「五条、五条って最強だよね」

「そうね」

「時間戻してくれる? 3分だけでいいから」

「流石の僕でもそれは無理かな」

「……」


:


今日は2月3日だ。世間一般には節分だとかで盛り上がりスーパーにも鬼の仮面と大豆が並ぶ。豆まき? 恵方巻き? そんなもの今は必要じゃない。そんな世間一般の行事なんてものどうだっていい。そんなことよりも傑の誕生日なのだから。傑の誕生日を豆と巻きごときで済ませるわけにはいかない。何があっても。
この日のために半年前から冥さんの伝で関係者以外は予約を断っている知る人ぞ知るパティスリーに誕生日ケーキを予約したし、2ヶ月前からは、和洋折衷のオードブルを予約したし、もしかしたら中華が食べたくなるかもしれないと思ってそれも追加で注文した。歌姫先輩には京都の特選物をお願いした。それと同時に任務の調節もし始めた。2月3日は絶対に傑と過ごせるように。加えて1ヶ月前からは傑のことを知っている人々、主に高専関係者ではあるけれど、傑にお祝いのメッセージを都合が合えば伝えて欲しいとお願いして、忙しい日々を過ごしていたと思う。いや、全て傑のためを思っての行動だったので、忙しいと思うどころか充実していた日々だった。
これもなにも、傑に最高の誕生日を過ごして欲しかったから。

傑に死んで欲しくないから頑張って頑張って、そしたら頑張った成果が報われて、それから奇跡みたいなことが起こって、私と傑は結婚することになったし、傑は呪詛師にはならなかったし、非呪術師を猿とは呼んでいない。

無事に2017年を過ごして、2018年も乗り越えた。嬉しいことに傑は今日で32歳になった。32歳だ。27歳から5年も経っている。涙が出そうだ。ぐっと込み上げる幸福を目を閉じて宥める。幸福をはじけさせるのは今じゃない。この幸せを与えてくれたことに感謝しなくてはいけない。本人の前で。だから、募りに募るふわふわした気持ちは貯めておく。これは誕生日のお祝いの時に精一杯の笑顔と美味しい料理と共に感謝を傑に述べるために置いておかなくてはいけない。

残念なことに当日は任務が入ってしまったけれど、半日あれば事足りる。そんなに大変な任務じゃない。朝から晩までお祝いしたい気持ちはあったけれど、節分は文字通り季節の変わり目であり、邪気が生じると信じられている。だから呪霊がうまれるのは仕方がないといって仕舞えば仕方がなかった。
せっかく五条に頼んで傑の任務を引き受けてもらったのに。私も1日休暇を貰うはずだったのに。
でも、わがままは言ってられない。私が少しでも多くの呪霊を祓えば、みんなの、傑が護りたいと思っている人々の負担が減る。
仕方がないので渋々、本当に渋々、本当は嫌だけれど、任務を引き受けることにした。

スマホの画面を見つめながら黙り込んだ私に傑は「夜はたっぷり楽しもう」と言って送り出してくれた。
なんてできた人だろう。最高すぎる。こういうところが大好きなのだ。物分かりが良すぎるんじゃないかとも思うけど、傑はきちんと私の気持ちを汲んで、自分の気持ちも考えた上での優しい言葉なのだ。

私はたまらなくなって、傑をぎゅぎゅっと抱きしめてから、ベッドルームを後にした。


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走っている。自分が出せる最大スピードで走っている。
心臓がねじ切れるんじゃないかというほど心拍数が上がっている。もう破裂してしまいそう。でも、それほど心臓に負荷をかけなければ、店が閉まるまでにケーキを受け取りに行けない。
和洋折衷のオードブルは灰原に取りに行ってもらうように頼んだ。中華は七海に頼んだ。
五条は傑が今日行くはずだった任務に行ってもらっているし、家入には申し訳ないけれど、料理のセッティングを頼んだ。
あとは私がケーキを受け取りに行くだけなのだ。

:


任務自体は予定通り終わった。ただ事故が起きた。私たちの前を走っていた車のタイヤが外れたのだ。そのせいでハンドル操作が不可能になった運転手は車の制御ができなくなって、歩行者の方に突っ込んでいこうとしたから、補助監督に車体をぶつけるように指示をした。ありがたいことに伊地知はその指示に素直に従ってくれて、蛇行していた危険な車を停止させることができた。
日々の点検を怠っているからタイヤが外れるのだ。この野郎! どうしてこんな日にそんな面倒事を起こしてくれるんだ! と憤って問題の運転手に文句を言おうとしたら、運転席で伸びていた。こんなちょっとの衝撃で意識を飛ばすなんてけしからんやつだ。と膨れ上がった怒りをぶつける先をなくしてしまったので、力いっぱい拳を握りしめることしかできなかった。
それから警察が来て、事情聴取をされたが、それの長いこと。仕事なのはわかる。詳細を隈なく聞かなくてはいけないこともわかる。わかる。わかるけど、今は時間に余裕がない。伊地知と協力的に事情聴取を受けていたが、何度も何度も同じ質問を言い方を変えて聞いてくる。今回の事故がいわゆるトラウマになってしまうんじゃないか、今後の精神に影響を及ぼしてしまうんじゃないかと心配してくれているらしかったが、そんなものは無用なのだ。
だって私たちは目の前の原型をほとんど失ってしまった車よりも凄惨で醜悪な現場が日常なのだ。今更そんな心配をされたって意味はない。そんな必要は皆無だ。

