回想6


その日俺は日直で、日誌を職員室の担任の先生に渡しに行った放課後の帰り道、廊下で見知らぬ生徒たちに絡まれていた。
きっかけは生徒たちがたむろっている脇を通りぬける際に、一人と肩が軽くぶつかってしまったことだった。俺はすかさず「すいません」と謝ったが、俺の顔を見た途端、その生徒が俺の腕を掴んで引き留めた。

「あれ、君、噂の転校生?名前なんて言うの?」
6人の生徒が興味深げに俺のことを見る。

──噂?っていうかこの状況…何?

「え、榎本です…」
6人の遠慮のない視線と居心地の悪い沈黙に耐えられず、俺は小さな声で自分の名前を言ってしまった。

「榎本くん?間近で見るとめっちゃ可愛いね」
「俺たちと遊ぼうよ」
「色白!睫毛なが!腰細!」

1人が掴んだ俺の腕を引っ張り、6人の輪の中に入れてくる。誰かの手が俺の腰に周り、俺はビクッと肩を揺らした。これは悪い予感がする。

「あの、俺これから用があるんで…」

本当は用などなかったが、その場から立ち去ろうと俺は嘘をついた。しかし男たちはそれを軽く流すと強引に肩を組んでくる。

「いいからいいから。場所移動しようぜ」
「いや、本当に──」


「橘」

どこかに連れていかれそうになったその時、背後から聞きなれた声がして男たちの動きを止めた。

「結城」

俺の肩を組んでいた男が後ろを振り向いて、驚いた顔をする。
そこには、無表情の先輩が立っていた。

──先輩?なんでここに…。
俺は久しぶりに見る先輩の姿に動揺するとともに、再びその姿を見れたことを嬉しく思ってしまった。先輩は、夏休み前に会った日から変わっていなかった。誰もが振り向いてしまうだろう美貌にスラッと長く伸びた手足。その甘く優し気な双眸は俺をまっすぐに見ていた。

「榎本はこの後俺と約束してるんだ。ね?」

先輩はそう言って俺に返事を促す。おそらく先輩はこの状況から俺を助けようと思ってくれているのだろう。俺は困惑しながらもコクコクと頷いた。はやくこの見知らぬ生徒たちから解放されたかった。

「ふうん。…ま、結城が言うならしょうがねーな」

橘、と呼ばれた生徒は先輩と面識があるのか、すぐ俺を連れて行くのを諦めてくれた。俺から腕を外し、周りの生徒を引き連れてその場から離れようとする。

「榎本クンまたね」

俺の腰を掴んでいた生徒が振り向いて俺に笑顔で手を振った。俺はぎこちなく会釈する。6人がいなくなり、俺と先輩だけがその場に取り残された。

──き、気まずい。
先輩は相変わらず俺をまっすぐに見ていた。その視線は痛いほど強い。

「あの…ありがとうございました」

先輩の視線に耐え切れず、俺は下を向きながらそう言ってその場を立ち去ろうとする。本当はもっといろいろ話したいが、もしこの場を吉野に見られたらと思うと気が気じゃなかった。

「それじゃ、俺はこれで」
「待って」
先輩は俺の腕を掴んで引き留めた。俺は目を見開く。

「少し時間くれないかな。朝と話がしたい」

先輩は瞳を揺らし、何故か必死な顔をしていた。その迫力に、俺は狼狽える。
──俺も、先輩と話はしたいけど……。


少しの間逡巡した後、俺はゆっくりと頷いた。







「ここ…」
先輩に連れられてきたのは、寮の一室の前だった。一度だけ泉くんに連れられて来たことのある上級生の階。もしかして、もしかしなくてもここは……。

「俺の部屋」
先輩は嬉しそうにそう言ってほほ笑む。
いや、先輩の部屋に入った所なんて誰かに見られたら、やばい。
吉野のせいですっかり親衛隊恐怖症に陥っていた俺はすかさず踵を返す。

「やっぱり俺帰ります」
「大丈夫、誰も見てないよ」
その俺の肩を先輩が掴んだ。

「いや、でも同室の人は…」
「今日は戻らないって言ってた」

しばらく先輩と無言で見つめあって、俺は息を吐く。先輩が学生証を翳して開錠し扉を開け、「入って」と促すので俺は何かを諦めてお邪魔することにした。



中は意外にも俺の部屋と全く構造が同じだった。先輩のその高貴な雰囲気から、勝手にもっと広い部屋で過ごしているのではと思い込んでいた。部屋の中は綺麗に片付いていて、あまり生活感がなかった。
ソファに座ると先輩が温かい紅茶を出してくれた。一口飲むと華やかな香りが鼻を抜け芳醇で上品な味わいがした。舌に自信のない俺でもそれが高級な茶葉であることに気づいた。

「……この紅茶美味しいですね」
「ほんと?朝が気に入ってくれて良かった。同室者が紅茶好きでさ、よく買ってくるんだよね」
「へえー」

──先輩の同室者ってどんな人なんだろう。
先輩は自分の分のティーカップを持ってくると、俺の隣に腰かけた。
いつも図書室でしか先輩と会ったことはなかったから、違う環境にいる先輩を見るのは新鮮で、少し緊張している自分がいた。紅茶を口に運ぶ先輩を横目で見る。その姿、育ちの良さを感じる仕草は息をのむほど美しい。

「あ、夕飯食べた?」
「いや、まだです」
「何かあったかなー」
「あ、大丈夫です。部屋帰ったら食べるんで」
キッチンに行こうと立ち上がろうとした先輩を引き留める。そんなに長居するつもりはなかった。

「…そう?」
先輩は少し不満そうな顔をしたものの、すぐにソファに座りなおした。


しばらく沈黙が流れ、俺はすることもなく自分の手を眺める。
──先輩と何を話していいか、分からない。どんな距離間で話せばいいのか。本当に、先輩は俺を邪魔だと思ってるんだろうか。でも邪魔だと思っている人を、自分の部屋に呼ぶ?



「なんで急に図書委員辞めちゃったの」

先輩が飲んでいたティーカップを机に置いて突然そう言った。
俺の心臓がドキリと鳴る。急に居心地が悪くなって、俺は両手を握りしめた。

「いつまで待っても朝来ないし、委員長に聞いたらやめたっていうし」

先輩を見ると、暗い表情をしていた。
──え?あれ、鏡、先輩に何も言ってないのか?

「──もしかして静に何かされた?」

先輩の鋭い視線が刺さる。俺はその名前にビクリ、と肩を大きく揺らしてしまった。先輩はそれを見て俺の方へ身体を向ける。

「やっぱり…何された?まさか…殴られたりしてないよね?」
「されてません!ただ…少し忠告されただけで」
「なんて?」
「……」

どうしよう。どうすればいいんだろう。言っていいのか?
吉野のあの憎悪に満ちた顔がフラッシュバックする。吉野と先輩の板挟みで、俺の頭の中はぐちゃぐちゃだった。

「言って」

先輩が俺の手首を掴む。いつも優し気で穏やかな顔をしている先輩が、眉間にしわを寄せ、見たことのない程険しい表情をしていて俺は動揺する。

「せ、先輩には近づかないでほしいって」
「……は?本当あいつ…」

先輩は舌打ちをした。そして自分の髪の毛をガシガシと乱暴に掻いた。相当怒っているようで威圧感が凄まじい。
初めて見る先輩の姿に俺は呆然としてしまう。

──ということは吉野の言ったことはすべて嘘?よく分からないけど先輩が怒ってるってことはそういうこと?
俺は一気に全身の力が抜ける。

「なんか最近俺によそよそしいと思ったんだよな」
先輩はそう言い、俺を見つめるとその腕を伸ばしていきなり俺を抱きしめてきた。

「ちょ、えっ」

先輩の体温が上半身全体に伝わってきて俺はドギマギしてしまう。いつも左隣から香っていた先輩の花のような甘い匂いがすぐそこから香ってきて、抱きしめられているという事実を突きつけられる。艶々した綺麗な黒髪が俺の耳元をくすぐった。離れようと身じろぐが、先輩の腕は俺を離さなかった。

