別離のブランデーグラス


『これでおよしよ』
『そんなに強くないのに』
『酔えば酔うほど淋しくなってしまう』
















「マーシャ、『しんそく』っ!」


「ぐ!」


 今夜も雨がそぼ降るポータウン。閉店後のカフェ店内にて、エルの指示を受けたマーシャは目にも止まらぬ速さで、店の片隅に鎮座するみがわり人形に突撃した。マーシャの攻撃を受けたみがわり人形は、綺麗な放物線上の軌道を描いて、明後日の方向に吹っ飛んでいく。そのまま床に落ちそうになった人形を、落下地点近くにいたクチナシが華麗にキャッチした。


「…こいつはたまげたな。そのチビすけが『しんそく』持ちだったとは」


「お、さすがクチナシおじさん。この凄さと珍しさがわかるとは!」


 クチナシから人形を投げて返されたエルは、上手く技を繰り出したマーシャを撫でて褒めながらも、クチナシを称賛した。当のマーシャはクチナシを感嘆させたことが誇らしいのか、自信満々そうに瞳を輝かせている。
 エルがクチナシからスカル団の子供たちの面倒を頼まれ、その見返りとしてマーシャのバトルの指導を頼んでから早数日。面倒くさがりなようで律儀なクチナシは、カフェが閉店した後、約束通りバトルの指導にやってきた。とはいえ、相変わらずマーシャは他のポケモンとのバトルを怖がる為、主に技の指導を行うことになった。マーシャの覚えている技を一通り見たクチナシは、普通のジグザグマが覚えることはない『しんそく』の技を見て、表情には現さないながらも驚く。


「ねえちゃんの相棒、野生じゃねえな? どこで捕まえた?」


「…マーシャとは、イッシュにいた頃にサザナミの近くで会ったんだ。多分、ホウエンから連れてこられて、イッシュで捨てられたんだと思う」


「…成程な。『しんそく』もそうだが、このレベルのジグザグマにしては動きもいい。バトルを目的に、トレーナーが孵化させたポケモンだったんだろう」


 クチナシは「よっこいせ」とぼやきながら屈み、マーシャの頭を撫でた。褒められたと思ったのか、マーシャは気持ちよさそうに喉を鳴らし、目を細めている。
 クチナシの予測は、大方エルの予測とも合致していた。何故ならば、『しんそく』は通常のジグザグマが自力で習得することは無い、とされている技だからだ。ポケモンは稀に、親のポケモンが習得している技が遺伝された状態で生まれてくる場合がある。マーシャが『しんそく』の技を使うことができる理由は、それによるものでほぼ間違いなかった。
 更には、人間に性格や能力の違いがあるように、ポケモンにも個体ごとで能力差がある。凡庸なポケモンもいれば、体力のあるポケモン、力が強いポケモンや、素早く動くことのできるポケモンもいる。その点で言えば、マーシャは生まれ持ってバトルに関する能力が高いポケモンであると言えた。
 最近になってポケモンの能力を最大限引き出すトレーニング方法が提唱され、ポケモンバトルを生業とするトレーナー界隈に広まりつつあるが、つい数年前までこの能力差については、ポケモンの生まれ持った才能によるところが大きいとされていた。その為、より強いポケモンを求めるトレーナーの中には、生まれつき能力が高いポケモンを繁殖させることに重きを置く者も少なくはなかった。恐らくマーシャは、そういったトレーナーによって生み出され、そして不要とされ捨てられたポケモンなのだろう、というのがエルの見立てだった。


「そういう意味では、チビすけの能力は申し分ない。ま、どんなに才能があっても、肝心のバトルに怯えてるとなると先は長いがな」


「きゅ…きゅう……」


「そこを乗り越える手助けをしてあげるのが、わたしの役目だからね! もちろん、おじさんにも手伝ってもらいますけどね、ふっふっふ」


「…ちゃっかりしてんなあ、ねえちゃん」


 落ち込むマーシャを励ますように健やかに笑うエルにつられ、クチナシがくいっと口角を上げる。すると、エルが手にもっていた時計代わりのキッチンタイマーが鳴り出し、『ピピピピ』というシンプルな電子音が店内に響いた。お互い明日の仕事に備えて指導は1時間だけ、と前もって決めておいたのだが、時が過ぎるのは速く、あっという間に1時間が経過したようだ。


「ありゃ、もうこんな時間か。マーシャ、今日はこの辺にしておこうね」


「ぐぅ!」


「結局技を見るだけで終わっちまった。大したことしてやれなくて悪かったな」


「いやいや、こっちこそ忙しいのにごめんね! …そうだ、おじさんってお酒とかイケるクチ? 授業料ってワケじゃないけど、ご馳走するから一杯やってかない?」


 エルはふと思いついたように、意気揚々と調理場へ向かったかと思えば、酒瓶片手に戻ってきた。クチナシは一瞬、どうしたものかと考えて、断る理由も無いのでエルの誘いに応じる。明日の朝一番でメレメレ島に行き、しまキングの会合に出る必要があるという事実は、都合よく忘れることにした。


