従業員:羽宮一虎の証言
「松野さん！おはようございます！」
「おー、おはよ」
「今日もかっこいいです！」
「はいはい、ありがとなー」
「好きです！」
「…分かったから、早く学校行けよ。遅刻すんぞ」
「多分もう遅刻なんで今日は諦めてゆっくり行きますね」
「おい」
遅刻すんな、なんて授業をサボりまくっていた(と、タケミっちに聞いた)元ヤンの千冬が言えたことか？と思いつつ2人のやりとりを眺める。呆れたような声を出した千冬におでこをコツンと小突かれて、えへへと笑うナマエちゃん。ここ最近すっかり見慣れた朝の光景だ。
駅とナマエちゃんの通う高校の間にペケJランドがあるらしく、朝と夕方になると彼女と同じ制服を着た高校生がよく店の前を通る。ナマエちゃんは毎朝ペケJランドの前を通るたびに外の掃除をしている千冬に「好きです！」と元気に告白をしては「はいはい」と軽くあしらわれている。いかにも恋する乙女のような顔で頬を染めて千冬に話しかけるナマエちゃんと、俺からは見えないが、千冬は恐らく呆れたような顔でもしているんだろうと思う。自分にもよく向けられる表情なだけに簡単に想像できてしまった。
「おはよーナマエちゃん」
「あ、一虎くん！おはようございます！」
「今日も振られちゃったねぇ」
「えっ、振られてませんよ？」
「はは、メンタル強ぇなぁ」
ナマエちゃん曰くこれは振られたわけではないらしい。俺からすれば相手にされていないと思うんだけど、なんともポジティブな女の子だ。どこからどう見てもナマエちゃんの無謀な片想いなのに、彼女はそれでも毎日飽きもせず俺の雇い主である男に愛の告白をしに来る。健気だなぁ、とつい苦笑いが溢れる。
「じゃ、いってきまーす！」と、短いチェックのスカートを翻し元気に手を振って学校へ向かうナマエちゃんに手を振り返し、千冬と一緒に見送った。
「うーわ、パンツ見えそ」
「…一虎くん、最低っすね」
ぼそりとつぶやくと、隣にいた千冬にすげぇ目で見られた。しょーがねぇじゃん、本当に見えそうだったんだから。
「千冬さぁ…」
「なんですか」
「なんでハッキリ言ってやんねーの？」
「…何を」
何を、なんて分かりきっているくせに。脈がないならハッキリ言ってやった方がいい。なにせ彼女はまだ10代の女子高生なんだから。10近く歳が離れた千冬に不毛な恋をして時間を費やすぐらいなら、10代らしい青春を謳歌するべきだ。せっかく可愛らしい容姿をしているのだから、同世代の彼氏でも作って楽しく過ごせばいいものを。毎日千冬に軽くあしらわれているナマエちゃんがだんだん可哀想になってくる。しかし千冬の気持ちも分からないでもない。いくら可愛らしいとはいえあまりにも歳の離れた女の子に好意を寄せられても、その気がなければ仕方ない。ていうかその気があっても世間的には受け入れられ難い。言い方は悪いが、つまりは有難迷惑ってやつだ。
「もしかして千冬も満更じゃなかったりして？」なんて有り得ない冗談を言ってみたら今度は溜息を吐かれた。千冬は否定も肯定もすることなく、いつものように「早く仕事をしてください」と俺の背中を店の方へとぐいぐいと押した。
◇
その日の夜、早上がりだったのにも関わらず事務所にスマホを忘れてしまったたことに家に帰ってから気付き、仕方なく取りに戻ったときのことだった。閉店時間は過ぎていたがまだ千冬は事務処理のために残っているだろう。8割程閉められた店の正面のシャッターの隙間から明かりが漏れているのが確認できた。
裏口に周り、「千冬いるー？」と声をかけながらバックヤード兼事務所に繋がるドアを少し開けたところで、どこか聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ぁっ…ちふゆ、くん」
あれ、今の声って…いやでもまさか、彼女がこんな時間にこんなところにいるはずがない。
「ナマエ」
それは紛れもなく俺の雇用主である男の声だった。今まで聞いたことのないような甘く優しい声が響いて、一瞬聞き間違いかと思った。そもそも、千冬がナマエちゃんのことを名前で呼んでいるのなんて俺はこれまで聞いたことがない。ナマエちゃんだって千冬のことをいつも"松野さん"と呼んでいたはずなのに。
一体どういうことだと、小さく開いたドアの隙間から中の様子を覗き見ると、事務所に置かれた少し大きめのソファから伸びる黒のハイソックスを履いた細い脚が見えた。ソファの横に乱雑に置かれた、有名なキャラクターの少し大きめのぬいぐるみが付いたスクールバッグは今朝ナマエちゃんが持っていたのと同じもので、つまりソファの横にあるのは鞄はナマエちゃんのものだということだ。そしてソファの上で動く黒髪の男は間違いなく千冬だった。
俺は慌ててドアを開けたのと反対の手で口を押さえた。
(えっ？えっ？なにこれ？千冬とナマエちゃん？えっ？)
予想だにしなかった光景に立ち尽くしていると、聞いてはいけないような女の子の高い声が事務所に響いた。
「ぁ…っ」
「つーかスカート短ぇよ」
「ひゃっ…！」
「ばかずとらがパンツ見えそうって言ってたから、もう折るの禁止な」
おい、誰かばかずとらだ。喉まで出かかった言葉を慌てて飲み込む。
「わ、分かったから…、も、手、くすぐったい…っ」
ナマエちゃんの困ったような、それでいて甘えたような声に千冬がふっ、と小さく笑って、それからソファ越しに見えていた千冬の頭がゆっくりと見えなくなっていった。
「ん…」とナマエちゃんが小さく声を漏らし、脚を一度ピクリと震わせた。合間に漏れるナマエちゃんの吐息混じりの声と、布の擦れる音が聞こえる度になんとも言えない気持ちになる。
しばらくしてから起き上がった千冬に背中を支えられて、ナマエちゃんも起き上がった。声だけでは半信半疑だったが、やはりそこにいたのは間違いなくナマエちゃんだった。
恐らく千冬の膝の上に座っているナマエちゃんが、「千冬くん、もっと…」と言いながら甘えるように千冬の首に腕を回した。千冬は「ばーか」と優しく笑いながらナマエちゃんの頭を撫でている。今度はナマエちゃんが千冬に覆い被さるようにして2人でソファに沈んで行った。
ばーかってなんだよ！お前がバカだわ！店で盛ってんじゃねぇよ！バカ！！
ていうか俺は今一体何を見ているだ…？とふと我に返り、出来るだけ静かに音を立てないようにして事務所のドアをそっと閉めた。わざわざ取りに戻ったスマホはもう諦めることにした。
何っだよお前ら！！くっそー！いつからだよ！！
次の朝、いつものように千冬に話しかけているナマエちゃんのスカートの丈が昨日よりも少し長くなっていた。