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わたしの地獄にきみはいない

朝目が覚めて、すぐ隣にあたたかい体温を感じる。おはよう、と小さく話しかけるとぴくりと小さく動く。呼吸に合わせて動く手足と穏やかな寝息に自然と頬が緩んだ。柔らかく膨らんだ頬も、ゆっくりと上下する腹部すらも可愛らしいことこの上ない。この世界の他の何者にも代えられない存在を、心の底から愛おしいと思う。



「なぁ、昨日一緒にいたヤツ誰だよ」
「はい?」

久しぶりに会ったかと思えば、挨拶もなしにムスッとした顔で突然質問を投げかけられた。場地は前に近所に住んでいた年下の幼馴染で、もうずっと小さい頃から知っている悪ガキ。マイキーと春千夜も含め、半分弟みたいな存在だった。とはいえ年頃の女の子の部屋にベランダから侵入するのはどうかと思う。いい加減玄関から入りなよ、と言いながらベランダに続く窓を開けて招き入れた。

「で、昨日のヤツ誰だよ」
「……彼氏だけど」

人生3人目の彼氏、サッカー部の白井くん。クラスで1番背が高くて、顔も割と好み。付き合って昨日でちょうど2ヶ月だった。「記念日だし、どっか寄って行こうよ」そう言われて学校帰りに2人で街をぶらぶらしていたところを、どうやら場地に見られていたらしい。あ、彼氏いるのに他の男の子部屋に入れちゃった。白井くんこういうの煩いんだよなぁ。クラスの男子と話していただけで嫌そうな顔をする彼氏のことを思い出して、小さく溜息をついた。

「彼氏、いんの」
「え、うん」

なに、急にどうしたの?と聞いても場地はわたしの質問には答えてくれない。相変わらず機嫌の悪そうな顔で、何か考えているようだった。

「同じ学校の奴?」
「うん」
「…そいつのこと好きなのかよ」
「まぁ、付き合ってるんだから好きか嫌いかで言えば」
「その程度で付き合うもんなの」
「別に、一緒にいるうちに好きになるかもしれないじゃん…」

まるでわたしを責めるような場地の口調に、言い返した言葉がどんどん尻すぼみになっていく。実際白井くんのことは特別好きというわけではなかった。告白されたからなんとなく付き合っているだけ。好き同士で付き合うなんて、その方が稀だと思っていた。どちらか一方が好きで告白して、付き合っていくうちにお互い好きになるっていうお決まりのパターン。実際自分の周りでもこの方が多いと思うし、これまで付き合った相手はみんなそうだった。本気で好きになる前にみんな別れてしまったけれど。

「別れろよ、そんな奴」

わたしから目を逸らして場地が小さくそう言った。長い髪からちらりと見えた耳が赤い。え、えー…なに、場地ってそういうことなの。えー、かわいいところあるじゃん。

「なんで?」
「なんでも」
「もしかして場地ってわたしのこと好きなの?」
「は!?誰もそんなこと言ってねぇだろ!」
「はは、顔真っ赤」

揶揄うように、可愛いなぁ、と言えば突然後頭部を掴んで引き寄せられ、唇に柔らかい何かが触れた。

「黙れよ」

付き合ってもいないのに、なんならこっちは彼氏もいるのにいきなりキスなんて、普通なら一発平手打ちぐらいかましてもいいと思うんだけど。真っ直ぐにわたしを射抜く場地の視線に捕らえられて、言葉が喉に張り付いて出てこなかった。

1歳差って、このぐらいの年頃には結構大きくて。だって場地は去年まで小学生で。乱暴な言葉遣いとか態度とか長い髪だって、全然わたしの好みのタイプじゃないし。普通にない、と思っていたのに。ていうか顔だけならマイキーとか春千夜の方がタイプだし。でも、真っ赤になった顔を誤魔化すようにそっぽを向いた場地のことを可愛いと思ってしまった時点で、わたしの負けだった。だってわたし、白井くんのことをかっこいいとは思うけど可愛いなんて思ったことない。



「彼氏と別れたよ」

あれから数日後、今度はわたしから場地の家へ行った。我ながら馬鹿な女だと思う。ころっと他の、それも年下の男にオチて彼氏と別れるなんて。友達にも「勿体ない!」と言われてしまった。でも勿体なくてもなんでも、わたしにはもうこの目の前の無粋な男が可愛く見えてしまってるんだから仕方ない。

「ンだよその顔…」
「別れたいって言ったら叩かれた」

昨日、彼氏に別れたいと告げるといきなり頬を叩かれた。「あ、ごめん…!でも俺、名前と別れたくない…っ」と泣きながら言われたけれど、手を出された時点でアウトだ。頬の腫れはすぐには引かなくて、今もまだ赤みが残っている。湿布を貼ったところに場地が指先で触れると、ちり、と少しだけ痛んだ。

「…そいつぶっ殺してくる」
「もういいから」
「よくねぇだろ!」
「そんなことより、わたし場地が別れろって言ったから別れたんだけど」

今にも家を飛び出してしまいそうな場地の手を握る。わたしに何か言うことないの?と聞けば、彼はふいっと顔を逸らしてしまった。でもチラリと見えた耳はやっぱり赤くなっていて、胸の奥が擽られるような感覚。どうしよう、場地がめちゃくちゃ可愛い。

「俺と付き合えよ」
「その前にもう一つ言うことあるでしょ」
「…好きだ」
「うん、わたしも」

「場地のことが好き」そう言ってもう一度彼の手をぎゅっと握り直すと、そっとわたしの手を引いて、静かに唇を重ねられた。いつも乱暴な彼らしくない優しい口付けに、心臓がきゅうっとなって、今度はわたしからキスをした。



場地の部屋に珍しく少女漫画が置いてあった。それを手に取りパラパラと捲る。あ、これちょっと面白そう。気付けば読み込んでしまって「続きは?」と聞けば「それ千冬の」と返された。

「ふーん」
「なに」
「別に。最近その『千冬くん』ばっかだなって」

わざとらしく拗ねた声を出すと、めんどくさそうな顔をした場地が「めんどくさ」と声に出した。分かってるよ、言われなくても。

「まだ何も言ってないけど」
「顔に書いてあんだよ」
「なんて?」
「千冬にヤキモチやいてるって」
「そんなこと、「あるくせに」

場地の少し雑なキスも、嫌いじゃなかった。でもわたしの機嫌を伺うような、ちょっと甘い口付けの方が好きだった。畳の上に寝かされて、何度か唇を合わせているうちにどんどん深くなるそれに身体の奥がきゅんとなる。薄らと目を開くと、場地と目が合った。

「目閉じろよ」
「そっちこそ」
「………なぁ、」
「なに」
「いい?」

実を言うとわたしはこれが初めてじゃなかった。それでも好きな相手に初めて全てを曝け出すというのはそれなりに緊張するもので。恐る恐る頷くと、「優しくするから」と場地らしくない言葉が返ってきて、うっかり吹き出して彼の機嫌を損ねてしまった。それでも行為は本当に優しくて、今までのどのセックスよりも気持ち良くて。「場地、初めてじゃないでしょ」って冗談で言ってみたら「まぁな」って返された言葉に、心臓がドキンと跳ねた。

「いや嘘、嘘だから」

そんなことで泣くなって、と慌てた声でティッシュを目元に押しつけられた。自分だって初めてじゃないくせに、「お前が初めてだから」という彼の言葉に、心底ほっとしてしまった。


場地と一緒にいることが当たり前になって、もう1年以上が過ぎていた。わたしは高校1年になったけど、場地はまだ中学2年だった。

「愛してるって言葉、あんまり好きじゃないな」
「は?」
「なんかこう、響きが?好きじゃない」

唐突なわたしの言葉には「ふーん」と適当な言葉で返された。千冬くんが置いていった漫画を今日も今日とて場地の部屋で読んでいた。千冬くんが「この最新刊めっちゃきゅんなんで!」と力説していた漫画の、ヒーローがヒロインに「愛してる」と言うシーン。それを読んできゅんとはならず思わずふっと鼻で笑ってしまったわたしは女子高生失格なんだろうか。「愛してる」なんて漫画やドラマの中の台詞だから成立するけど、実際言われたら笑ってしまいそうだなって思っていた。なんか陳腐な感じしない?と同意を求めたけど、場地は心底どうでも良いという顔をした。

「どうでも良さそうだね」
「どうでもいいからな」
「場地に愛してるとか言われたら笑っちゃいそう」
「安心しろ、言うことねぇから」
「…あっ、そう」
「お前さぁ…自分で好きじゃねぇって言いながら残念そうにすんのなんなの?」

ばーかって言われて、場地の方がばかじゃん、って言い返そうとしてやめた。わたし場地に「ばか」って言われるの、嫌いじゃない。

「ねー、聞いて」
「あ?」
「今日同じクラスの男子に告られた」
「ふーん」
「断ったら彼氏いるの?って聞かれて、いるって答えたら、どんなやつ?って聞かれてさ」
「へー」
「年下だけどケンカも強くてめちゃくちゃかっこいい彼氏がいるって言ったら、中学生なんてガキだから俺にしろよって言ってきてね」
「へー」
「…聞いてる?」
「へー」
「聞いてないじゃん」

もういい、とぷいっと横を向けばめんどくさ…と場地がようやくこちらを向いた。

「お前の話長ぇんだよ、要点だけ話せ」
「えっ場地、要点なんて言葉知ってたの?」
「…うるせーなマジで」

で、要点は、と場地が聞いてくる。

「場地がかっこいいってこと?」
「バカ、違ぇだろ」
「…わたしが場地を大好きってこと」
「正解」

そう言ってふ、と笑った彼が唇を合わせてきた。付き合い初めはただ触れるだけだったのに、最近はどこで覚えてきたんだ、と思うような濃厚なものに変わった。しっかり気持ち良いのがなんだかムカついたから、わたしから舌を絡めてやった。

「ん…っ」
「名前」

身体を触りながら名前を呼ばれれば、単純なわたしの身体はすぐにきゅうっと反応してしまう。

「好き」
「…知ってる」
「圭介」
「……なんだよ」
「だーいすき」
「…俺も」
「かわい」
「お前マジでうぜー」

うざいなんて、本当は思ってないって知ってる。彼が誰よりも優しくて愛情深い人だって、わたしが1番よく知っている。

場地は小さい頃からずっと一緒にいた幼馴染で、大好きな恋人で、そしてもうここにはいない人。

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