意識が朦朧としている。きっと痛みを感じているのだと思う。寒さのせいかもしれない。そのせいで気が遠くなっているということもわかっている。けれど、そんなことは重要なことでもなんでもなくて、ただ、幸福感に満たされていることに気がついた。

幸せだ。こんなに幸せだったことはない。

ああ、傑。
あなたに会えて本当によかった。
大袈裟だけど、私はあなたに会うために生まれてきたの。だから傑と過ごした日々はとても大切でキラキラしていてかけがえのないものだった。

何もかもが好きだった。何もかもが愛おしかった。
朝起きた時のぼんやりしている表情だとか、私が思っているより、手を繋ぐのが好きなところとか、引っ付くのが好きなところとか。

一緒に生きてくれてありがとう。私と結婚してくれてありがとう。今までずっと変わらずに幸せにしてくれてありがとう。本当に大好き。

ふわふわとあたたかくてかけがえのない日常がわっと脳内を占める。
ああ、あんなこともあった、そんなこともした。そういえば怒られたこともあったっけ。
怒ったり笑ったり、悲しんだり喜んだり嬉しそうだったり傑のいろんな表情がめぐる。ああ、やっぱりどの傑も堪らなく大好きだな、と浸っていると、ぐんっと一層に寒さを感じた。本当に寒い。満足に体が動かない。ただ寒い。

:

「はぁ? 倒れた?」

海外の長期任務から帰ってきた夏油の第一声である。
丸一日以上藤原から返事が来なかったな、とそれだけが気がかりだった。
日本の空港に着いてから、藤原から連絡がなかったことの理由を知ったのは家入からの連絡があったからだ。
携帯の画面を開いたままの夏油に声をかけるのを辞めようと決意を固めるほど怖かったと送迎に赴いていた伊知地はのちにそう語る。

国内から特級が1人減るということは、国内の一級呪術師たちが日夜大量の任務をこなしても首が回らないような事態になる。その分国内にいた特級の五条が頑張ってくれてはいたが、彼の体は一つしかなくどう足掻いても一級以下の呪術師の負担は増えるのだ。
藤原はそんな事態に対して進んで任務を受けた。
「傑がいないのであればその分私が頑張る。ありとあらゆる任務を回すように」と愛する夫を笑顔で見送った後、すっと表情を戻して補助監督に言い放ったのだ。

任務中は時差もあって、自身の愛妻つまり藤原も任務に立て続けにアサインされていたので、国際電話をする時間もあまりなく、互いが眠りきっているであろう時間帯に日々の出来事を一つ二つ程度のメッセージを送るぐらいだった。
タイムラグがあるやりとりに物足りない気持ちと寂しさは募るが、それを動力にさっさと任務を終わらせようと気合を入れることができたのは事実だ。

「どうして倒れたの?」

もうすっかり藤原の主治医が板についている家入に電話でそう尋ねる。成田から高専までは距離がある。その間に藤原が今一体どのような状態か把握しなければ気が気でなかった。
もし万が一、なんてことがあれば長期任務にアサインしたことを一生後悔してもしきれないほど、呪術界、主に上層部に今までにない震撼をあたえるのもやぶさかではないと考えていた。さて、一体どの呪霊が1番適任だろうか、と手持ちの呪霊を思い浮かべる。
家入は夏油の鋭い声音に臆することなく、今日の昼食のメニューを頼むみたいに言った。

「不養生」

「は?」

「呪霊の毒気にやられた、傷が深い、そういった外的要因じゃないよ。ただの不養生だ」

ぐぐぐ、と家入は手を伸ばし凝り固まった筋肉を伸ばすと、パキパキと気持ちの良い音が鳴った。
ベットの上で眠る藤原を眺め、今回の任務の調査書を見比べて、はぁ、とため息をつく。

「調査書にある通り、今回の任務は一級レベルじゃない。いつもの伊吹なら余裕だっただろうね」

確かに送られきた調査書は、さして難しいものではなく、藤原が学生の頃でもこなしていた程度の難易度だ。
どうして不養生で倒れることになったのか家入に尋ねようとしたが「私も伊吹の治療で徹夜明けなんだ。私も伊吹の後に続いていいのか?」なんて言われてしまい、夏油はぐっと押し黙るしかなかった。

