なんで死んじゃったんだろう。
 あんなに優しい人が。いや優しすぎるから死んじゃったんだ。
 死んで欲しくないな。でも、彼は彼の人生を歩んだから、そこに部外者の私がどうこう言えることじゃない。
 私が彼に生きてほしいと思うのは私のわがままでしかない。
 
 心の底から笑ったことがない。そんなクソな世の中早く死ねたほうがいいよね。
 来世に期待したほうがいい。
 でも、どうしたって私は、彼に生きていてほしい。
 醜いエゴだってことはわかってる。彼に対して何にもならない。苦しめるだけだと思う。でも自分のしたいことをしたい。私は彼に死んで欲しくない。
 
 どうやったら死なない? どうやったら生きていてくれる?
 天内理子の任務に行かなかったら原因はできないし、九十九由基に会いさえしなければ非呪術師を殺す発想も生まれなかったでしょ。だったら私がすることは、何がなんでも自分のエゴを通すことだ。
 
 過酷な任務をすることで彼が心身共に成長するとか、そんなことどうだっていい。彼が生きていてくれさえすればいい。生きて、自分が守りたいと思った人間だけを守れればそれでいい。非呪術師なんか助けなくたっていい。手の届く範囲だけでいい。自分をすり減らしてまで他人なんか助けなくていい。
 
 彼を生かすことに成功したとして、一体それは私が好きになって恋焦がれた夏油傑なのかとか片隅の私が囁くが、そんなこと今はどうだっていい。
 そんな馬鹿な考え、彼が生きていないと始まらないのだから。
 何がなんでも自分の命以外何を引き換えにしても彼に生きていて欲しい。生きていてほしいのだ。
 
 
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 そんな気持ちが生まれたのは確か私が物心つく頃だっただろうか。
 
 とりあえず両親がいて、きちんと学校にも通わせてくれる恵まれた家庭に育った。家族関係は安定していてネグレクトに走る両親ではなかったし、私は五体満足の健康体だったし、私にとってありがたい環境だったといえる。
 呪霊が見えないこと以外は。
 
 呪霊が見えなければ夏油を救えない。
 高専に入れない。呪術師になれない。彼を救えない。何もできない。自分の醜いエゴさえ押し通せない。
 
 せっかく平成元年に生まれて、夏油たちと同じ年に生まれたことを感謝したのに、このままじゃ、原作と同じように、夏油は非呪術師を猿と呼び始め、五条悟に殺され、死んでしまう。
 
 私の知らないところで彼が苦しんで苦しんでいっぱいいっぱいになって死んでしまう。耐えられない。
 それじゃあ意味がない。私が夏油傑に対しての記憶と感情を持ち合わせて今に至る理由がない。
 これはいけない。何がなんとしても夏油傑に近づかねばならないのに。
 せっかく調べて東京のどの辺に東京都立呪術高等専門学校があるか調べたのに。高校は絶対にここに行くと決めている。
 
 でも、呪霊が見えなければ意味がない。本当に意味がない。どうしたものかと思う。
 禪院真希のようにダサイ眼鏡をかけるべきだろうか。でも彼女は禪院の血筋ということと、呪霊の存在を認知している家系に生まれたからこそできたことだ。
 ただの一般家庭でぬくぬくと育った私が呪力の篭った眼鏡をどこで手に入れることができるというのか。全くわからない。
 
 そうなれば、もう死ぬしかない。
 死に際に呪霊が見えるようになったというケースにかけるしかない。
 でも死んだら夏油を生かすことができない。
 死なない程度に死ぬしかない。自殺未遂するべきだ。
 飛び降り自殺か? 失敗すれば骨折どころか脊椎損傷で一生歩けない体になるかも。
 じゃあ首吊り自殺か? これなら、首を吊す紐に切り目を入れておけば、大丈夫。失敗する確率も高いし後遺症もあんまり心配しなくて良さそう。
 それがうまく行かなかったら服薬自殺か。
 心臓に対しての後遺症が心配だけど、早いうちに救急車呼べば大丈夫。一命は取り留められる。お医者さんには申し訳ないけど、そうするしか呪霊を見る方法がないから、許してほしい。
 私は死にたいんじゃなくて、生きて夏油を生かしたいだけなんだから。
 
 
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 結論から言うと自殺未遂は全て失敗。首吊り、服薬、飛び降りとかありとあらゆるのを試してみたけどダメだった。
 
 あんなに痛くて苦しくて死んでしまうような思いをしたのに私の生きたいという気持ちが強すぎたのか、やばくなるギリギリ手前で自殺するのを止めてしまって本当に情けない。
 お前はそんな甘い覚悟で夏油を救おうとしていたのかと反省した。
 でもやっぱりできないものはできない。二回目のチャレンジも考えたけど、一回目失敗してしまったので二回目もびびって失敗してしまうに決まってる。情けない。
 
