私は七海くんが過度に心配になる程、弱くなんかない。そういう思いが強すぎて体に不自然に力が入っていたんだろうか、その日の任務は大怪我をしてしまった。
意識が戻った時には私は硝子先輩の治療を受けていて、視界の端で七海くんが心配そうにこちらを見ていた。
その視線にさらに惨めになる。そして少しだけ気まずい。そう、いつもならなんともない任務だったんだから。ただ、ちょっと考え事をしていただけなんだから。
硝子先輩は私の治療を終えると、七海くんに向かって、休息が必要だから手短に、といって医務室を出て行った。
「そんなに難しい任務でしたか。みょうじの実力なら家入さんの治療を受けるほどじゃなかったと思いますが」
「少し考え事をしてて」
「呪霊相手に考え事をするほどの余裕があるんですか?」
ベッドサイドにある椅子に腰掛けると思っていたら、椅子の横で腕を組んで七海くんは座らなかった。私は上半身を起こしていたけど、七海くんを見上げる気にはなれず自分の手元で握りしめているシーツに目線を止めた。
「……」
余裕なんてない。でも、考え事をさせるような言動をした七海くんが悪いのに、とついつい責任転換の言葉が出そうになって再びシーツを握りしめる。違う違う。これは私の油断が招いた失態だろうに。
「何か言ったらどうですか」
「……何か」
七海くんの望み通りの言葉を言ったのに七海くんは、舌打ちをした。それから息を深く吐いた。深く長く。まるで私を責めてるみたいでグッと肩身が狭くなる。
「今後は補助監督をしてください。先生にはもう伝えてあります」
「え!」
信じられない。何勝手に私のことを決めてるの! と七海くんの顔を睨むと暗い瞳と目があった。
まさかそんな表情をしているとは思っておらず、つい動揺してしまって「勝手すぎる! どう言うつもりなの!」という私が言いたかった言葉は音にならなかった。息を呑み込んだ。
七海くんは私の顔をじっと見つめた後無言で医務室を立ち去った。私は頭痛が襲ってきそうだった。一体どう言うつもりで七海くんはそんなことを先生に掛け合ったのか、私の意思は、とか考えるべきことが増えてしまって、今夜も十分に寝れそうになかった。
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先生に掛け合うと、気分転換に補助監督をしてみればいいと言われてしまって、補助監督としての最初の任務を言い渡された。
不満はあったけど、この任務をした後に呪術師に戻して貰えばいい。それに呪術師も万年人手不足ではあるが補助監督だって同様だ。どちらの仕事もできていて損になることはないし、補助監督の仕事を知ることで、今後の呪術師生活に活かせるものが学べるかもしれない。そう思っていた。
補助監督の補助という体裁で私は一つ下の後輩と車に揺られて、任務先にやって来た。
車の運転はできないので、運転以外の業務ではあるけど。
資料集めをして、現地視察、呪術師の送迎、国への申請、報告書類や、申請書類の作成など。
口頭で教えてもらった補助監督の仕事は多岐にわたったが、とりあえず私は呪術師もしていたので、補助監督補助としての最初の任務は呪術師の送迎と帳を下ろすことだった。
言葉にすると簡単に聞こえるが、帳を下ろす前の一般人の避難誘導であるとか、視える一般人に対しての説明だとかやることはいっぱいあって、なかなかに大変だ。
私は結界術が上手い方だからと、帳を下ろさせてもらって、そのあとは帳の境界線の近くにいる一般人をその場から遠ざけることをし続けて駆けずり回った。広範囲の帳は呪術師にとれば行動範囲が広がっていいかもしれないが、補助監督の仕事の負荷を考えると少し考えものかもしれない。そんな課題を考えつつ、四方八方に声をかけにいく。
一体中はどうなっているんだろう。順調に任務遂行できているだろうか、と気になったので左右を見渡して、誰も咎める人がいないことを確認して帳の中に飛び込んだ。
やっぱり私は呪術師の仕事がしたいのだ。後輩の成長具合も気になるし、と理由をつけて自分の行動を後押しした。
すると眼前にまず飛び込んできたのは血の跡。次に酷い匂い。
状況は見るからに呪術師側の不利を伝えていた。残穢を辿って後輩の元にたどり着くが、ぐったりとしていて目を覚さない。
