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黒板に張り出された座席表を確認すると、窓際から2列目の1番後ろというなかなか良い席だった。右隣の窓際1番後ろならもっと良いんだけど。その右隣の席に座っていたのは苗字名前だった。
「あ、また同じクラス?よろしく」
「ひぇっ……よ、よろしく…三ツ谷くん」
ひぇっ、ってなんだ。
2年の終わり頃に誰かが言っていた、「最近3組の苗字可愛くね?」という言葉。そのときは聞き流していたけれど、確かに1年の頃に比べてすっかり垢抜けた苗字のことは可愛いと思った。軽く着崩された制服と薄ら色づいた唇、くるんと上を向いた睫毛。女子ってのは2年でこうも変わるのか、と隣の席に座っている苗字を見てしみじみと思った。1年の頃も同じクラスではあったけれど、ほとんど喋った記憶はないし大して意識したこともなかった。可愛いとも可愛くないとも、好きだとも嫌いだとも認識したことはない。まぁつまり関心がなかったわけだ。
しかし、じゃあ今は好きか?と聞かれるとそれはノーだ。好きになるほど俺は苗字名前という人物について良く知らないしそれとこれとは別、だと思っていたんだけれども。
「なぁ、苗字」
「えっ、あ…な、なに!?」
3年になり再び同じクラスになった苗字は俺が話しかけるたびに面白いくらいに顔を真っ赤にして狼狽える。いや、流石に態度に出過ぎじゃねぇ?コイツ絶対俺のこと好きじゃん。
最初は怖がられているだけかも、とか自意識過剰すぎるかな、とも思ったけれどこうも毎回毎回顔を赤くして、話しかけた後ににやける口元を手で隠しながらも嬉しそうな顔をされたら誰だって気付くだろう。つーか全然隠しきれてねーんだよなあ。それがちょっと可愛い、なんて思ったりもして。
ここまで好意をダダ漏れにされたらそりゃこっちも意識せざるを得ないというか。可愛くなったなと思った女子からこんなにあからさまな態度で好意を寄せられたら悪い気なんてするはずもなく。そうなるとだんだん仕草や喋り方まで可愛く見えてくる不思議。
普段は大人っぽいだとかしっかりしていると言われることが多いけれど、こちとらまだ中学3年の15歳なんで。思春期の男子が異性を意識する理由なんてのは至って単純だったりするもんだ。
結局苗字が俺と普通に話せるようになるまで1ヶ月がかかった。その間俺とは目を合わせないくせに、他の男子とは楽しそうに話している姿を見ているのはどうにも面白くなくて。こんなはずじゃなかったのに、と思いながらも俺はしっかり苗字のことを気にし始めていた。
「やば、教科書忘れた…」
昼休みが終わる頃、ボソリと小さく呟かれた声を拾い「俺ので良かったら見る?」と聞くと全力で首を左右に振って拒否された。
「だ、大丈夫!隣のクラスで借りてくるから!」
「もう本鈴鳴るけど」
「え、あ…」
苗字がガタンと勢いよく椅子から立ち上がった直後に授業の開始を告げるチャイムが鳴り響いた。ちらりと俺の顔を伺い、恐る恐る「み、見せてもらってもいいですか……」と小さな声で尋ねてきた。
「ふは、なんで敬語なんだよ」
「な、なんとなく…」
俺がちょっと笑うだけでいちいち顔を赤くする苗字を見ているとなんだかこちらまで恥ずかしくなる。「遠くから見せてもらえたらそれで良いから」と言う苗字の言葉を無視して強引に机を引っ付けた。いつもよりぐっと近くなった距離に途端に狼狽えて、できる限り俺から距離を取ろうとする苗字に更に近付く。
「ちょっ、ち、近くない?」
「でもこうしねーとお互い教科書見えねぇだろ」
「そうだけど……」
いつも授業なんて対して真面目に聞いてねぇし、俺は別に教科書なんてなくてもいいんだけど。恐らく今右半身に全神経を集中させているんだろう。シャーペンを持つ苗字の右手がずっと震えているのがわかる。今この手を握ったりしたらどうなるんだろうか、なんて思わず加虐心が顔を出す。しかし顔を真っ赤にして椅子から転げ落ちる苗字が容易に想像できてしまったから、それはさすがにやめておいた。
「三ツ谷くん、ありがとう」
「いーえ」
授業は滞りなく終わり、机を定位置に戻した。深く頭を下げる苗字のつむじをなんとなく見つめる。女子にしては背の高い苗字は俺とさほど身長差はない。
「お礼は苗字の連絡先でいいよ」
「ん?……え?」
「携帯出して」
「え!?」
「早く」
もたもたとスカートのポケットから取り出した苗字の携帯と赤外線で連絡先を送り合った。ちゃんとフルネームで名前を登録しているのも苗字らしいな、なんて思いながらそっと画面を親指でなぞる。
隣を見ると苗字は震える両手で携帯握りしめて画面をじっと見つめていた。今にも感動で泣き出しそうな顔をしていて、それは大袈裟すぎねぇか?なんて思いながらもやっぱり悪い気はしなかった。
次の授業が始まってすぐ、ちらりと隣を見ると苗字がなにやら高速で指を動かしメールを打ち込んでいた。こいつたまに授業中でも携帯触ってるよなー、と思いながらも大して気にも留めなかった。
しばらくしてから携帯が震える音が静かに響いて、すぐに画面を確認した苗字がくすりと小さく笑ってまた何か文字を打ち込んでいた。
なぜかほんの少しだけ、嫌な予感がした。