 それに、両親が精神病院に入れようと裏で動いている気配を察して全部やめることにした。
 健常な娘を精神病院に強制入院するのはだめだ。お医者さんと看護師さんに余計な仕事を増やしてしまうし、両親だってご近所さんからなんと言われるかわかったもんじゃない。
 ちょっと受験に疲れて、気が狂ってましたごめんなさいと両親に誠心誠意謝って、今はどうやったら呪霊が見れるようになるかばかりを考えている。
 
 でも、考えているだけのこのままじゃ呪霊は見えないままだし、高専に入学もできない。もう中学三年生だから猶予もない。
 クラスのみんなはどこの学校を受験するだとかそう言う話題ばっかりで、死について考えてる私とは全然違うのだ。どうやったら呪霊が見えるようになるんだろう。
 
 もう、高専に乗り込んで、呪術師になりたいと駄々をこねるしかないかもしれない。
 夜蛾正道は優しいから、学校前でうだうだと呪術師になりたいと駄々をこねる人間がいればワンチャンいけるかもしれない。
 
 
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「四人しかいないんだから仲良くしろよ」
 夜蛾先生はそう言って自己紹介をするように勧めた。
 
 結局のところ私は、不審者が学校に入ってきて、殺されそうになったところで視界の端に蠅頭を見た。
 そこからはこのまま死んでたまるかと言う反骨心と、夏油を生かすんだという執着心の賜物で、犯人を返り討ちにすることができ、私は救急車にのっていつもの救急へと運ばれて無事数針縫うだけの怪我で済んだ。五体満足。後遺症もない。
 あるのは希望だけ。あと、傷痕。
 
 両親は嫁入り前なのにと、しおしお泣いていたが、私が今世を生きている理由の全ては夏油傑を生かすためだけなのだから、誰かと懇意になって結婚するなんてこと毛頭ないのだから安心して欲しかった。
「五条悟」
「私は夏油傑。よろしく」
「家入硝子。よろしく」
 端に座っている五条悟から順番に自己紹介と言えないほどの短い挨拶をして、私も彼らに倣い、名前を告げた。
 
 夏油傑が元気に生きている。それだけで、死ぬ気で高専に入った甲斐があるというものだ。
 それだけで頬が緩むというもの。
 神様仏様夏油傑に合わせてくれてありがとう。今日はケーキでも食べようか。
 記念日の名前は、夏油傑が健やかに生きている記念日だ。
 
 
 :
 
「術式はなんだい?」
 夏油がそう言った。
 別に私の術式を知ったところでどうにもならないよ。教えるつもりもないよ。でも、人の良さそうな仲間内にだけ見せるような表情をされると、彼は私の推しなのだから、心が揺らいでしまう。
「呪詛師向きの胸糞悪い術式だよ」
 そう言うのでいっぱいいっぱいだった。
 五条も夏油も家入の術式も同級生全ての術式を知っているのに私だけ秘匿にするのは憚られたが、彼らが私の術式を知ったところで、彼らの任務遂行に役立つかと言われれば、否。私の術式で彼らが救えるかと言われれば、否。私の術式で夏油を救えるか? 答えは否だ。
 全く役に立たないクソ術式だ。誰も助けられない。だから教えるつもりはない。恥ずかしい。
「ああ、悪い」
「みんなみたいに胸を張って言える術式を持ってない私が悪い。謝る必要はない」
 夏油は事あるごとに私を心配してくれた。それはきっと私が夏油の周りをあまりにもちょろちょろしているから目に入るついでに声をかけているんだと思うけど。
 私は夏油に話しかけられて天にも登る気持ちで舞い上がっているのだけど、それを相手に伝わってしまうと私が羞恥心のあまり死んでしまうので我慢している。
 その様子が苦しそうに見えるみたいでいつも夏油が心配してくれるけど、そんな優しい夏油が好きだった。絶対に生きてほしい。死なないで。
 
 夏油はやっぱり優しいと強く思ったのは任務が被るのが三回目の今日だった。
 術式を使いたくない私は呪力を拳に乗せて、殴り祓うというスタイルだったのだけど、手が痛いし、何より殴ったときの感触が気持ち悪い。
 それに気づいた夏油は刀とか、弓矢、拳銃とか、私が直接拳を使わなくても呪力を纏って使えばいいものを教えてくれて、夜蛾先生に言えばそういう類の武器を貸してもらえると教えてくれた。やっぱり優しくて素敵だなと思った。
 
