トゥデイ・4・U
Today for you, tomorrow for me.
『今日はわたし 明日はあなた』
「エルさーん! エネココア2つくださーいっ!」
「あと、あまいミツたっぷりのアローラパンケーキも一緒で!」
「かしこまりました〜。いま作るからちょっと待っててね!」
「「ハーイ!」」
カウンター越しにエルに注文したスカル団のしたっぱ2人は、キャッキャッとはしゃぎながらテーブル席へ移動した。エルはすぐにエネココアとパンケーキの準備を始め、カウンターテーブルの上に寝そべるマーシャがそれをじっと見ている。
エルとマーシャがポータウンのポケモンセンターカフェを開いてから、数日が経った。エルたちが訪れるまではほぼ廃墟と化していたポケモンセンターも、カフェが開店してからはスカル団の団員たちで常に賑わっている。とは言っても、スカル団以外の客が来ることなど、全く無いというのが本当のところだが、それでもエルにとっては大切な常連客である。
「おまたせしました、エネココアとパンケーキのセットのお客様〜?」
「キャハハッ、お客様だって!」
「お客様でしょーが。だからホラ、ちゃんとお代を出しなさい、お代を」
「エーッ。エルさんオトナでしょ、奢ってよー」
「わたしだって金無いっつーの! そうポンポンと奢れるか!」
「「キャハハハ!」」
冗談めかしたような笑い声をあげながら、したっぱ2人はエルに代金を支払って、エネココアとパンケーキの皿が乗ったトレーを受け取った。エルは呆れ半分冗談半分に「この悪ガキどもめ〜」と呟いて、受け取った代金をレジへとしまう。そして、レジの中に収められた紙幣や硬貨を見ながら、誰に向けてでもなく溜息を吐いた。
(うーん、わかっていたことではあったけど、まあお金足りないよなー…。マーシャに食べさせるだけの額は確保できても、次の仕入れをどうするか…)
カフェを開店し、代金を徴収できるようになったのはいいが、それをそのまま自身の懐へ収めたとしても、解決しなければならない問題が積み上がっていた。
まず1つ、飲食店を経営するからには、提供する商品の原材料を仕入れなければならないが、まとまった量を仕入れるにあたってそれなりの金が必要になる。しかし現時点での収支だけでは、とてもではないが足りないのだ。最悪、エルが懐を痛めて資金を捻出してもいいが、廃墟状態だったカフェの設備を整える段階で既にほとんどの有り金を費やしてしまった。
本来であれば、エルのカフェはアローラ中でチェーン展開しているポケモンセンターカフェの1店舗、いわばフランチャイズの形態となっている店舗なので、カンタイシティの本社から費用面での支援があるはずだ。しかし、エルが何度連絡を取っても、返ってくるのは「担当者が不在です」の一言だけだった。ただでさえ沸点の低いエルであるのに、冷たい口調で事務的に受け流されたので、ブチ切れて連絡手段の電話機を半壊させたのは内緒の話である。
「はぁ〜…。やっぱ現実はそう上手くもいかないもんだなぁ」
「…んだよ、辛気臭え顔して」
「あ、グズマ! いらっしゃい、今日もエネココア?」
「わかってるんならいちいち聞くんじゃねえよ、まだるっこしい!」
ずかずかと大股で来店したグズマにエルが手を振ると、グズマは気恥ずかしいのかそっぽを向きながら怒鳴った。カウンター席に乱雑に座ったグズマに、マーシャが「ぐ!」と挨拶するように鳴き声を上げたので、グズマは反応に困って眉を寄せる。
「いやね、大人になると色々と面倒くさいことが増えてくるなって思って」
「何が大人だ、その辺のガキより自制心が欠如してる癖によ」
「自制心が欠如だなんて、難しい言葉を知ってるねェ。やっぱりグズマ、案外育ちいいね?」
「うるせェこのクソ女!! 話を逸らすんじゃねえよ!!」
烈火のごとく怒りだしたグズマに、エルは「ごめんごめん」と謝りながら淹れたてのエネココアを差し出した。グズマはひったくるようにマグカップを受け取ると、パーカーのポケットの中からクシャクシャの紙幣を取り出し、エルに向かって乱暴に投げて渡す。エルはレジからお釣りの代金を取り出して、カウンターテーブルへと置いた。
「ほら、このカフェを綺麗にするのに、結構自腹切ったんだけどさ。その辺の請求をどうやってしようかなって」
「あ゛? テメーは上司から命令されてここに来たんだろ。そいつからぶん取ればいいんじゃねえのか」
「ぶん取るだなんて物騒なこと言うなぁ。そうしたいところだけどさ、何度連絡しても『担当者が不在です』だってさ。ま、わたしをここに送ったのだって、外国人でしかも女の従業員を解雇したとなると角が立つから、自分から辞めるように仕向けたってところが本音だと思うけど」
こういったことを客に話すのはどうかと思いながらも、エルは次々に愚痴をこぼしてしまう。自分で自覚している以上に、このことに対して不満が溜まっているのか、はたまた不安を抱えているのかもしれない。グズマはそんなエルを、珍しいものを見るような目で見た。
