喫煙者の先輩は後輩の嫌そうな顔がみたい/夏油傑(呪術)

教祖としての「ご祈祷」の義務を終えて、屋上へと向かう。
錆び切って立て付けの悪い扉を押し開けると、2つの影が慌てて顔を隠した。
白い煙が二人をうっすらと覆う。加えて、この苦いような胸に詰まる匂い。
つまるところ答えは一つだ。

「あっ、ヤバ」
「夏油様……!」
「おや、煙草かな。よく買えたね。それとも誰かから貰ったのかい。」
「……怒らないの?」
「うーん、別段怒りはしないけどね。美味しかった?」
「全然、まずーい。」
「おいしくない……。」
「だろうね。はい、没収。」
「えー……」
「うー……」

美々子が恨めしげな目をしながらも素直に煙草を差し出す。
様子を見るに、今回が初めてなのだろう。
興味本位で吸ってみたものの、持て余しているのが丸わかりだ。

手渡された箱は白地に赤の丸が張り付いている。
懐かしい絵図に、もう10年近く前になる高専時代が思い出された。
ヘビースモーカーのあの人の手元にはこれがいつもあった。

「夏油様……?」
「……いや、何でも無いよ。それより、もう吸うんじゃないよ。身体に悪いし……、自分よりも周りに影響が大きいんだからね。」
訝しげな双子の頭をひとなですれば、二人は怒られないのだと安心して「大好き」といつもの宣言をして屋内に戻っていく。

双子から没収した煙草を袂に入れようとして、たまたま「ご祈祷」用にライターを入れて置いたことに気づいた。
喫煙の習慣は無いが、吸い方を知らないわけではない。
硝子やあの人に付き合って、何度か吸った。

すでに2本分の空間がある箱に更に1本の空間を作る。
吸い込んだ煙の味は10年弱経っても相変わらずだった。

「……マッズ。何が良いんだか。」

かつて制服を着ていた頃は自身で吸わない癖にライターを常に持ち歩いていた。
硝子は高専で出会った時から既にヘビースモーカーだった。
よくライターを忘れて苛々していたから、自分で使うことなんて無いのにライターをポケットに入れておいて、火をつけてやった。
ライターに用がある当人は「吸わないくせに人のために持ち歩いてるとか気持ち悪いな」と呆れていたが。
ほどなくしてライターを持ち歩く理由が増えた。





廊下に出ると蝉の大合唱が鼓膜を超えて脳に直接刺さるような大音量で襲いかかってくる。
購買へと向かう5分程度でも、途端に首に汗が浮き出る。
山中に立つこのボロ木造校舎は、都心のコンクリ校舎に比べれば快適らしいが、そんな比較をした所で夏の湿った不快感が低下するわけでもない。

教室に戻る途中、担任に硝子への言付けを頼まれた。
悟に聞けば「煙草じゃん?それより苺ミルクあった?」と礼もなく袋を漁る。
言付けの内容はそれなりに急ぎの用事の様子だったので、悟への小言を飲み込んで喫煙所へと向かう。

果たして、目的の人物はのんびりと煙を燻らせていた。
昼食より煙草を優先するとは、この先の生活が少々心配だ。
パワー型の任務に付くタイプではないとはいえ、呪術師は何を担当するにしても体力がいるはずなのに。

「硝子、夜蛾先生が呼んでる。」
「ん、これ吸い終わったら行く。職員室?霊安室?」
「職員室。報告書出すの忘れてない?」
「あー……」

面倒くさそうな溜息と共に硝子の口から吐き出された煙の向こう側に、呆れた笑みが覗いた。
「硝子の冗談は笑えないね。」
「先輩は笑ってるじゃないですか。」
「沸点低くて。」

煙が拡散すると、はっきりと目があった。
見知らぬ相手への第一声にどう口火を切ったものか思案したのは一瞬だったが、相手の方が早かった。
「夏油くんだ。」
「あ、はい。ええっと……先輩ですよね。すみません、名前を知らなくて。」
「初めまして。***です。」
「初めまして。演習でもお会いしてはないですよね。」
「私はあまり授業に出てないから。もう出る必要がないっていうか。」
「夏油、お前さ、もう半年経つんだから先輩の噂くらい聞いたことあるだろ。」
聞いたことがないから名前も知らないんだ。
右から左に流していた可能性はあるが。

