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半年付き合った彼氏と別れた。正確に言うと振られた。二股だった。最悪だ。

社会人になりぬるま湯に浸かったような学生生活から一変。慣れない環境、膨大な事務処理、責任を伴う仕事…目まぐるしい変化に慌ただしく過ぎるだけの毎日。そんなときに優しくしてくれた同じ会社の2つ年上の先輩。かっこよくて、受付にいるわたしにいつも優しく声をかけて気にかけてくれていた。そんな先輩から告白された時は舞い上がって喜んだ。

「同じ会社だしみんなに気遣わせるのもアレだから、付き合ってるのは内緒な」

そう言われて、律儀に隠れてお付き合いをしていたわたしが馬鹿だった。みんなに内緒なのはそんなことが理由ではなくて、他に彼女がいた。しかも同じ会社内、先輩と同期の秘書課の可愛い彼女が。先輩が「用事があるから」とわたしからの誘いを断った日に街中で2人が手を繋いで歩いているところを偶然目撃して、それから数日後、先輩の部屋でわたしのものではないピアスを拾った。ツメが甘いにも程がある。わたしもなんで半年も気が付かなかったんだろう。気付いた瞬間に心臓の辺りがみるみるうちに冷たくなっていくのを感じた。問い詰めるとあっさり振られてしまったのが腹立たしい。いや、本当になんでわたしが振られてんの?納得いかない。

社会人2年目の春、「今度一緒にお花見しよう」なんて言っていたのはつい先日のことなのに、荒み切った心では桜を愛でる気にはこれっぽっちもならなかった。

「なんっでわたしが振られた上に会社で気まずい思いしないといけないの!」

最寄駅からの帰り道、家の近くの公園のベンチに座りやけ酒しようとコンビニで買い込んだビールの缶を開けた。ベンチの横には大きな桜の木が今まさに満開に咲き誇っている。叶わなかった約束を思い出して、桜の木を思わず睨みつけた。家で飲むより外の方が少しは気分はマシかも、と思ってまだ肌寒いこんな季節に外で飲み始めたはいいものの、最悪の気分はこれっぽちも改善されないしやっぱり寒いしで余計に虚しくなるだけだった。気を抜くと涙が出そう。クソみたいな元彼に未練はないけれど、これから先の社会人生活で支えてくれる存在がいないのは結構キツい、気がする。

早々にビールの缶を1つ空けると、今度はチューハイの缶を手に取り開けようと試みるけれど、指先に力がうまく入らなくてなかなか開けることができない。大学時代の友人に元彼の愚痴を聞いてもらい居酒屋でしこたま飲んだ後、ここに来て更に1人で飲んでいるのだからそれも当たり前だった。もう酔いは相当回っているらしい。

「あー、やばい酔った…」
「大丈夫スか?」
「え?」

回り始めた酔いを誤魔化すように俯いてこめかみをさすっていると、知らない男性の声が頭の上から聞こえてきた。酔っているときに、それもこんな人気のない公園で男性に声をかけられるなんて、最悪中の最悪だと思った。やっぱり家で飲めば良かったな、なんて今更思っても遅いんだけど。

「あー、えっと…大丈夫、です。おかまいなく」
「全然大丈夫に見えませんけどね」

変なやつに絡まれたくはない、そう思ってなるべく男性の方を見ないで受け答えした。「変なやつ来たら危ないし、帰った方がいいっスよ」なんて、こうやって親切そうな人に限って悪いやつだったりするんだよなあ。なんてことを考えながらゆっくりと顔を上げる。

第一印象は、若くて可愛い男の子、だった。

「お姉さんが帰らないなら俺もここにいますけど」
「……お好きにどうぞ」

思わず気を許しかけたのはその男の子が良からぬことを考えているようには見えなかったからか、それともその顔が少なからずタイプだったからか。多分、前者2割、後者8割ぐらい。我ながらちょろいにも程がある。隣に座った男性(というよりも男の子の方がしっくりくる)は、明らかに自分よりも年下で。派手な金髪に刈り上げツーブロック、左耳にぶら下げられたシルバーの小振りなフープピアスが小さく揺れていた。ヤンキーじゃん、と思ったけれどくりっとした猫目で見た目はイケメン、に分類されるであろう顔立ちはモテそうな顔だな、とも思った。どう見ても自分より年下の男の子にはかっこいいよりも可愛いという印象の方が強かったけれど。

「君いくつ?」
「え?」
「まだ学生でしょ?20歳ぐらい?」
「……まあ、それぐらいっす」
「それでも4つ下かぁ…若いなー」
「4つぐらい、そんな変わんないっスよ」

グイッと手に持ったチューハイの缶を開けようと力を込めるけれどやっぱりなかなか開けられず、爪がプルタブに引っかかってカツンカツンと小さい音が鳴った。

「まだ飲むんスか?」
「あぁ、君も飲む?」
「いや、いいっス。ていうかもう日付変わりますよ」
「えー…くしゅっ」
「ほら、結構寒いし帰った方がいいんじゃないですか?」
「えぇー」
「えーじゃなくて」

駄々をこねるわたしを見て小さく苦笑いした顔はやっぱり可愛かった。まだ帰る気分じゃないんだよなあ、でも明日も仕事あるしなあ、なんてうだうだと考えていたら、先に立ち上がった男の子がこちらを見下ろしながら手を差し出していた。

「家どこっスか?送ります」
「あ、そういうのいらない、です」
「え?」
「知らない人にそこまでしてもらわなくても大丈夫だから」

だって、そう見えないからと言ってこの男の子が悪いことを全く考えていない、という保証はどこにもないわけで。酔ってはいるものの、きちんと警戒心は持ち合わせていたらしい。きっぱりと断ると男の子は少し考える素振りを見せてから口を開いた。

「…松野千冬」
「え?」
「松野千冬って言います。そこの団地の2階に住んでます。これで知らない人じゃないっすよね?」
「え?いやいや、そんなこと言われてもはい知り合いですとはならないでしょ」
「……はぁ」

え、今溜息つかれた?え、これってわたしが悪いの?なかなか立ち上がらないわたしの目線に合わせるようにしゃがみこみ、男の子…松野千冬くんは内緒話をするような小さな声で言った。

「…怖がらせるかと思って言わなかったんすけど、さっきからあっちでお姉さんのことずっと見てる怪しいおっさんいるんですよ。本当に危ないから、送らせてもらえませんか?」

その言葉に一気に酔いが覚めて、手に持っていた缶チューハイを落としてしまった。まだ中身の入っていたそれが、地面にこぼれた。

「えっ、嘘…!?」
「ホント。あっちの茂みの方にいる人、ずっとこっち見てる」

松野くんがわたしだけに見えるようにして指さした方を目で追うと、確かに怪しい中年男性がこちらを見ていた。それが分かった途端に背筋に変な汗が流れはじめる。

「ごめんなさい…送ってもらってもいいですか…」
「もちろんです。行きましょ」

差し出された手を掴んで立ち上がらせてもらうけれど、恐怖で心臓はばくばくとうるさくてなんだかよく分からない涙まで出そうだった。あ、やばい足震える。

「このまま手繋いでた方がいいかも。ちょっと我慢してくださいね」

男の方をチラリと確認しながら小さな声でそう言った松野くんに、こくこくと頷くだけの返事を返した。

公園から少し歩くと、一人暮らしのマンションが見えてくる。その間物音が聞こえるたびに思わずぎゅっと力を込めてしまった手を、松野くんは何も言わずに握り返してくれた。

「さっきの人、ついてきてる…?」
「いや、多分大丈夫」
「ほんと?」
「ここ一本道だし、見えるところにはいないかな」
「よ、良かったぁーーーー」

ホッとして思わずその場にしゃがみ込みそうになったけれど、繋いだままの手に気付き慌ててパッと離した。

「あの、本当にありがとう。松野くんがいなかったら今頃どうなってたか…」
「これに懲りたらもう夜遅くに1人で公園で酒飲んだりしないでくださいね」
「はい…」
「それか、夜飲みたくなったら俺のこと呼んでくださいよ」
「え?」
「家も近所みたいだし」

ね?と悪戯っぽく笑う松野くんに思わずドキッとしてしまう。返事に困っていると「携帯出して」と言われ反射条件でスカートのポケットから携帯を取り出してしまった。さっきまでの警戒心はどこへ行ってしまったのか、わたしの手からするりと取り上げられた携帯を慣れた様子で操作する松野くんをわたしはただぼーっと眺めるしかできなかった。

「これ、俺の番号なんで」

いつでも連絡してください、そう言ってパタンと閉じた携帯を手の中に返される。えぇ、なにこの子めっちゃ女慣れしてるじゃん…とは思ったけれど、わたしも不覚にもときめいてしまったからもう何も言えない。

「家に入るの見たら帰ります」

そう言ってマンションのエントランスの前でわたしが家に入るまでしっかり見届けてから、松野くんは来た道を戻って帰っていった。送り狼、なんてこともなく本当にただの好青年だったわけだ。こんな少女漫画かドラマみたいなことってあるの?と玄関に入って思わずズルズルと座り込んでしまった。心臓がばくばくとうるさい。さっきまで不審者に怯えていたはずなのに、随分と調子の良い心臓だ。

携帯に新しく登録された番号を表示すると、そこには『松野千冬』という名前と11桁の携帯番号が写し出されていた。
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