アナーキー・イン・ザ・アローラ2
「えっ! あの人、センパイの親父さんっスカ!?」
ディアンの呟きに、彼の相棒のヌカは驚いたような声を上げた。ヌカとアーリィが改めてディアンと、彼が父と呼んだ警官の男を見比べてみると、確かに目元が瓜二つである。しかしディアンは震える拳をグッと握り締め、キッと父親を睨みつけた。
「…テメー、何しに来やがったんだよッ!!」
「ディ、ディアン…?」
「今さら父親ヅラか!? ふざけんな、散々オレのことをコケにしておいてッ…!」
「すりぃ……」
赤く充血した眼で父親を睨むディアンに、周囲のしたっぱたちは困惑の色を隠せなかった。急に現れたディアンの父は、息子の怒鳴り声に怯むことなく、氷のような鉄面皮でディアンを見下した。
「父親に向かってその口の利き方はなんだ? 第一、俺がいつお前をコケにしたというんだ」
「……ッ! アンタ、言ってただろうが…! オレが試練に失敗した時、『恥を知れ』って…!」
「…あれはお前に強くなってほしいと思っての言葉だった。俺はお前なら、ちゃんと試練を達成して家に帰ってくると信じていた。なのに、まさかスカル団なんぞに加わっているとは…!」
「『なんぞ』!? スカル団を馬鹿にすることは絶対に許さねえぞ! スリープ、『ずつき』!」
「りゅいっ!」
主人の掛け声に合わせて、スリープは手に持っていたポフィンを投げ捨て、ハーデリアへと突進していく。しかし、ハーデリアはヒラリと身を躱して、スリープの『ずつき』を避けた。攻撃をかわされたスリープがよろめいた瞬間を見過ごすことなく、ディアンの父はハーデリアへと指示を出す。
「ハーデリア、『かみつく』だ」
「バウッ!」
「! ス、スリープ!」
背後から『かみつく』の技を放ってきたハーデリアに、スリープは「ギャンッ…!」と叫んだ。『かみつく』はあくタイプの技、エスパータイプのスリープにとって弱点タイプの攻撃を喰らい、スリープはたまらずその場に倒れ伏してしまった。ディアンは慌ててスリープに駆け寄り、痛みに呻くスリープを抱き上げる。
「スリープ! 大丈夫か!?」
「…りぃ……」
「見ろ、スリープの姿を! 試練から逃げ続け、俺からも逃げ続けた、その結果がこれだ! お前のような弱いトレーナーに使われるポケモンが哀れだと思わないのか!」
「……!」
「まさか俺の息子が、よりにもよってこんなクズどもとつるむとは…! 恥ずかしいとは思わないのか、この親不孝者が!」
「エンニュート、『りゅうのいかり』!」
瞬間、カウンター席の方から毒々しい色の衝撃波が飛んできて、ハーデリアに直撃した。ハーデリアは鳴き声こそあげなかったものの、衝撃を受けて壁に叩きつけられる。驚いたディアンが技が放たれた方へ振り返ると、プルメリとその手持ちポケモンであるエンニュートが、ディアンの父とハーデリアを睨みつけていた。
「こんなクズ、とは随分な言い様だね。お巡りさんってのはそんなに偉いのかい」
「プルメリ姐さん…!」
「スカル団の幹部のプルメリか。自分の息子が間違った道に足を踏み入れているのに、それを正そうとしない親がどこにいる?」
「アンタの息子? ハッ、そんなヤツは知らないね! ここにいるのは、あたいの可愛い子分だけさ! エンニュート、もう一度『りゅうのいかり』だ!」
プルメリの掛け声と同時に、エンニュートはハーデリアに追撃しようと、姿勢を低くして深く息を吸う。するとハーデリアは床を蹴って、辺りに散らばるスカル団のしたっぱやポケモンたちの合間を縫うように走り出した。エンニュートは狙いが定まらず、仮に定まったとしても主人の子分やそのポケモンに攻撃が当たるかもしれない状況に、『りゅうのいかり』を放つことができないでいる。
「にゅ…!」
「クソッ、ちょこまかと…!」
「ハーデリア、跳べ!」
ディアンの父の指示に合わせて高く跳びはね、エンニュートの背後のカウンター席へと着地した。プルメリとエンニュートが振り返るよりも早く、ディアンの父は攻撃の指示を叫ぶ。
「『とっしん』!」