ギリギリまで我慢したが、これ以上は耐えられない。
伊地知にあとは頼む、と言い残しその場から離れた。警察官から静止の声をかけられたが、伊地知のそれを諌める声が聞こえた。申し訳ない気持ちはあったが、それよりもケーキを受け取りに行くことがなにより優先しなければいけなかった。
閉店30秒前に着き、息も絶え絶えで名前を告げケーキを引き取った。それから、事情聴取の終わった伊地知と合流し、電車で高専に帰った。

なんとか今日しなければならないことは、イレギュラーがあったものの遂行し、あとはケーキをテーブルの真ん中に置いて、傑におめでとうと言うだけだ。
灰原も七海も料理をきちんと受け取ってくれていたし、家入と一緒に準備をしてくれていて、夜蛾先生はいいお酒を用意してくれていた。あとは予定が合えば合流するといっていた、虎杖を含めた教え子たち。
盛大な誕生日会にするぞ! と意気込んでケーキをケーキボックスから取り出して、慎重に運ぶ。みんなで食べると思ったから大きめのホールケーキを頼んだ。慎重に、傾けないように支える。

「伊吹ー、そろそろ準備できたでしょ」

間延びした声を出しながらやってきたのは五条。
五条は傑と共にやってきた。まだ準備はバッチリじゃない、取り急ぎ部屋から出て行って欲しかったが、全神経を集中させてケーキを支えていたから、その言葉はすぐに出なくて、どうしよう、と焦ってしまって傑に意識を向けてしまった結果、足も手も滑らせた。

バシャっという音がした。

恐る恐る現状を確認する私が見たものはスポンジと生クリームを浴びた傑の姿だった。
そしてバランスを崩した私を支えようと伸ばしかけられている傑の両腕。

「五条……本当に3分だけでいいから」

「だから、いくら僕でもそれは無理だって」

五条が申し訳ないと思っているのか、真剣な声音で返事を返してくれてたあと、パァンと火薬の弾ける音と共に「誕生日おめでとうございまーす!」と虎杖がやってきた。

「え、何この空気」

「虎杖!」

戸惑う虎杖を釘崎が小声で叱咤する。伏黒は今にも悲鳴を上げんとする美々子と菜々子の口を塞いでいた。

「なんで誰も悠二に空気の読み方教えてやらなかったんだよ」

「高菜」

「まあ、それが悠二のいいところでもあるしな」

真希、狗巻、パンダがぼそぼそと会話し、乙骨はあはは、と冷や汗をかいていた。
その会話を最後に、この場は静寂に支配された。

誰も動かなかった。否、動けなかった。ここにいる誰もが私が傑の誕生日をお祝いするのを心待ちにしているのを知っていたから。
灰原も七海も家入も五条も、祝いに来てくれた生徒や先生、他の呪術師や伊地知含め補助監督も全員が静かに息を潜めることしかできなかった。
お祝いされるはずの当事者である傑も、もちろん私も何も言えなかった。ただただ私の心の中にこの日までにたくさん膨らんでぷかぷかしていた風船がことごとく破裂してしまった感覚のみが私の心うちに響いた。

「僕が悪かった」

「いや、五条は何も悪くない。何も。私が悪い」

耐えきれなくなった五条がぼそり、と謝罪を言い切る前に、私は言葉を被せた。
五条は悪くない。悪いのは私だ。だって全ての準備が滞りなくすすめられ、あとは私がケーキを定位置に置くだけでよかったのだ。それが、自分自身の不注意で手も足も滑らせてしまった。これは私の責任だ。浮かれすぎた私が起こしてしまったことだ。私が気を引き締めていればよかったのだ。そうすれば傑にケーキを浴びせることなんかなかったのに。こんな奇妙な体験をみんなにさせることもなかったのに。

「ごめん」

謝罪は一体誰に対してだったのか。罪悪感を抱かせてしまった五条に対してだったのか、準備の協力をしてくれたみんなにだったのか、それとも目の前の傑にだったのか。恐らく全て、なのだろう。自分の不甲斐なさにどうしようもなく嫌気がさした。

「……」

「伊吹、このケーキすごく美味しいよ。準備してくれてありがとう」

傑の服に食べられたといっても過言ではないケーキを掬って食べた傑はそう言った。

「私は伊吹が私のために一生懸命準備してくれたことが何よりも嬉しいよ。ケーキを伊吹から浴びせられる経験も初めてだったしね」

「すぐる……!」

大大大好きだよ! お誕生日おめでとう! と泣きながら傑に抱きついた。傑はおっと、伊吹もケーキまみれになってしまったね、と優しく笑いながら背中を撫でてくれた。

「生まれてきてくれてありがとう。本当に大好き」

「フフ、私も伊吹のこと大好きだよ」

やっぱり傑は人が出来すぎている。
本当に優しいし、かっこいいし素敵だしたまらない。いつまで経ってもずっとずっと好きなのだ。この気持ちは色褪せることはなく、むしろ日に日に気持ちが深まり輝きが増す。本当に傑に出会えてよかった。

「準備をしてくれて嬉しいのは本当だけど、実を言うと美味しい料理とか特別なケーキとかは必要ないんだ。私は伊吹と一緒にお祝いできればそれでいいんだよ」

私はその言葉を聞いてより強く傑を抱きしめた。
傑をお祝いするために一生懸命頑張ったけど、傑は私の予想を遥かに超えて最高の人だった。私も傑がいればあとは何もいらない。今までも大好きで、これからも大好き。傑、本当にお誕生日おめでとう。年を重ねた傑もたまらなく素敵だよ。


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