硝子が気だるそうな美人なら、こちらの先輩は高校では丸くなった典型的不良少女という所だろう。
陽気で若干軽薄な雰囲気を意図的に作っているし、どこか芝居がかっている手元の仕草が少々鼻につく。
もしかすると、高専に入る前も普通の友達が少なく、普通らしさの見せ方のストックが無いのではないか。

「君、失礼なこと考えてるだろ。」
「いえまさか。」
にやにやと笑いながら先輩は猫背気味の背中からつながる首をこちらへと伸ばした。
「わかるんだよ、考えていること。ざっくりとね。人間の感情のおおざっぱな気配っていうの、そういうのがね。瞼の筋肉の動きとか、頬のこわばりとかでさ。」
「術式開示っすね〜〜。なんかヤバい秘密とか読めたりしません?」
「AVの隠し場所とか?」
「最高に有益な情報。」

女二人で勝手に盛り上がっているが、いくら気のおけない同級生でも普通はここまで言わないんじゃないか。しかも片方は初対面。
どんな顔をすればいいのか困惑しつつも今できる精一杯の薄い笑顔を維持していると、ねっとりとした笑みを更に増した先輩が煙草を咥え直して、こちらに向き直る。

「あのさ、夏油くんって呪霊操術なんでしょ。しかも特級を嘱望されてる。」
「特級はわかりませんが、術式に関してはそうです。」
「近々組むことになるかもよ。私と相性が良さそう。」
「え、と……どういう事ですか。」
「先輩の体質。呪いホイホイだよ。歩く災厄とか言われてんですよね。」
「それは中学の時のあだ名だね。流石にちょっと恥ずかしい。ま、「災厄」が合ってるっちゃ合ってるんだけど。私は呪霊が好きな匂いがするんだって。強力な呪霊もマタタビ猫状態になって***さんにごろにゃんよ。でも私自身は強いわけじゃないから、ひっついてくる呪霊を祓える保証がない。1級呪霊にストーカーされたときは瘴気に当てられてしんどかったわ。」
「つまり、姿を現しにくい呪霊をおびき寄せ、私の呪霊として取り込むツーマンセルの可能性があると。」
「そゆこと〜。ちなみに私が演習にいないのは、呪霊呼び出し装置としてあっちこっち呼ばれているからです。モテすぎるのも罪だね。」

先輩は煙草の先を灰皿に押しつけて、にい、と期待に満ちた顔で笑った。
「夏油くんも五条くんも強いんでしょ。きっとすぐに実践任務に就くから、私と組むこともあるでしょう。それじゃ、そろそろ行くね。大阪に出張だ。」
「えー、もう行っちゃうんですか。」
「お土産買ってくるから楽しみにしてな〜。」
先輩の背中を見送ると、硝子は2本目の煙草に手を伸ばす。
そういえば担任の呼び出しの件をすっかり忘れていた。もう昼休みが終わってしまう。





先輩と2度目に顔を会わせたのは、1ヶ月後だった。
硝子を探して喫煙所に足を向けたら、先輩が一人で煙草を燻らせていた。
「おお、ひさしぶり。」
「お久しぶりです。全く見かけませんでしたが、本当に忙しいんですね。」
「まーね。硝子をお探し? 見かけてないよ。」
「そうですか、タイミングが悪かったな。」
「ねえ、夏油くんは煙草吸わないんだね。」
「あ、はい。吸う理由もないですし。」
「そっか。吸わない方がいいかもね。呪霊に良くないし。」
「はい……?」
「煙草って幽霊や妖怪が嫌がるんだよ。知らなかった?」
「初耳です。」
「化け狸が正体現したり、幽霊が煙の匂いに苦しんだり。そういう話は結構あるよ。呪霊もそうなんだよ。強い匂いが嫌いなのかな。」
「へえ……いや待ってください。それならどうして先輩は煙草を吸うんですか。呪霊を引き寄せるのが役目なんですよね。」
「マタタビ効果が強すぎるから煙草で弱めてるのよ。普通にそこら歩いても、どーでもいいような呪霊が足にまとわりついたりするんだよ。すごい邪魔。任務のときは煙草我慢してる。」
「なる、ほど……。」

高専に入って約半年。未だに知らないことが多い。
素直に関心して、先輩と組んだ時に出来ることを考えていると、先輩の顔が近づいていた。

「呪霊操術って、要は自分のお腹に呪霊を収めてるんでしょう。煙草の煙、あんまり良くないんじゃない。」
「吸ったことがないので、わかりません。」
「ふうん。」
先輩は意地悪そうな笑みを浮かべて、煙草を一口吸うと私の顔へ、ふーーッと細長く煙を吹きかけた。
「……ッ、な、んですか…!」
「何事も試した方が早い。」
「…か…変わりませんよ、……」
取り込んだ呪霊が暴れたり、祓われたりする気配はない。
先輩の話ぶりからすると煙草の煙が効く呪霊は低級のようだから、所持している呪霊にとっては煙草は大した問題にならないのかもしれない。
呪霊よりも私に一番効いている。

先輩はといえば、若干咳き込む私を心底嬉しそうに見ている。
本性はこちらか。やはり呪術師という人間はいずれもまともな神経をしていないらしい。
怒るべきか、おとなしい後輩に甘んじるべきか思案していると、煙の第二波が襲いかかった。





あの2回目の会話以降、喫煙所に人の気配がすると先輩がいるか覗き込むのが習慣になっていた。

先輩とは任務で組む回数よりも喫煙所で会う回数の方が多かった。
卒業までに1級昇格はならなかったようだが、呪霊の吸引力だけは一流だったので呪霊にモテて忙しいというのは嘘ではなかった。
硝子と先輩に付き合って、煙草は試す程度に吸ったがヘビースモーカーになる程に煙を好む気持ちは終ぞ理解できなかった。
今も、焦げ臭い煙を身にまとうことで猿共の匂いを上書き出来れば良い、程度の感想しか湧かない。

「夏油くん煙草吸うようになったの〜。へ〜〜」
突然後ろから軽薄な声をかけられ、慌てて煙草を手のひらの中に隠すように持ち直す。
隠し立てすることでも無いのに、悪さを見つかったような気分だ。

「美々子と菜々子から没収したので、なんとなく。……もしかして、二人に渡したのは貴方ですか。」
「ふふっ、悪いことも覚えておかないとオトナになったときに困るからね。」
悪いことを覚えるも何も、二人はすでに血の匂いの中に立っているというのに。
「自称悪いオトナ」の心遣いに苦笑した。

彼女が上着のポケットから取り出したのは、私の手にある箱と同じものだった。
器用に口先で煙草を引き抜き、火を付ける。
白い煙が空に昇る。ゆっくり、ゆっくりと。
抗えない時間の流れを可視化するような光景は、時に人を癒やし、時に残酷な思い出を呼び起こす切掛となる。

「煙草変えたのかと思ってましたが。」
「これは本場の。アメリカ行って見つけたからさ。」

フェンスに肘を付き、二人で煙の中に並ぶ。
「あの頃は楽しかったね。後輩くんたちがしょっちゅう夜蛾センに怒られてるの。可愛かったなあ。」
「……はい。」
「君さあ、私のこと好きだったでしょ。」
「えっ。いや、それは……」
「やっぱそうなの? 硝子へのどうでもいいような言付けで、やたら喫煙所来るし。吸わない人って大抵は煙のあるとこに滞在するのも嫌がるもんよ。最初は単に硝子目当てかなーと思ったけど、3人クラスだったらいつでも一緒みたいなもんでしょ。私の学年も人数少ないからそういう感じだったし。」
「はは……。」
卒業アルバムを取り出してあれこれ品評されるような気恥ずかしさに、曖昧な笑みを返すばかりだった。

「オトナになったよねえ……。」
煙草を唇から離し、口を合わせる。
かつてのように煙を吸い込んだだけで咳き込むことはないが、焼けた匂いと、苦い煙草の風味が鼻にツンと通る。
先程まで同じ味の煙を吸っていたのに、より深く肺と脳に染み入る。

「今更悪い事覚えてもしょうもないよ。煙草は没収。」

依頼の件はいつも通り美人秘書さんに報告しといたから、と屋内に戻っていく背中を呆然と見送る。
フェンスにもたれかかり、頭を腕に埋め「好きだったでしょ」と告げた、彼女のしたり顔を反芻する。

「……だった、なら良かったな。」







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