「…お前も、そんなツラすることがあるんだな」
「え? やだ、そんな辛気臭い顔してる? そりゃいけないや。マーシャ、元気を補給させてっ!」
「きゅ〜」
エルはカウンターテーブルに寝そべるマーシャの毛並みの中に、ぼふっと顔を埋めだした。エルのこういった行動に慣れっこのマーシャは、大人しくされるがままになっている。グズマはふと、何か考えるように目を伏せて、エネココアをぐいっと呷った。
* * *
その翌日、ポータウンのあるウラウラ島の東に位置する、アーカラ島のカンタイシティ。アローラ地方でも有数の観光地であり、またビジネス街でもあるこの街に建つビルの1階に、アローラ中で展開するポケモンセンターカフェを運営する外食産業企業『カフェ・アローラ』の本社がある。何十人もの職員が仕事に明け暮れる中、社長室ではカフェ・アローラの社長が鼻歌を歌いながらゴルフの練習をしていた。
するといきなり社長室の扉が乱暴に開き、慌てた様子で秘書の女性が駆け込んでくる。社長は驚きつつも、バツの悪そうな顔をしてゴルフクラブを背中に隠した。
「しゃ、社長! 大変です!」
「ど、どうした? 何かあったのか?」
「そ、それが……!」
「邪魔するぜ、社長さんよ」
青い顔をする秘書を押しのけて、何者かが社長室に押し入ってきた。その人物を目の当たりにした社長は、驚きのあまり持っていたゴルフクラブを手から落としてしまう。
「す…スカル団…!? な、なんでここに…!」
社長室に押し入ってきたのは、グズマであった。その後ろにはプルメリと、何人かのスカル団のしたっぱの姿もある。いきなり現れたスカル団の面々に、社長は「ヒッ」と息を呑んで後ずさった。
「そうビビるんじゃねえよ、オレさまたちは社長さんに礼を言いに来たんだからよ」
「れ…礼…?」
「オレさまたちのアジトのポータウンに、カフェなんざ開いてくれてよ。おかげさまでウチのしたっぱどもが、ようやくまともなメシが食えるってんで喜んでるぜ」
「ど…どういうことだ? おい君、何か知ってるのか?」
「そ、それが、社長の耳にはお入れしてはいませんでしたが…」
どうやら社長はエルのことを知らないようで、秘書の女性がエルのことと、彼女がポータウンに送られた経緯を説明する。その間、グズマは社長が落としたゴルフクラブを拾い上げて、黒い革製の社長椅子に乱暴に座った。
「おいおいおい、なんでそのことを伝えなかったんだ! 第一、なんでその従業員は辞めていないんだ!?」
「我々もまさか、いまだにポータウンにいるとは思いませんでしたので…。彼女はイッシュ出身の外国人で、更に女性ですので、こちらから解雇しては弊社のクリーンでリベラルなイメージに反すると、副社長が…」
「っは! 『クリーン』で『リベラル』か、そいつは大層なお題目だなァ! オレさまたちスカル団がおたくの店に行くと、全員が全員イヤそうな顔するってのになァ!?」
グズマが爆笑しはじめ、それにつられるようにプルメリ以外のスカル団の者たちが笑いだす。しかし、グズマの眼が全く笑っていないことに気付くと、社長と秘書は怯えるように息を呑んだ。それを見たプルメリは、冷静ながらも鋭い視線を彼らに向けた。
「そいつがアンタらの経営方針ってワケかい。なら、あたいらの街で働いてるアイツに、してやることがあるんじゃないのかい?」
「な、なにをっ…!?」
「まあ、慌てるんじゃねえよ、社長さんよ。まず、おたくがしなきゃあならないことは…」
グズマは座ったまま、手に持っていたゴルフクラブを床に叩きつけた。ガァンッ!という鈍い音が室内に響き、社長と秘書が恐怖のあまり竦みだす。叩きつけた衝撃で折れ曲がったゴルフクラブで2人を指しながら、グズマは凶悪な笑みを浮かべた。
「『担当者』とやらをここに連れてこいや」
* * *
一方その頃、ポータウンのカフェでは客足が落ち着いたこともあり、エルがマーシャと一緒にお茶に興じていた。
「ぐぅーぐ!」
「ん? マーシャ、どうかした?」
するとマーシャが何かを伝えるかのように鳴き始めたので、エルは首をかしげながらマーシャの視線を追う。そこには、どのポケモンセンターにも同様に備え付けられている、古いタイプの電話機があった。電話が来ていることを知らせる赤いランプが点滅していることに気付いたエルは、慌てて電話を取りに行く。
「そうだ、前に電話した時にブチ切れて壊しちゃって、いまコール音鳴らないんだった! ありがとね、マーシャ!」
「ぐぅ!」
「えー、はいもしもし、どちら様で……」
『も、もしもしっ、ポー支店のエルさんですかっ…!? カ、カンタイ本社の担当の者ですっ…!』
電話口に聞こえてきた上ずるような声に、エルは思わず驚いてしまう。どうやら電話をかけてきたのは、こちらから何度連絡しても全く繋がることのなかった、カフェを経営するカンタイシティの本社の担当者らしい。エルは先日連絡した時、氷のような冷たい声で「担当者が不在です」としか言われなかった時の苛立ちを思い出し、一言嫌味でも言ってやろうかと思ったものの、そこは大人になって冷静に対応することにした。