「ごめんね、怖い思いさせて」

耳元で優しくそう言われ、俺は身体の動きを止める。思わず顔に熱が集まる。

「先輩、」

「静は俺の幼馴染で、度を越した心配性なんだ。あいつ口が達者だから、なんかうまいこと言って朝のこと唆したんだろうけど全部嘘だから」

度を越した心配性…。俺は泉くんの姿を思い浮かべた。でも泉くんと吉野はタイプが違う心配性な気がする。
ぎゅ、と先輩が腕に力を込める。

「俺、朝が来なくなって寂しかった」

本当に辛そうにそう言うから、俺は胸が締め付けられる。自分の腕を先輩の背中に恐る恐る回すと、先輩の腕の力が強まった。
──あれ、先輩ってこんなに細いんだ。
直接触れて初めて分かった先輩の華奢さに、俺は目を見開く。


先輩が突然バッ、と俺の肩を両手で掴み元の位置に戻した。

「朝、明日からお昼一緒に食べよう」
先輩はいい遊びを思いついた子供のように笑った。

──え?なんて?

「無理です」
「なんで?静のことなら俺が何とかする」
「一緒に食べてる友達もいますし…」

先輩と一緒にお昼ご飯なんて、リスクが高すぎる。そもそもどこで食べるんだ?食堂?いや、絶対無理。

「お願い。俺が高等部いくまででいいからさ」
「……」
高等部行くまで…。あと五か月くらいか。短いようで長いような。

「ダメかな?」
先輩はその綺麗な顔を惜しみなく利用して、俺に同意を求めてくる。…だめだ、俺はこの綺麗すぎる顔に弱い。

「……いいですけど、どこで食べるんですか?」
「うーん、そうだな。人目に付かないところがいいから…、視聴覚室にしよう」

視聴覚室って、どこだっけ。俺が校内図を頭に思い浮かべていると、先輩が近くにあったメモ帳とペンを取って何かを書き出した。

「これ俺のメアド。携帯持ってるよね?」
「はい」
「じゃあ今日にでもメールして。朝のも登録しとくから」
先輩はそう言うと、二つ折りにした小さい紙を俺に渡した。見れば、楷書のような綺麗な字でメールアドレスが書いてある。

──先輩と連絡先交換。
嬉しくて、俺は口元がにやけてしまう。

「はやく交換しとけばよかったね」
先輩が俺の頭に手を置き、髪の毛を撫でた。

「そうだ、前に朝が面白いって言ってた本の新刊出たよ」

先輩はそう言って立ち上がり、どこかに行くとたくさんの本を持って帰ってきた。ドサ、と机の上に置くと、どこだったかな、と言って探し始める。
その久しぶりに見る先輩の活き活きとした楽しそうな姿に、俺は思わず笑ってしまった。

「朝」
先輩が、驚いたように俺を凝視する。

「先輩?」
動かしていた手を止めて、先輩が俺に近づいてきた。手が伸びて、壊れ物を触るように俺の頬を撫でる。

「朝が笑ったとこ、初めて見た」

嬉しそうに、幸せそうに目を細め俺を見つめる先輩に、俺は困惑する。

頬を撫でていた先輩の手がゆっくりと移動して、耳の裏をなぞり、髪を撫で、そして頭の後ろに回った。近づいてくる先輩の顔に完全に身体が硬直した。



──その時、ドン、ドンと部屋の扉を激しく誰かが叩いた。




back 29/33 go


top


人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -