風が雲を集めるように


 瑞香には家族がたくさんいる。父と母、それから兄と妹、さらには父方の祖父と祖母が、翹英荘にある実家で暮らしている。実家は茶屋を営んでおり、茶畑に浮かぶように建っている。特に今の時期は茶摘みの最盛期であり、家族総出で茶を摘まなければ追いつかないほどなので、璃月港の明星斎で働いている瑞香も呼び戻され、家業を手伝うのだ。
 これは、血の繋がりのある家族の話。
 瑞香には血の繋がらない家族もいる。神の目の扱い方や戦いかたを教えてくれた、師と呼ぶべき女性だ。同じように、彼女を師と慕う姉弟子と、妹弟子が少なくとも二人はいる。寝食を共に過ごし、厳しい修行を共に耐え抜いた彼女たちと瑞香の間には、実の家族とはまた違う絆がある。
 それから、幼い頃から傍にいてくれている玉ガメのことも忘れてはいけない。普通の玉ガメとは違い、甲羅の宝石が紅翡翠のように赤いゆえに、仲間たちの群れから一匹離れて衰弱しているところを瑞香が助けた。それが縁のきっかけだった。それからは、どんなときも一緒にいてくれる瑞香の頼れる相棒になった。種族は違えども、大切な家族だ。
 血の繋がっている家族とは違い、血の繋がっていない家族にはそれぞれの生活がある。改めて全員が揃うことはあまりないが、年に一度、必ず顔を合わせるときがある。

 そして、今日がその日。瑞香たちの師――留雲借風真君、俗世の名を閑雲と名乗る、璃月を見守る仙人の一人の誕生日である。

「申鶴!? そ、その、手にしているものは……?」
「スライムのピュレだ。これを隠し味にすると良いと教わったのたが」
「そ、それは香菱だからこそ扱えるのかもしれません。私たちは普通の食材を使いましょう」
「ふむ。甘雨先輩が言うのならば、そうしよう」

 璃月港に住まいを構えた閑雲の家の厨に、賑やかな声が響いている。
 瑞香は表情を緩めながら卓の上に茶器を置いた。柔らかく白い湯気が立ち上っている茶器からは、仄かに甘い花の香りがする。
 閑雲は眼鏡の奥で翡翠色の瞳を瞬かせ、瑞香を見上げた。

「これは海灯祭の時期に妾が遺瓏埠で買った茶か?」
「ええ。十缶で半額の謳い文句につられて、ね」
「こ、コホン! しかし、あれは花茶ではなかったはすだが……」
「そろそろ味や香りに飽きが来た頃だと思って、お花を少し混ぜてみたの。どう?」
「そういうことか。……ああ、実に良い香りだ」

 閑雲は香りを堪能したあと、翠の色がのった唇を茶器の縁につけた。なだらかな喉が上下にゆっくりと動き、細い息が唇から漏れる。瑞香が隣に腰かけると、閑雲は茶器を卓へ戻し、視線を厨のほうへと投げた。

「甘雨と申鶴も、こちらへ来て座れば良かろうに。料理ならば妾のからくり調理神器が作ってくれる」
「自分たちの手で作りたいのよ。だって、今日は私たちの師匠の誕生日なのだから」
「ふん。誕生日など今まで何千日と迎えてきた。今さら祝って何になるというのだ?」
「まぁまぁ。話し相手は私が務めるから。ね? 師匠」

 何が面白くなかったのか、閑雲の整った眉の間には微かに皺が刻まれた。

「その“師匠”というのはいつまで続けるつもりだ? 妾たちの関係を表す言葉として、他に適切なものがあろうに」
「いいえ。正しいわ。だって、今生で私は人間として生まれ、貴方を師として色んなことを教わったのだから。……昔からの縁はもちろんだけれど、瑞香という人間の生も大切にしたいの」
「……姿は変われども、その本質は変わらぬな」

 ふわり、と閑雲は表情を和らげると。

「よかろう。では妾も師としての態度で接しよう」

 その手を伸ばして、瑞香の薄香色の髪に触れた。そのままゆっくり、一回、二回と繰り返し、髪を梳くように頭を撫でる。
 大人になってからというもの、褒められたことはあっても頭を撫でられることなどほとんどなかった。実の母親にすらいつ撫でられたのか忘れたくらい昔のことなのに、閑雲は瑞香が身動ぎしているのもお構いなしに頭を撫で続けている。

「な、なに? 恥ずかしいのだけど……」
「ふふ。妾は師で、お前は弟子。そう言うのならば、誕生日を祝ってくれる弟子を師が可愛がるのは当然であろう?」
「うう……敵わないわ。師匠には」
「師匠ー!!」

 可愛らしい声と靴音を響かせながら部屋に飛び込んできたのは、漱玉だった。わぁ、と瑞香が小さな歓声をあげる。その小さな手には、野花を編んで作られた花冠が握られていたのだ。

「漱玉。その花冠はどうした?」
「えへへ。ヨォーヨと一緒に作ってきたんだ! だって、今日は師匠のお誕生日だから! ヨォーヨは用事があるから来られなかったけど、師匠におめでとうって伝えてほしいって言われたの!」
「そうか。ありかとう、漱玉。ヨォーヨにも今度礼を言わねばな」
「できました!」

 そして、厨のほうからも達成感に溢れた声が聞こえてきた。料理がのった盆を両手にのせた申鶴が、卓の上に一品ずつ並べていく。卓はすぐに料理で隙間なく埋まり、食欲をそそる良い香りが部屋中に広がった。

「良茶満月。玉紋茶葉蛋。それから仔鳩の茶葉燻製。留雲真君のリクエスト通り、茶葉を使った料理をたくさん作りました。これでよかったのでしょうか?」
「うむ。たくさん茶葉を使ってくれたのだな」
「スライムのピュレは入れていない」
「で、ですから安心してくださいね! 素材はともかく、味が美味しいかはわかりませんけど……」
「何を言うか。お前たちがこうして集まり、妾を祝ってくれるということに意味がある。そうであろう?」

 これで準備は整った。丸い卓を全員で囲み、主役である閑雲の頭には花冠が飾られる。そして、祝辞を任された瑞香は弟子たちを代表して、お決まりの言葉を閑雲に贈る。

「お誕生日おめでとうございます。私たちの師匠!」

 閑雲には家族がたくさんいる。しかし、閑雲との間に血の繋がりはない。閑雲は自分を慕ってくれる者や孤独な命に手を差し伸べ、時に母のように優しく、時に師として厳しく、愛情をもって彼女たちを育て上げた。
 愛情をたっぷりと注がれた閑雲の弟子たちは、彼女の誕生日になるとみな彼女のもとに集まり、その日を祝う。翼を広げて羽ばたいていった弟子たちが、自分のために集まってくれるこのときを、閑雲は何よりも愛おしく思うのだった。



2024.04.11




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