「ああよかった、実はここのカフェの設備を整えた時の費用のお話なんですけど…」
『ハ、ハイッ、わかっています!! 領収書を送っていただければ、すぐにこちらで用意しますので!!』
「へ? あ、ああ、そうですか…」
以外にもあっけなく話がついたことに驚きつつも、エルは心から安堵した。これまでの本社の態度からして、まともな対応をしてもらえなくてもおかしくはないと思っていたからである。なんとなく肩透かしを食らった気分になりながらも、まだまだ片付いていない問題はあるので、エルは次の話を述べた。
「あと、ここの従業員がわたししかいないってことは、わたしがオーナーってことでいいんですよね? そうするとロイヤリティーの問題とか出てくると思うんですけど」
『ロ、ロイヤリティーはですね…。他の店舗では基本的に、売り上げの15%を…』
するとそこで、電話口の向こうから何かを叩きつけるような、凄まじい音が聞こえてきた。それと同時に電話の相手が「ひぃぃっ!」と叫んだので、エルの方が逆に驚いてしまう。
『け、結構です!! 全てそちらの懐に収めていただいて構いませんので!!』
「えぇっ? そ、それはいくらなんでも…。確かに、ウチの店はスカル団の子たちくらいしかお客がいないから、大した売り上げにもならないとは思いますけど…」
『け、結構と言ったら結構ですーッ!! とにかく費用面の問題はこちらにお任せくださいッ!! それでは!!』
「は、はぁ…?」
いっそ投げやりにそう言われ、そこで通話が切れた。エルは首をかしげつつも、受話器を置いてマーシャのところへ戻ってくる。マーシャは不思議そうにエルを見上げていたが、エルが頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細めた。
「…まさか、とは思うけどねェ…」
エルはふと、電話越しに聞こえてきた、あの何かを殴るような音を思い出した。
* * *
「おい、エネココア」
その夜、閉店間際にグズマはカフェを訪れた。カフェには他の客はおらず、エルとマーシャだけがいたが、マーシャはテーブル席の椅子の上でスヤスヤと寝息を立てていた。その日の売り上げの勘定をしていたエルは手を止めて、「ちょっと待っててね」と言ってからエネココアの準備に取り掛かる。冷蔵庫からエネココアの材料を取り出しながら、エルはふとグズマに尋ねた。
「ねえグズマ、今日はどこ行ってたのさ?」
そう聞くと、グズマは一つだけ舌打ちをして、エルの問いに答えることなく口を閉ざした。エルはココアパウダーを軽く炒りながら、グズマに核心を問いかける。
「まさかとは思うけど…。カンタイシティにある、ここのカフェの本社に行ってたりしない?」
「…だったら何なんだよ」
「やっぱりアレはキミたちの仕業かぁ。あのね、わたしの立場としてはすごく助かったんだけどね。だけど、相手を脅したりして、それが原因で捕まっちゃったらどうすんのさ。つい最近、お巡り1人に喧嘩売ったばっかりでしょ?」
「脅してねえ、取引したんだよ」
「取引?」
出来上がったエネココアをマグカップに注ぎ、冷めないうちにグズマへと差し出した。グズマはそれを受け取ると、ポケットの中からまたもやクシャクシャになった紙幣を取り出し、エルに渡す。
「オレさまたちスカル団は、ここ以外のカフェには行かねえって、そういう取引だよ」
「……」
「他のスカル団の連中も満場一致で大賛成だったんだぜ。『今さら他の店のエネココアなんざ飲めるか』ってな。オマエはムカつく女だが、まあエネココアだけは悪かねえからな」
「…グズマ、あのねぇ」
エルは深く溜息を吐いて、そっぽを向きながらエネココアを飲むグズマの頭にポンと手を置いた。その仕草に驚いたグズマが、咄嗟に視線だけをエルに向ける。
「わたしのためにキミたちが悪者になる必要なんか、どこにもないんだからね」
グズマの頭に手を置きながら、エルは冗談の欠片も無い、真剣そのものの表情でグズマを見た。グズマは一瞬驚いたように眼を見開くも、すぐにマグカップを持たない方の手でエルの手を振り払い、思いっきり睨みつける。
「…んだよ、余計な真似だって言いてえのか!? ああそうかよ、そいつは悪かったなァ!」
「グズマ、そういうことじゃないって、わたしはね……」
「うるせえなッ、まだるっこしい言い方するんだったら、素直に迷惑だって言えばいいだろうが! クソがッ、わざわざアーカラまで行って損したぜ!」
グズマはそう怒鳴ると、まだ中身の残っているマグカップをカウンターテーブルに叩きつけ、そのままカフェを出て行った。その音で飛び起きたマーシャが、丸い瞳で去っていくグズマの背を追っていく。エルはカウンターの向こうからグズマを見つめ、小さく溜息を吐いた。
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