「伊地知くん! 伊地知くん! しっかりして! 何があったの!」
伊地知くんが目覚めるよりも先に、私が彼の上に倒れ込む方が早かった。躯幹を一差し。
なんとか、私の腹から飛び出す呪霊一部を筋肉に力を入れて留める。これで私が下敷きにしてしまった伊地知くんが怪我をすることはない。2人揃って釘刺しになる必要はないのだから。
私は脂汗の止まらない体を叱咤して、呪霊を祓った。やっぱり補助監督より呪術師がいいと強く思った。目の前に救える命があるのであれば、真っ先に体を動かしたい。帰ってすぐに先生にそう言おう。七海くんがなんと言おうと、先生がどう判断しようと、私は呪術師がいいと。
私は騒動を聞きつけて飛んできた家入先輩の顔を見て「珍しいですね。先輩が高専から出るなんて」と言った。
家入先輩が早めに手当てをしてくれたから、私は元気溌剌だった。それに躯体貫通はままあることだし、そこまで酷い位置を貫通した訳ではなかった。家入先輩も「綺麗に穴開けてくれたね」と言っていた。
でも、顔色の悪い伊地知くんに気を遣って、補助監督が運転する車内で家入先輩と世間話をせず、静かに揺られて高専に帰った。
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「伊地知くん。無理せずゆっくり休んでね」
未だ血の気が戻らない伊地知くんの背中をさすりつつ、家入先輩と一緒に寮に送り届けようとしたら丁度寮を出てくる七海くんとすれ違って、腕を強く引っ張られた。
「なんですかそれ」
七海くんは私の腕を痛いぐらいに握りしめて、家入先輩が直したばかりの傷跡を睨みつけていた。
制服が切れて肌が見えてしまっていること以外は特に特記することはなく、日に焼けてない私の腹部だよ、と言うしかない。
前回ボロボロになった制服を捨てたばかりだったのに、今回の制服も可燃ゴミ行きだ。
多めに制服の予備を発注してもらわなくては。
「怪我したんですか」
「少しだけ」
七海くんは今回も何かが気に食わないらしく、眉間の皺は今まで以上に深く刻まれていた。
「迷惑です」
「え?」
「だから、迷惑だと言っているんです」
「私、七海くんに迷惑なんかかけてない」
「みょうじが呪術師でいること自体が迷惑なんです。弱いくせにへらへらと任務を安請け合いして」
「今までそんなこと思ってたの?」
「そうです。弱いみょうじの存在が迷惑だと」
いつのまにか伊地知くんを部屋まで送り届けた家入先輩が七海くんの名前を呼ぶ。七海くんはその呼びかけを無視した。
「私はただ……!」
私はただ、灰原くんがいなくなってしまって、七海くんに追いつきたくて、七海くんだけの負担を増やしたくなくて、一緒に強くなりたかっただけなのに。
言葉がちょっときつい時もあるけど、それは心配してくれているからだと知っていたのに。
でも今回の七海くんの言葉は本当に私のことが嫌いだと言うことがひしひしと伝わってきて、思わず涙が出そうになった。
私は七海くんと呪術師を頑張りたかっただけなのに。これ以上灰原くんのような犠牲を出したくなかっただけなのに。七海くんも同じ気持ちだと思っていたのに。どうしてそんな。
「今すぐ呪術師を辞めてください」
ぴしゃりと言い切った七海くんの瞳には怒りが満ちていて、胸が苦しくなった。
「七海くんの馬鹿! 木偶の坊! 人でなし! もう知らない!」
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こんな酷い人が同期だとは思わなかった。七海くんがこんな酷い人だと今まで気が付けなかった。悔しくて涙が出る。
こんな人がいるところではこれ以上やっていけない。
大切だったのに。大切な同期だったのに。ただ一緒に強くなりたかっただけなのに。灰原くんがいなくなってしまって、頑張らないといけないと強く思ってその思いが身を結びそうだったのに。こんなことってない。悔しい。
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「みょうじ?」
懐かしい声に呼ばれたと思った。でも、懐かしいとは思ったけど一体それが誰の声だったかうまく記憶の中の人物が引っ張り出せなくてキョロキョロと周りを見渡して、目立つ人物を見つけた。
「五条さん?! お久しぶりです?」
