結解/夏油傑(呪術)



じーわ、じーわ、じーわと耳をつんざく蝉の合唱が校庭の向こう側の森から幾層にも響いてくる。
コンクリートが熱を抱える都心に比べればここは格段に涼しい東京の外れ、しかも山中。青々と茂る松や檜の落とす影に狐狸が凉を取る。
とはいえども、田舎は田舎なりに酷暑の最中、ましてや新陳代謝活発な高校生には、いずこの避暑地であったとしても夏の蒸し暑さは耐えがたい。

***が3年の教室に来ると、夏油がひとり、椅子に凭れて携帯を弄んでいた。
椅子の背は大柄な夏油の背にすっぽりと隠れてしまい、子供用の椅子に大人が座るかのような体である。
教室の前で止まった足音に気づき、夏油は携帯から顔を上げる。

学年違いの教室にずかずかと入りこみ、***は夏油の机に腰掛けると、購買で買ってきたアイスの袋を開け、齧りつく。
夏油は体を起こすと、***の腿にもたれる。

「……いい? 暑いなら止める。」
「くるしゅうない。」

***はバリバリとアイスを噛み砕き、芯を丸裸にして口先でぶらぶらと遊ばせる。
木の味が口にじんわりと広がる時分にはもう芯棒をもてあそぶことに飽き、腿の上に寝る夏油の髪に手を伸ばす。

「夏油。ぐしゃぐしゃになってる、団子。」
「ああ、さっき悟とちょっと。」
「知ってる。窓から見てた。」

夏油の髪の結い上げた元に手を掛け、ゴムを外す。
どろん、と髪がうねり肩口に落ちる。
一房掬い、指の間で擦れば、ざらざらと硬い。
傍目には艶やかに見える長い黒髪だが、この髪一筋は男女の差を顕著に主張する。

「どうしたの? 見つめられると照れるよ。」
「髪の毛下ろすとドキっとするって本当だね。」
「君って男子みたいなこと言うよね。」
「夏油クンはそんな男子高校生みたいな私とやることやってるんだけどォ。あー、男の子も守備範囲……?」
「ないからね。」
「ちえ、残念。」
「あったら君が困るだろ。」
「いや〜〜悟とだったらアリだね。顔立ち好きな男の子同士がいちゃいちゃしてるのをね、ちょっと離れたところから眺めてニヤニヤしたりさ、中学でクラスメートとそんなことしてたなあ。」
「……ちょっと想像しただろ。止めてくれるかな。」
「んへへ。」
「そういえば……君さ、「悟」って呼ぶよね。」
「うん? そうだね。」
「人のことは名前で呼ぶ方が多い?」
「んー……「悟」「硝子」……そうかも。」
「妬けるね。」
「は?」
「私のことは?」
「夏油、……。……え、なんでだよ。照れくさい。」
「名前で呼ぶだけだよ。」
「したことないし。なんでいきなり。」
「だからして欲しいんだよね。」
「……す、………っ……。」
「す……?」
「……くっ、…、すっ、す……酢の物!」
「名前を呼ぶのにそこまで抵抗あるものかな。私、一応彼氏なんだよね?勘違いかな。」
「いや、……だっ、てさあ。夏油は、私にとってはほかの子と立場が違うから、こう、甘えたような感じになるっつーか。」
「それがギャップ萌みたいな。」
「ならないって。」
「じゃあ苗字から名前まで言ってみてよ。」
「ええ?夏油傑。」
「それをゆっくり。」
「夏油……傑。」
「うん、いいよ。ありがとう。」
「私は良くないんだが。その手に持ってるのは何だ。録音してたでしょ。」
「ふふ。使えるかな。」
「何によ、何に。」
「寂しい時に慰めて貰えそう。」
「き、キモっ! 気持ち悪いを通り越して怖いわ。ない。右手と仲良くしてな。」
「これの時は左手なんだよね。」
「うるさいわ。いらんこと言うな。」

話は終わり、と、***はぎゅうと夏油の髪を結い上げる。
くるくると髪をねじり上げる***の手にふいに痛みが走ると、夏油の髪がばさりと広がる。

「あっ! あー……ごめ。ゴム切れた。」
「……。」
「えー……ゴムあったかな。」
「いいよ。このままで。」
「結構伸びたよね。邪魔じゃない?」
「いや……。……かえって楽かもね。」





その夏の終わり、高専の醜聞に呪術界は色めきだった。

「傑が集落の人間を皆殺しにし、行方をくらませた。」




灰色の空の下、廃ビルの屋上で煙草を燻らしていた***は、錆びついた金属音の方向へ首を回した。
スチール扉からは、木戸をくぐるかのように身をかがめて黒い影……否、黒装束が現れた。
***はその人物を認めると煙草を口から離し、眉に縦じわを作ると怒りを露わに一言吐き捨てる。

「クソ似合わねー。」
「第一声がそれか。口が悪いのは相変わらずだね。」

数年の時を経た夏油は、僧服を纏い、髪を下ろし、静かな目をしていた。

「外道の極悪人よりはマシ。」
「言うなあ。性格も悪くなったみたいだ。」
「アンタは随分と弾けたね。で、どうする? 殺しに来たの?」
「君は私を殺したいのかい。」
「やめとく。殴り合いは分が悪い。」
「そうか、安心したよ。」

コンクリートの塀を背もたれに、夏油は***の横に並ぶ。
***はビル群の向こうへどこともなく視線を遊ばせる。

「呪霊コレクターまだやってんの。」
「趣味みたいに言わないでくれよ。」
「『スクープ! 話題の新興宗教の教祖の知られざる趣味をカメラは捕えた!』。うーん、死ぬほど信者に手ェ出してそー。」
「信者の金に手は出すけど、猿に興味はないよ。でも、まあ、こうしている所も見られたらマズイのかな。……主に君が、だけど。」
「……。」
「お尋ね者同士、うまくやれると思うんだ。高専に追われてるんだろう。ビルの前に二、三人、呪術師がいたよ。あの程度じゃあ、君を捕まえることすら出来なかっただろうけど。でも、これからどうするんだい。高専には戻れない。かと言って、立派な犯罪者の君はフリーの呪術師になることも出来ない。残るは呪詛師として影で生きること……。もう高専としては君を呪詛師認定してるだろうね。このままほとぼりが覚めるまで逃げ続ける自信は?」
「……べらべらと、教祖様は演説が上手いことで。屑人間どもみたいに口を縫い閉じられたいのかよ。サービスで目もやろうか。嫌いな猿共を見ないで済むだろ。」
「いいね、その目。」
「私はお前の正義を肯定しない。」
「それは君が殺した非術師たちへの贖罪かい。」
「違う、下らねー妄想に取りつかれたお前と同じだと思われたくないんだよ。」
「ふっ……誰にだい。悟? 硝子? それとも家族に?」

***の右手が夏油の喉を掴む。

「痛いじゃないか。」

微動だにしない夏油は変わらずに薄い笑みを浮かべている。
***は舌打ちして手を緩める。

「避けもしないとか、………、」
「本気出したら弱いものイジメになるからね。」

私は優しいんだ、と、夏油は緩められた***の手を取り、指を己の髪に通す。

「もうずっと昔のことみたいだね。***は私の髪をいじるのが好きだった。」

指の間に毛先を絡ませたまま、夏油は己の唇へと***の指先を誘導する。

「君の指が好きだったよ。今、君の手がどれだけ血に染まっていても、私は君を否定しない。君の事件は狂気の沙汰なんかじゃない。君の正義を遂行しただけだ。」
「やめろ……」

夏油が指を柔く食む。

「実は君の家のこと、私は知ってたんだよね。愛してくれるはずの家族から狂人扱いで、悲しかったろうね。君が頑張れば頑張るほど、成果を作れば作るほど、家族は君を否定する。」
「やめろ……」

つう、と指先から手の甲へと唇が滑る。

「穢れている、だなんて。彼らを守っていた君の手はこんなに尊いのに。ああ……本当に、呪いの見えない猿共は嫌だね。人の苦労も知らず、その癖、呑気に弱者の権利を振りかざしてさ。」
「やめ、……」

手の甲を恭しく頂き、唇を押し付ける。

「君が私を受け入れなくても、私は君を受け入れるよ。」
「やめろやめろやめろ止めろ止めろ止めろヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロヤメロ」

絶叫に空気が揺れ、双方の肌に痺れが走る。
***は肩で息をしながら夏油を睨み上げた。

「イジメすぎたかな。男はさ、好きな女子のことを虐めたくなるっていうだろ。」
「私は、お前を、お前の正義を、肯定しない。」
「けれど、君のすべてを肯定できるのは私だけだ。」

夏油の手を振りほどいて扉の中へと去りゆく***の背中を、夏油は口を綻ばせて見送った。



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