 補助監督生が運転する車内で、夏油を肩を並べて座る。嬉しくて嬉しくてたまらなかった。推しが五体満足でそばにいる。
 私はちょっぴりヘマをしてしまって、右腕が胴体から千切れそうだったけど、夏油が心配そうな顔をして私の右腕が千切れないように力一杯握りしめてくれていた。
 圧迫止血だ。
 推しの手と腕が合法的に私に触れている。嬉しくてたまらない。でもこのニヤニヤを外に出せない。
「気を確かに。高専に戻ったらすぐに硝子に治してもらえるから、それまでの辛抱だ」
「うん。ありがとう」
 夏油がぎゅうぎゅうと強く傷口を押さえつける。私は夏油が近くにいる興奮でアドレナリンがドバドバ出てるみたいで一切痛みを感じなかった。気を確かに保てない。でもそれは仕方ない。
 むしろ幸せだった。夏油が私の心配をしてくれている。やっぱり死ぬ気で高専にきてよかった。絶対に彼を呪詛師になんかしない。
「夏油は優しいね」
 ポロリと心の声が漏れてしまった。あっ、と思ったが、くっつき過ぎてそのまま一人の人間になるんじゃないかというほど近くにいるので、夏油にこの呟きを拾われないわけがなかった。
 
 夏油は心中複雑そうな顔をしていた。誰だって目の前で知り合いが血を流してたら心配ぐらいするだろう。
 失言だったなと思い、今にも胴体からサヨナラしそうな右腕を見る。夏油が凄まじい力で押さえつけているのにも関わらず血がじわじわと制服に染み込んでいた。
 そりゃ、夏油のそばにいる事で私の心臓がバクバクしていて暴れているのだから仕方ない。恥ずかしいな。と思いはするが、同時に夏油の私の血で真っ赤に染まった手を見ると居た堪れない気持ちにもなる。
 
 人の体液なんて触れて気持ちいいものなんかじゃないだろうに。
 
 ああ、早く解放してほしいよね。任務で疲れた体に、怪我した同級生の介抱させられるなんて。申し訳がない。
「すみません。もうちょっと飛ばしてもらえますか」
 夏油の言葉は丁寧だったが、額に青筋が見えた。
 そうだよね。腕の中で血をだらだらと流し続け、冷たくなる同級生。気味がわるいよね。早く解放されたいよね。
 冷たくなっている自覚はないんだけど、目蓋が重いし、夏油が、眠っちゃダメだと優しく諭すものだから低体温症になってるんだと思う。血の流し過ぎ。それは私が興奮しているから。申し訳なさすぎる。
 
 補助監督生の人ももうすぐです! と言って赤信号を駆け抜けたから心配になる。そんなことしたら警察官に捕まってしまう。いくら、高専が莫大な権力を持って箝口令を敷けるとしても、ちょっとやそっとのことを揉み消せるのも知ってるが、そこまでしなくても今回は大丈夫。
 
 はあ、私が興奮してるせいで死にかけてるの本当にウケる。
 
 でも私は夏油が生きるのを確認するまで死なないので大丈夫。安心してほしい。夏油を生かすために今までいろんな自殺をしてきたから、本当に大丈夫。ちょっとやそっとのことで死なない。信じてほしい。
 口を開こうとすると、キッと夏油が睨むので、念ずるだけになってしまうが、本当に信じてほしい。私は死なない。
 夏油を生かすまでは殺しても死なないから本当に。
 
 
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 目覚めたらよく知った天井だったし、お馴染みの匂いに包まれていた。つまり消毒液の匂い。
 
 上半身を起こして辺りを見渡すと家入が机にで寝ていた。
 任務が無事終わり、夏油の声を子守唄にとろとろ意識か沈みかけていた時間は確か日付が変わる時間帯だったと記憶している。
 そうなれば、深夜草木も眠る時間に家入は叩き起こされて、同級生の怪我を治す羽目になったというわけだ。申し訳ないな。反転術式を使えない私の不甲斐ないこと、この上ない。穴があったら入りたい。
 
 重いな、と思っていたら夏油が私の胸のあたりを枕にして寝ていた。
 その顔と手は、茶色く変色していて、たぶんというか、きっと確実に私の血だ。
 推しの顔が私の血で汚れてるなんて恐れ多い申し訳ない。
 
 薄暗い室内。私の血と言えど、血で染まった顔に、硬く閉じられたまぶた。地雷だ。
 血に塗れた夏油傑。これはよくない。夏油傑の最期を連想してしまう。
 
 夏油を起こさないように、彼の顔を撫ぜる。乾燥して固まった血はその軽い刺激でポロポロと彼の顔から剥がれる。
 何度も何度も手を往復させて、彼の綺麗な顔がちゃんと見えるまで血を落とす。
 
 あまりにも綺麗な顔をしているので、ちょっと怖くなって、彼の手首を取る。
 トン、トン、トン…と規則正しく脈打つのを確認してやっと安心する。
「生きてる」
 うん、よかった。とひとりでに安心して私はいよいよ入眠した。


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