「それじゃあ、お言葉に甘えてご馳走になろうかね」


「そうこなくっちゃ! ちょっと軽くつまめるもの用意するから待ってて!」


「くわぁぁぁ…」


 久々の酒宴の席に上機嫌になるエルに対し、疲労に加えて夜更けということもあって、マーシャは眠たそうに欠伸を浮かべた。クチナシがカウンター席に腰掛けると、エルは手早く用意した晩酌の品をテーブルに並べていく。炒ったきのみ、チョコレート、ラムのみを漬けたブランデー。笑顔でグラスにブランデーを注ぐエルを見て、「洒落たモンを出したくれたな」とクチナシは思った。


「それじゃ、カンパーイ!」


「カンパイ」


「…ぷはぁ! あぁ〜、久々のお酒おいしい!」


 勢いよくグラスを呷ったエルが、至上の笑顔を輝かせる。急速に取り込んだアルコールのせいか、どこか赤らんだ顔を緩ませて、エルはクチナシに笑いかけた。


「誰かとお酒飲むの、アローラに来てから初めてかも! 付き合ってくれてありがとね〜」


「俺に奢るのはついでってワケか。ねえちゃん、相当な酒呑みだな」


「んなことないない、わたし1人で飲むのは好きじゃないんだよね。まさかスカル団の子たちと一緒に飲むわけにもいかないし、最近は全く飲んでなくてさ」


 そう言いながらも、ハイペースでグラスにブランデーを注ぐエルの姿は、どこからどう見ても酒呑みのそれだ。クチナシはチョコレートを1つ舐めながら、酒瓶の底に沈むラムのみを見た。


「洒落た酒だな、きのみ漬けのブランデーか。果物を漬けたりするのは知ってるが、きのみを漬けたのは初めて飲むな」


「こうしておくと、アルコールの臭みをきのみが吸ってくれて、飲み口がまろやかになるんだよ。このブランデーならいくら飲んでも悪酔いしないよ〜」


「そりゃ助かる、ハラのじいさんに説教されるのはごめんなんでな」


「? なんの話?」


「いいや、こっちの話だよ。酒に漬けてたきのみは相棒にくれてやるのか?」


「お酒に漬けてたきのみだからね、ポケモンがそのまま食べるのには向かないんだ。わたしは砂糖を加えて煮詰めてジャムにするけど、天日干ししてドライフルーツみたいにする食べ方もあるみたい」


 なんてことのない雑談を繰り広げながら、ちびちびと舐めるようにブランデーを飲むクチナシに対し、エルは次々と空いたグラスにブランデーを注いでいく。この調子で飲めば、あっという間に酒瓶は空になるだろう。本人は否定していたが、やはり相当な酒呑みであることは疑いようもない。


「スカル団の子たちがお酒飲める歳になったら、ここをカフェバーみたいにしてもいいかな〜。今のうちからメニュー開発しておこうっと!」


「…そりゃ結構な話だな」


「そしたらクチナシおじさんも来てよね! お酒、別に嫌いじゃないでしょ?」


 何年後かの未来を夢見て笑うエルを見て、クチナシが微笑む。エルは、スカル団の子供たちが大人になるその時まで、このポータウンに留まるつもりでいるのだと、その一言でわかったからだ。兼ねての住人が去り、同じウラウラ島の島民ですら寄り付かない、この雨のそぼ降る捨てられた町に。
 しまキングとはいえ元々アローラの生まれではなく、郷土愛も何もないクチナシからすれば、エルがこの島を気に入ったかどうかなど大したことではない。ただ、帰る場所を失ったエルが、新たな自身の居場所を得られたことは喜ばしいことだろう。訳ありのはぐれ者同士、語らいながら酒を共にする傍らで、とうとう睡魔に屈したマーシャが寝息を立て始めていた。



* * *



わたしがこのブランデーを始めて作ったのは、もう随分と昔のことだ。


「ゲーチス、おはよ…って、酷い顔色だよ!? 具合でも悪いの!?」


「…あまり大声を出さないでください。単なる二日酔いです」


 ゲーチスと一緒に暮らしていたころ、アイツはよく酷い顔色で朝を迎えていた。もともと白い肌が更に青白くなって、頭痛がするのか険しい顔でこめかみを抑えて、病人みたいな量の酔い止めの薬を飲む姿を、わたしはよく目にした。
 その理由に気付いたのは、わたしがアイツの傷を目の当たりにした、その時だった。ゲーチスは腕や脚、それから右目の古傷が痛むと、酒を飲んで感覚を鈍らせることで痛みを誤魔化していた。けれど、もともとゲーチスは酒どころか食ですら好まない。アイツにとって何かを食べたり飲んだりすることは、自分の身体を最低限自由に動かせるようにするための、単なる作業でしかなかった。だから、大して好きでもない酒を飲まなければならないことは、ゲーチスにとって苦痛でしかなかったのだろう。よくこうやって悪酔いしては、最悪な朝を過ごす羽目になっていた。