:

目を覚ますと、暗い視界と身を包む肌感からああ、ここは医務室か、とすぐに理解した。
難しい任務ではなかったのに、ミスをしてしまったな、と自省するしかない。一級なのにとんだ体たらくを晒してしまった。
きちんと呪霊を祓った感触はあるから、任務のことに関しては心配いらないだろう。家入には謝るとして、一体何時間寝こけてしまったのだろうか。

時間を確認するために手を伸ばす。
体が酷く重い。いやはやこんなに体を酷使した記憶はなかったのだけれど、ひょっとして無理をしていたのか。もう気力だけで任務をこなせるような年齢ではなくなってしまったのだろうか、とは言ってもまだ20代だし、つい先日高専を卒業したばかりと認識しているのに。

サイドテーブルに置いてある時計に手を伸ばそうと体をひねり、精一杯、指先まで力を入れ、うんうんと本格的に格闘するまえに、すぐそば、耳元でうぅん……、と唸り声が聞こえた。

はっとしてそちらを見た。
傑だ。傑がいる。任務終了予定日より数日早い。いや、私がその数日間医務室で世話になってしまっていたのか? 
そもそもなぜ1人用のベッドにぎゅうぎゅうになって一緒に寝ているのか。

こんがらがる思考はとりあえず一旦おくことにした。
身を傑の方によじり、顔をまじまじと見つめる。暗くてよく見えないから、片手でそっと顔を撫ぜた。肌艶は悪くないよう感じる。痩せたような様子もない。任務先でも元気にやっていけていたようだ。
メッセージのやり取りでそのことはわかってはいたし、傑は私には嘘をつく人じゃない。尽くしてくれる人だから心配はしていなかったが、やっぱり実際に健康そうな傑を見ると酷く安心した。

「伊吹……、なんで?」

夢心地で、時差ボケで曖昧な意識の中、傑は一生懸命眠気に争っていた。その証拠に、目を開けようとしてもなかなか開けられずぐっと眉間に皺を寄せている。
その姿がかわいくてつい笑みが溢れる。ああ、本物の傑だ。嬉しいな。やっぱり大好きだ。

「なんで不養生なんかで倒れたの……?」

え? 私、任務でミスをやらかしたのではなく、自己管理の杜撰さから家入の世話になってしまっていたのか? なんてことだ。申し訳ないな。家入も激務だろうに。そんな家入より先に私が倒れてしまうなんて申し訳が立たない。

「ご飯ちゃんと食べてた? 睡眠は? 休暇は?」

だんだん脳みそが覚醒してきたのか、傑ははっきりとした物言いで、ぎゅぎゅっと私の体に回している腕に力を込めた。

ご飯は、きちんと3食食べていなかった。だって、傑がいない家で料理をして、今日は味付けに成功した。傑にも是非食べてほしいとお皿に盛り付けをしても、あぁ、傑は海外だったと急に美味しさを失ってしまうし。それを自覚すると心なしか出来上がった料理も彩りを失ってしまった気がするし。
自分で作るのは悲しくなるのなら外食で済ませようとしても、美味しいと共有できる傑がいないし、1人で黙々と食べることに苦痛さえ感じた。いつも食事は傑と一緒にしていたし。こんなこと、結婚する前までは、一緒に暮らし始める前までは一切思わなかったのに。一緒に食事できるだけで幸せで、できない日に対して苦しくなることなんてなかったのに。
任務の間にささっと済ませることはあっても、必ず傑とのご飯の時間は1日に一回はあったし、そのときに、任務の間に食べたものが美味しければ傑にも伝えることができたし。
そんな私を見かねた五条がケーキを買ってきてくれたこともあったが、傑がいないし、記念日でもなんでもない日にケーキなんて食べる気分になれない。五条には七海や灰原と食べるように伝えると、は? と不満げだったのはこの際おいておこう。
五条なりの思いやりだったのだろうか、いや、彼にそういう意識があるかどうかは怪しい。ただの気まぐれだろう。

傑がそばにいない食事は苦痛だった。そもそも人間は必ず3食食べなければいけないという決まりはない。数食抜いたぐらい、そんなことでは簡単に死なない。だから、食事は極力取らずサプリメントで補っていた。それに、食事の時間が減ることでよりこなせる任務の数が増えたので万々歳だったし。
休みなんかいらなかった。傑がいなければ休みを取る理由がない。休みを取る暇があれば、一つでも多く任務をこなして、他の呪術師の負担や死亡率を下げたいし。

傑がそばにいないだけで私の日常は色褪せてしまって、そんなになるまでずっと傑と片時も離れなかったのかと思うとむず痒くなる。
半年ぐらい離れていたこともあったのに、今ではそんなこと考えられないのだ。
大好きだ。何よりも誰よりも。私の生きる理由で、私を生かしてくれる存在そのもので。そんな傑が少し海外に行ったぐらいでこんなに上の空になるなんて思ってもみなかったのだ。
やっぱり傑は最高なのだ。ここまで夢中にさせてくれる人はやっぱり傑しかいないのだ。だから離れた時の心の痛みがひどい。

「伊吹、教えて? どうして倒れたの?」

きっと傑は私の体たらくに少しばかり怒っていると思う。自己管理もままならないのか、と。でも、それを辛抱して、優しく尋ねてくれる。傑は優しいな、本当にそういうところが大好き。

「寂しくて……」

「うん?」

ぎゅうぎゅうと私を抱きしめていた腕の力が緩くなる。それからぐっと引き寄せられて向き合うような形になった。

「私がいなくて寂しくて、食事も喉を通らなかったってこと?」

「うん」

情けないことにその通りなのだ。大好きな傑がそばにいないだけで私は基本的な生理的欲求を満たすことを疎かにしてしまう。
そんなときはロボットみたいに任務だけこなせればいいのに、そこは人間なので難しい。

はぁーー……と傑は長く息を吐いた。
それからフフ、吐息の漏れる気配がした。

「伊吹が倒れた原因に喜んでいる場合じゃないけど……」

うーん、と今度は渋い声を出す。
私が困らせてしまっているみたいだ。けど、久しぶりの傑のいろんな姿を見れて嬉しい。渋い声はなかなか最近聞かなかったし、珍しさもあって、嬉しさが込み上げる。いつもの穏やかで優しい傑が大好きだけど、いつもと違う一面がみれるのはたまらなく嬉しい。あぁ、私は傑と一緒に過ごすようになってより一層欲張りになってしまったみたいだ。
大好きだ。本当に大好き。

「明日は私がご飯を作るよ。たくさん食べてね」

「ダメ」

「ダメ?!」

任務明けでどれだけ時間が経っているかわからないが、傑はクタクタだろうに。そんな傑に家事労働をさせている場合じゃない。ゆっくり休んでほしい。体の余裕は心の余裕に繋がるのだ。

「伊吹、私は思っているよりタフなんだ。それに、一緒にご飯を食べるのを楽しみにしていたんだ。その楽しみを奪ってのいいの?」

「わかった。たくさん食べる」

傑は私と同じように、一緒に食事ができないことを寂しいと思っていてくれたのか。嬉しい。やっぱり傑は私を喜ばせるのがうまい。
そういうところが本当に大好きだ。

幸せだ。こんなに幸せだったことはない。傑と過ごす毎日がとんでもなく幸せ。

ああ、傑。
あなたに会えて本当によかった。
大袈裟だけど、やっぱり私はあなたに会うために生まれてきたと強い確信を持っていえる。
傑との日々は綺麗な瓶に閉じ込めてずっと抱えていたい。時々眺めてはそのキラキラ光る暖かい思い出に浸りたい。けどそんな暇はきっとない。
だって、傑がそばにいれば、胸に抱いた思い出を振り返る時間なんてない。傑とのこれからを迎えたいから。

何もかもが好き。何もかもが愛おしい。

一緒に生きてくれてありがとう。私と結婚してくれてありがとう。今までずっと変わらずに幸せにしてくれてありがとう。本当に大好き。この日々がこれからもずっと続くことが堪らなく幸せ。なんども感謝を伝えさせてね。それから大好きという言葉もなんども伝えさせて。

傑、ありがとう。本当に大好き。


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