ハーデリアはカウンターテーブルを蹴って勢いをつけて、エンニュートへ『とっしん』を放った。
「ギッ……!」
「ッ! エンニュート!」
ハーデリアの攻撃はエンニュートの背に直撃し、そのまま前方へ吹っ飛んでテーブルに叩きつけられた。テーブル上に乗っていたポフィンの積まれた皿が、エンニュートがぶつかったことにより音を立てて割れる。
「あぁっ…! ア、アイツの作ったポフィンが…!」
エルが作ったポフィンが押しつぶされ、無残に床に転げ落ちていく光景に、スリープを介抱していたディアンはショックを隠せなかった。それはディアンだけでなく、ヌカやアーリィ、他のしたっぱやポケモンたちも同様で、皆怒りのあまりふるふると震えだす。
「ひ…ひどい…!」
「な、なんてことするんスカ! ズバット、センパイと姐さんたちの敵討ちっスよ!」
「ギャウ!」
「よくもプルメリのアネキのエンニュートと、エルさんのポフィンを! お前ら、スカル団の恐ろしさ、思い知らせてやれーっ!」
「「「おぉぉぉっ!」」」
激怒したしたっぱとその手持ちたちが、一斉にハーデリアに向かって攻撃を放つ。ハーデリアはヒラリと身を躱して主人のもとに戻ると、指示を受けていないにも関わらず『まもる』による防壁を展開し、攻撃から身を守る。ディアンの父はウンザリとしたような表情を浮かべたかと思うと、苛立ちを隠せない声色でハーデリアに指示を出した。
「ハーデリア、『バークアウト』!」
「ガァァァウッ!!!」
ハーデリアが怒号のような鳴き声をあげ、『バークアウト』を放つ。けたたましい鳴き声が衝撃波となって、ハーデリアの近くにいたポケモンたちを吹き飛ばした。攻撃を受けたポケモンたちがエンニュートと同じようにテーブルに叩きつけられ、ガシャン、ガシャンと立て続けに皿やグラスが割れていき、エルの手料理が散乱していく。
「やっ…やめろ! これ以上ここを無茶苦茶にするんじゃねえ!」
「お前が家に戻るなら、ハーデリアをボールに戻してやる。拒否したとしても、無理にでも連れ帰るがな」
「…ッ!」
「ディアン! アンタは望んでここにいるんだろう、そんなヤツの言うことなんか聞く必要はないよ!」
「ね、姐さん…でも…」
「…ハーデリア」
「! や、やめ……!」
再び構えだしたハーデリアに、ディアンが手を伸ばす。するとその瞬間、ポケモンセンター入口の自動ドアのガラスが、「パリィィンッ!」と音を立てて割れた。驚いたディアンの父と、ハーデリアが振り向いたその瞬間、ガラスを割った犯人であるポケモンが、ハーデリアにむかって強烈な攻撃をかます。これまで攻撃を受けても呻き声一つ上げなかったハーデリアが、初めて声を上げた。
「キャンッ……!」
「ハーデリア!?」
「グレイト、カイロス。良い『かわらわり』だったぜ」
「グ…グズマさん!」
たった今リザードンライドで戻ってきたところらしいグズマが、割れたガラスの破片を踏みつぶしながらポケモンセンターの中へ現れる。ハーデリアに攻撃したのは彼の手持ちのカイロスであり、ノーマルタイプの弱点であるかくとうタイプの技『かわらわり』によって、ハーデリアは大きなダメージを受けたのだ。ハーデリアは残った力を振り絞り、カイロスのツノの下から這い出て、射殺さんばかりにグズマを睨みつけているディアンの父のもとへ下がる。
「スカル団のボス、グズマ…。お前のようなヤツがいるから、息子のようなものを知らない子供が餌食になるんだ」
「これはこれは、ハウオリ交番のジャコウ巡査部長じゃあねえか。管轄外のウラウラまで来るとは、仕事熱心で頼もしい限りだなァ!」
如何にもわざとらしい言い草のグズマに、プルメリが呆れたような視線を向ける。しかし、彼が烈火のような怒りを胸に秘めていることは、その血走った眼を見れば一目瞭然だった。
「仕事熱心な巡査部長には悪いが、この街にはお巡りはいらねえんだ。法律やルールなんてモノは、既にオレさまがブッ壊しちまったからよ。さっさと出ていきな、さもなくばテメェもそのハーデリアもブッ壊す」
「…俺がクズどものいうことを聞くと? ハーデリア、まだいけるな」
「ガウッ」