「嗚呼、忌々しい…。自分の身体が邪魔だとすら感じますよ。ワタクシにはやらねばならないことが無数にあるというのに」


「……」


 わたしは、どうすればゲーチスの傷の痛みを失くせるか、必死に考えた。けれど、古傷が無性に痛むことがあるのはわたしも一緒だったから、完全に痛みを封じることはできないことも知っていた。だから、せめてゲーチスが悪酔いしないようなお酒はないかと、様々な料理の本をひっくり返して見つけたのが、お酒にラムのみを漬けこむという料理法だった。


「はい、あげる」


「? なんですか、これは」


「これなら、ちょっとは二日酔いもマシになるかも」


「……」


「無言で受け取んなや! お礼ぐらい言ったらどうなんだっつーの!」


 わたしがゲーチスの為に行った行為の殆どに、アイツはお礼など言った試しがなかった。わたしはいつだってそのことに腹を立てたが、それでもわたしはゲーチスの為に沢山のことをした。それはアイツへの想いを自覚する前も、自覚した後も変わらなかった。
 初めてラム漬けブランデーを作った日から、ひと月ほど経った頃のある朝。ゲーチスはいつも通りの涼しい顔で、窓辺の椅子に腰かけていた。ゲーチスは、「おはよう」と声をかけたわたしに向かって、開口一番にこう言ってきた。


「アナタが寄こしたモノは、確かによく効きました」


「…え?」


 一瞬、何のことを言ってるかわからなかった。けれど、すぐにわたしが渡したブランデーのことだとわかって、わたしは嬉しくて堪らなくなった。ゲーチスの苦しみを、わたしはひとつ取り除いてあげられた。わたしはあの人の為になることができたのだ。
 そのことに対して、ゲーチスはやはりお礼も何も言ってこなかったけど、わたしはゲーチスの為にラム漬けブランデーを作り続けた。また作れ、とも言われてないにも関わらず、だ。それでも数週間に一度、酒瓶の中身が減っていることを確かめては、わたしは嬉しくて堪らなかった。誰よりもわたしの心を締め付けて離さない男への無償の愛が、確かにわたしの中に存在していた。
 別に、抱きしめたり、キスしたりしたいわけじゃない。どんな悪党だって、その片棒を担ぐことになったって構わない。わたしを一生、特別扱いしてくれれば…。わたしにだけ、ほんの少しだけ優しくして、たまに笑いかけてくれれば…。そう、他の誰でもない、わたしにだけ…。



* * *



「…最近、夢見が悪すぎる! ダークライにでも憑りつかれてんの!?」


 カフェへの道へずかずかと進みながら、エルは昨晩の夢を思い返しては憤慨した。
 クチナシと別れた後、程よく酔っていたこともあり帰ってすぐに床に就いたのだが、またもや過ぎ去ったかつての日々が夢に出てきたのだ。今ここにムシャーナがいれば、この夢をひとつ残らず食い尽くしてほしい、などと考えつつ、まだ寝ぼけ眼が抜け切れてないマーシャをぎゅーっと抱きしめて気を紛らわせる。そうこうしているうちに自身の店へと到着したので、バチンと自身の頬を叩いて意識を切り替える。


「ええい、こういう時は仕事仕事! …そういえば、昨日飲みきったブランデー、そのままにしてたんだった! 仕込み前にラムのジャムでも作るかな」


 昨夜のことを思い出し、エルは調理場に置きっぱなしにしていた、ブランデーの瓶を探す。飲みきった時点で相当夜が深かったこともあり、空き瓶の中のラムのみをそのままにしたまま、店を後にしたのだった。酔いでどこに酒瓶を置いたかの記憶も朧気だったが、調理台の上にドンと置かれた酒瓶をすぐに見つけ、エルは意気揚々とそれを手に取った。


「…あれ?」


 エルはふと、酒瓶を持つ手に違和感を感じた。酒自体は既に飲みきってしまったので空き瓶ではあるのだが、それにしても軽いのである。ブランデーに漬けていた十数個のラムのみはそのままにしてある、にも関わらずだ。不審に思ったエルは、茶褐色の瓶越しに中身を覗き込み、そしてあることに気付いた。


「ブランデーに漬けてたラムのみが、無くなってる…?」



back


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -