っ、と、」



ボールのように大きなグリーンの瞳が私とナギニの姿を捉えた。大きな目がさらに大きく見開かれる。それこそ、ぽろっと落ちてしまわないか心配になってしまう程だ。

その声にルシウスは眉根を寄せた。いかにも煩わしそうにしながらジャケットを脱ぎ、シシーに手渡す。ずんずんと進みながら、さっとルシウスの進路から身を引いた屋敷しもべ妖精をわざわざ蹴飛ばした。

屋敷しもべ妖精にジャケットを渡さないあたり、間違えても"解雇"しないように、衣類をルシウスから屋敷しもべ妖精に渡さないように気をつけているに違いない。

蹴飛ばされた屋敷しもべ妖精は小さく呻きながらごろごろと転がる。ルシウスはその光景を一瞥して行ってしまった。シシーもドラコもその行為がさして気にする必要もない日常だとでもいうようにルシウスの後に続く。

その場で足を止めた私に、シシーもドラコも気にして声をかけたが、後で行くからと微笑みそこへ留まった。

私は床にのびている屋敷しもべ妖精へ足を向けた。ナギニが微かな声で私を咎めたのが聞こえたけれど、放ってはおけない。

持っていた旅行カバンを床に置き、屋敷しもべ妖精に手を伸ばし見た目の見窄らしさの通りに軽いその身体を抱え起こした。



「ねぇ、大丈夫…?」



ルシウスが力加減も気にせず蹴飛ばしたものだから、起こしてすぐはくらりと目を回していた。少しすると焦点が合い、まるでしゃっくりのような息を呑む音が聞こえた。

私を丸々とした目で見つめ、次いでナギニを見て恐れおののく。今にも締められ一呑みにされてしまうのではという恐怖が見て取れた。その姿にナギニがあまりいい気がせず、威嚇の声を出したのに気付いた。

私はナギニの目の前に手を差し出し、ナギニの気を少しでもそらす。ナギニは私を見て瞳孔をきゅっと縮めた。その姿が、余計なことに手を出すなと言っているようで、私は苦笑をこぼした。

屋敷しもべ妖精は震える甲高い声でうわごとのように呟き始めた。



「ぉ、お客様の前でとんだ失態を…、ご迷惑をかけてしまった…!ご、ご主人様に…、」



わなわなと唇を震わせてまで聞こえてきた声には恐怖の色がうかがえた。

私とナギニの姿を映している大きな瞳はただひたすらに夢中で、私達はもうその意識の外にいるのだろう。

どんな言葉をかけたらいいだろうと戸惑っていると、ナギニの興味をなくしたかのような冷たい声が聞こえてきた。



『憐れな召使いだね。』



屋敷しもべ妖精は仕えている"主人"に対して――たとえどんな魔法使いであっても――とても忠実だ。どんな命令でも絶対服従で、そうであることが名誉なことなのだ。

魔法族の屋敷しもべ妖精についての考えとルシウスの性格からするに、この屋敷しもべ妖精は先程のようにまともな扱いも受けていないに違いない。魔法族にとってそれは当たり前のことであるし、屋敷しもべ妖精にとってもそれ以外を求めるのは不名誉なことであるのだ。

とても不憫としか思えない姿に、私は口を噤んだ。ナギニの前に差し出した手をゆっくりと降ろす。

焦ったようにキョロキョロしだした屋敷しもべ妖精が、何をしようとしているのか見ていると、素早く階段に駆け寄りその手すりの子柱を強く掴み寄せたように思えた。



「ッ、ドビーは悪い子!ドビーは悪い子ッ!」

「ちょっ…!」



身体を大きく振るったかと思えば、その頭は子柱に勢いよくぶつかっていった。ゴン、ゴツンと大きな音をさせ呻きながら何度も身体ごと振るう姿に、思わず絶句してしまう。

自らへ叱声を浴びせながら頭を打ち付ける姿はとても奇妙だった。ナギニが耳障りだとでもいうように苛立たしげな声を上げた。

私ははっとしてその小さく軽い身体を抱き、信じられないほど強く掴んでいる手すりからやっとの思いで引きはがした。屋敷しもべ妖精は頭をくらくらとさせながらも、ドビーは悪い子、と繰り返す。



「っねぇ…えっと、ドビー…?大丈夫?」



しばらくそのまま頭を揺らしていたかと思うと、屋敷しもべ妖精は呻いて頭を抱えた。あまりにも思い切りよく頭を打ち付けていたものだから、たんこぶが出来てしまったに違いない。

赤く腫れだしているちょうど頭頂部にそっと触れると、ぎょろりとした目が正気に戻ったように私の姿を捉える。その瞳は丸々と見開かれ、その顔はまた恐れおののいた。

裂けているかのような大きな口がわなわな震えだしたのを見て、また同じことになるのではないかという予感があった。

するとその考え通りに、お客様に、といううわごとが聞こえたので、私は慌てて口を開いた。



「っ私は、大丈夫です。君は何も悪いことはしてないよ。」



そう。そもそもルシウスがこの屋敷しもべ妖精を蹴飛ばさなければ、こんなことにはなっていないのではないだろうか。そう思ったけれど、この様子ではそれ以外でもなってしまうだろうと思い直す。きっとこの屋敷しもべ妖精の性分なのだろう。

安心させるように微笑めば、屋敷しもべ妖精のうわごとはとまり硬直したかのように静かになった。

不思議に目を瞬くと、屋敷しもべ妖精の丸々とした瞳が潤んでいるのに気が付いた。今にも溢れそうな涙をその目一杯に溜めている。

驚いたのと同時に、屋敷しもべ妖精からはオンオンといううるさいほどの泣き声があがった。



「な、なんてお優しい…!ドビーは…ドビーめは、これまで1度も…そのような、お言葉を…っ。」



泣き声と共に聞こえてきたのは感激の言葉だった。特に気を遣ったような言葉でもないのにそんな様子になった屋敷しもべ妖精が、私は不憫に思えてならなかった。

しゃくり上げながら泣くその姿はまるで大きく醜い人形のようだった。それでも泣き続けているのをそのままには出来ず、私は落ち着くまでと骨張ったような背中をさすった。

狼狽える私の視界の隅ではナギニが呆れたようにとぐろを巻いてこちらを見ていた。

やっと落ち着いた屋敷しもべ妖精は、潤んでキラキラ輝く瞳でじっと私を見た。



「ドビーめは…お客様のような魔女に出会ったのは初めてでございます…。」



その瞳はとても純粋で綺麗だった。透き通るようなグリーンの瞳が輝いている。

私は屋敷しもべ妖精の言葉に、誘い込まれるように微笑んだ。

抱き上げていたその身体をゆっくりと降ろし、膝を折りしゃがんで視線を合わせる。



「お客様、じゃないよ。アリス。私はアリス・八神。」

「ド、ドビーめでございます…。」

「ん。ドビー、休暇の間よろしくお願いします。」



誘い込むように笑みを深くし小首を傾げれば、屋敷しもべ妖精は浮かされているかのように呟いた。

先程から呟かれていた名前がはっきりと名乗られ、私はにっこりと微笑みを向けた。そんな私のことをナギニはとても奇妙な瞳で見ていた。

やがて呆れたようにナギニが這い進んでいくので、私は荷物を持ち直しクスクスと笑いながらナギニの後に続いた。ナギニの向かっている先がルシウス達がいる場所だということは聞かなくてもわかっていた。

じんと胸を熱くしているドビーをふと振り返り手招きをして呼んだ。ドビーははっとしたように後を追いかけてきた。私が荷物を持っていることに悲鳴のような声を上げて受け取ろうとしてきたが、もてなされる立場ではないと思い断った。

階段を上がった先のダイニングホールにはルシウス、シシー、ドラコが待っていた。ドラコが私の姿を見るなり、隣に座ったらいいと勧めてくれたのでその言葉に甘えることにした。

ナギニは私の足元に置いた荷物の反対側に落ち着き、後からついてきたドビーは心なしかビクビクしていた。

ちょうど向かいに座った私に、シシーははっとして一層鮮やかな声を響かせた。



「そうだわアリス、あなたが過ごす部屋を整えたのよ。
あなたに似合うように可愛らしくしたの。きっと気に入るわ。」



シシーの言葉に、私は目を瞬いた。以前過ごしていた――もう何年も前のことだ。少なくとも、ドラコは覚えてない頃の――部屋をうっすらとした記憶の中から思い起こす。

ブラック、グレーを基調としたモノトーンで落ち着いた部屋だった。家柄を表すかのように上品で、こちらをもそんな心地にさせてくれる部屋だった。

その部屋をわざわざ私のために手をかけてくれたなんて。彼女達の優しさに、申し訳なさとそれを上回るほどの言いようのない嬉しさに笑みがこぼれる。

シシーは私の顔を見て整った顔を魅力的に緩めた。次いで視界の隅にひっそりと佇んでいたドビーに、その存在を許可したかのように視線を向ける。

開かれたその唇からは、いつも聞くものとは違う色のない声が発せられた。



「ドビー。荷物を、運んで、ちょうだい。」

「ぉ、奥様、ただ今!」



シシーの言葉にドビーは跳ね上がるようにして返事をした。そしてテーブルの足元に寄せてある私の旅行カバンを見てパチンと指を鳴らす。

ゆら、と旅行カバンの形がぼんやりしたかと思うとそのまま空気にとけるように消えてしまった。

シシーはその様子を艶やかなはずの色素の淡い瞳を細めて見ていた。次いでその鼻からふんという音が発せられ、何も言っていないのに冷たい言葉が聞こえてくるようだった。

そんなシシーの姿にドビーがビクついたのがわかった。恐縮し顔を俯かせ、ふるふると震えているように見える。

ルシウスとシシーが口を開く前に、と私は先行した。



「ありがとう、ドビー。」



私の言葉に、ドビーの身体はピタリと止まった。大きな瞳がゆっくりとこちらを見て、先程とは違う様子で震えだす。うるうるとした瞳が今にも溶け落ちてしまいそうだった。

ひとであれば、当たり前のことであるのに。種族の違いはこんなにも言葉に差を出してしまうものなのだろうか。

ルシウスもシシーもドラコも、とても奇妙なものを見るような顔をしていた。

魔法族にとっては、屋敷しもべ妖精が従順であるのは当たり前のことなのだ。そこに感謝を表す者はそういないだろう。

言いようのないその表情がどこかおかしく感じ、私はクスリと笑ってしまった。そんな私をナギニが呆れたように見ていた。



「…、私はマルフォイ家の人間じゃないから。」

「っ、まぁ、そんなこと…あなたはいつだって、ここにいていいのよ?」



奇妙さを紛らわせられるような言葉を言えば、シシーはどこかほっとしたように肩の力を抜いていた。

シシーから感じられる、当たり前が違わないことへの安堵に、私は苦笑し肩を竦ませた。しかしシシーのその言葉に嬉しさを感じずにはいられなかった。

ルシウスもシシーもいつも温かく迎えてくれるのだ。卿が失脚し行き場のなくなった時も、ホグワーツの休暇の時も、必ず声をかけ気にしてくれている。

それがこんなにも嬉しく愛おしく幸せだなんて。自然と、はにかむように顔を綻ばせてしまう。

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