ディアンの父、ジャコウの言葉に、ハーデリアはよろめきながらも立ち上がって、カイロスを威嚇するように睨みつけた。カイロスも負けじと2本のツノをジャキンと交差させ、ハーデリアを睨みつける。2人のトレーナー、2匹のポケモンが一触即発の雰囲気に包まれる中、先手を取ったハーデリアがカイロスに向かって突進していった。
「跳べ、ハーデリア!」
「バウッ!」
ハーデリアはエンニュートとのバトルでそうしたように、カイロスの目の前で跳び上がって背後へと回り込む。そのままカイロスの背に向かって、攻撃を繰り出そうとした、その瞬間のことだった。
「はーい、ハーデリア〜。いい子だからお座りしようねぇ〜」
この場にそぐわない間延びした猫撫で声が、ポケモンセンターの中に響いた。グズマらスカル団の面々だけでなくジャコウも呆気に取られ、声のする方へと振り向く。
「エルさん!」
真っ先にアーリィが声の主であるエルを見つけ、ホッとしたような声を上げた。ポー交番から戻ってきたエルは何故か、不自然なほどのニコニコとした笑顔を浮かべ、カイロスの背に回ったはずのハーデリアの頭を撫でていた。ハーデリアは一瞬呆気に取られながらも、攻撃の手を止められたことを抗議するように、エルに向かって低く唸る。
するとエルの笑顔がスッと消え、鋭すぎるほどの眼でハーデリアをじっと見つめた。その異様なまでの威圧感を放つ赤い瞳に、ハーデリアは全身の毛を逆立てて怯えだす。
「ハーデリア、お座り」
エルが静かにそう言うと、まるで重力に押しつぶされたかのように、ハーデリアはへにゃりと下がった尻尾を地面につけて座った。その様子にエルは満足げに笑い、「いい子だねぇ〜」とハーデリアの頭を撫で始める。いきなり現れた素性の知らぬ女の言うことを聞いた相棒の姿に、ジャコウは信じられないと言いたげな表情を浮かべた。
「ハーデリア!? 一体、何故…!?」
「く…くぅん……」
「アンタがそのハーデリアのトレーナーで、ボーちゃんの父親?」
エルは前方に立つグズマを押しのけて、動揺するジャコウのもとにツカツカと近づく。押しのけられたことに不満げなグズマを尻目に、エルは傲岸不遜に腕を組んだ。
「誰だ、あんた?」
「ただのカフェの店長だよ。アンタの話、クチナシおじさんから聞いてね」
「…これは俺たち親子の問題だ、あんたの出る幕じゃない」
「そりゃわたしだって良識ある大人だからね、父と子の話に水を差そうだなんて思ってないよ。でもねえ、さっきそのハーデリアの『バークアウト』が交番の方まで聞こえてきてねぇ。そのせいで、わたしの可愛いマーシャが怯えてるんだよ、可哀想に」
エルは怒りに満ちた、グズマよりもよっぽど凶悪な表情で、ジャコウを睨みつけた。
「わたしのマーシャを怖がらせるヤツは、たとえ国家権力であろうと絶対に許さねえと相場が決まってんだよ」
「……ッ!」
「それがわかったら、とっとと消えろ」
エルの有無を言わさぬ強い語気に、ジャコウが怯む。するとそこへ、何故かマーシャを片手に抱えたクチナシが、傘を差しながらやってきた。
「ジャコウ、ここはそのねえちゃんが言う通り、引いておけ」
「! クチナシさん…」
「お前さんの方がちと分が悪い。ハーデリアをこれ以上、傷つけたくはないだろう」
クチナシの言葉に、ジャコウは座ったままのハーデリアを見つめる。エルに怯え、カイロスの『かわらわり』によって傷つきながらも、忠実に主人を見つめ返すハーデリアの姿に、ジャコウは深く溜息をついてからハーデリアをボールの中に戻した。
「…すまん、ハーデリア」
「…親父…」
「ディアン、忘れるなよ。ここにいても、お前はただ腐るだけだぞ」
「……」
「…クチナシさん、息子をよろしくお願いします」
ハーデリアの入ったボールを大切そうに腰のホルダーに戻し、ジャコウは霧雨の中、ポータウンを出て行った。ディアンは去っていく父の背を見つめながら、倒れたスリープを戻したモンスターボールを、ぎゅっと握り締めた。
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