「やっぱりみょうじだったね。今何してるの?」
「しがないOLですよ。あのビルで働いてます」
私が指差す先をチラリと見て五条さんはチェーン店の1番甘いと思われるであろうドリンクを片手にふーん、と相槌を打った。
「OL兼窓ね」
「知ってたんですか!」
「もちろん。優秀な窓がいるって噂になってるよ。その窓が元呪術師のみょうじだってことは僕ぐらいしか気づいてないと思うけど」
「ならよかったです」
「だって、みょうじ窓の業務してる時出来るだけ目立たないようにしてるか、情報を流すだけで補助監督とかにほとんど顔合わせないじゃん」
「当たり前じゃないですか!」
「七海のことがあるから?」
「わかってるならわざわざ確認しないでくださいよ」
「その七海だけどさ」
一体七海くんに何があったのか。一応同期をしていたし、一緒に呪術師を頑張っていた仲だ。全く気にならないと言ったら嘘になる。
あんなに酷いことを言われて傷つけられたのに、私は彼の無事をずっと願っていたのだ。
七海くんの顔をこれ以上見たくなくて、あのまま高専を中退し、その辺の高校に転入した。それから今に至る4年間、呪霊のことを考えなかった日はない。
そういえば見習うべき正義感と誉められそうではあるけど、呪術師を辞めてしまった身なため、派手に活動するのも憚られるし、かと言って冥さんのようにフリーランスで働くのもできなかった。
また七海くんがあの怖い顔をして迷惑だと言ってくるんじゃないかと不安だったから。
「呪術師辞めたよ」
「え? どうしてですか! 酷い怪我でもしてしまって?」
「いや、高専を卒業して大学に編入した」
「そうですか」
なら安心した。でも、自分が呪術師を辞めるのであれば、私にあんなに酷いことを言わなくてもよかったのに。少し強いからって人に指図して。
七海くんが呪術師を辞めたのであれば私はこれからこそこそ窓を続ける必要はないどころか、むしろ呪術師に出戻ってもいいんじゃないかと思えてくる。
五条さんをチラリと見上げれば、ストローにちゅうちゅうと吸い付いてた。
飲む? とカップを渡されそうになって、そんなひどく甘いもの飲んだら消化不良を起こしそうだと遠慮した。
「今から呪術師に戻るのってできますか? その、あの、五条さんパワー、とかで」
「もちろん。みょうじがその気ならいつでも。このまま高専にいく? 迎えがそろそろくるけど」
「行きます」
「まあ、みょうじは2級の実力あったし、戻って肩慣らしに任務受けつつ、座学も並行して受ければすんなり元の感覚を取り戻すよ。それに僕、教師だし、なんでも頼ってよ」
「え! 五条さん高専の教師になったんですか! ちゃんと先生できてます?!」
「なかなか失礼だよ。でも、ま、僕はGLGだから大丈夫」
「容姿は関係ないと思いますけど」
駅前のロータリーで会社に電話をかけて体調不良で休むことを告げ、やってきた高専の車に五条さんと乗り込む。
よいしょ、と乗り込めば一見すると高専関係者にみえない私のことを運転座席から補助監督が身を乗り出して姿を確認した。
「みょうじさん!?」
素っ頓狂な声を上げた補助監督は伊地知くんだった。呪術師をやめて補助監督になったんだ。私は知り合いが残っていることに少し感動してしまった。
「伊地知くんお久しぶり。 元気にしてた?」
「ええ、まあ、はい。いえ、それよりもどうしてここにいるんですか?」
「伊地知察しが悪い! もちろん呪術師に出戻りするからに決まってんじゃん」
「えぇ! そうなんですか!」
「うん。これから改めてよろしくね」
「こちらこそよろしくお願いします」
伊地知くんは慇懃に挨拶を返してくれて、安全運転で高専に戻るのかと思いきや、所々スイーツショップやお菓子屋に寄って買ってきた物を全て五条さんに渡していた。
「あれ、五条さんオフの日に伊地知くんとスイーツショップを梯子するぐらいの仲になったんですか?」
「今日はオフじゃないし、出張帰りで高専に一旦戻るところだけど」
「え、でも、さっきから寄り道しすぎじゃないですか?」
「僕特級だよ! これぐらいはさ、権利だよね」
「そうですか」
伊地知くんは一刻も早く仕事を済ませたいだろうに、と労りの目線を向けると、深く頷いていた。なるほど、日々五条さんのわがままに付き合わされてるみたい。