エミリーは紅茶をいれるのが下手な女だった。
「おかしい」
「何がだい」
「私は完璧にいれたはずだ!」
彼女のいれる紅茶はだいたいが薄すぎて、もしくは濃すぎて、それから必ず冷めきっていた。彼女はマニュアル通りにいれているはずなのだが、それでもその紅茶の味はお世辞にも美味いとは言い難かった。
「茶葉の量も、湯の温度も、抽出時間も、何もかも完璧にいれたはずだぞ!なのに何故このような仕上がりになる!?」
「私が思うに、君はいちいち計量の確認が長すぎると思うのだがね」
「紅茶は人間の身体構造より厄介だ・・・」
「まぁ、ダージリンをこんな味にできるのはある意味才能と言ってもいいだろうがね」
彼女は実に変わった人間だった。天才であったことは確実だが、それ以上にどこかが人より足りなかった。
彼女は『科学者』『生物学者』『遺伝子学者』『医者』、何より『人間学者』だった。人間は彼女にとって知識と謎の宝庫であり、『知能の高い実験動物』でしかなかった。つまるところ、彼女はマッドサイエンティストであった訳である。
「キルシュ、私は人間の可能性を追求しているのだ。人間は無限の可能性を秘めている。その可能性を引き出し、人間を更なる進化へ導くことこそが私の使命であり、情熱であり、夢だ!」
聞こえだけはいいが、彼女の目的は『最強の殺人兵器を作ること』であった。全ての能力に秀で、全ての人間を屠ることのできる人間を超越した人間を作ることこそが彼女の全てだった。彼女は天才故にそれなりの成果を残したが、それでも理想の殺人兵器を作るまでには至らなかった。
研究段階で彼女はある結論を見出だした。身体能力、知能が完全に出来上がった大人の身体を弄っても大した成果は出ない。まだ未発達状態にある子供こそが、最高の実験動物なのだと。彼女は自分の研究を援助してくれるパトロンを探し、人体実験により最強の殺し屋を作ろうとしていたエストラーネオファミリーに出会った。そこは彼女にとって正しく『エデン』だった訳である。わざわざ高値で実験動物を買わなくても、いくらでも存在しているのだから。
「ドン・エストラーネオ。No.51の投薬を増やしてくれ」
「しかしドクトル・ハーミット。これ以上の投薬は精神崩壊を招く恐れが・・・」
「別に構わないではないか。実験動物の精神状態が実験結果に影響するのを防ぐことができる。いいから投薬を!今のこの状態で最大限に能力を高めているとは言えない!」
彼女は自分の理想の為に何人もの人間を犠牲にしてきた。そして彼女は1つの結論にたどり着いた。
「キルシュ、私は理解した!」
「何をだい、エミリー」
「量産を視野に入れた時、その人間の生れついての『資質』が実験結果に影響してしまう!生まれる前の受精卵の状態から遺伝子を組み替え、加え、最初から完璧な子供が生まれるようにすれば、ムラのない完璧な個体を量産することができる!」
「成る程、合理的だ」
彼女は自らを実験台に、1人の実験結果を生み出した。その子供は、彼女のプロジェクト『Alice and Bob project』から名前を取り、『アリス』と名付けられた。
「お前は頭がイカレてるんじゃないか?」
兄がアメリカに訪れた時、私にそう言った。頭がイカレてるのは私というより、エミリーである気もするのだが。
「自分の妻はあんなマッドサイエンティストで、娘はモルモット。お前はそれでいいのか?」
「何の疑問があるというんだい、アルジャーノン」
「家族っていうのは、もっと温かく、優しいものだぞ。お前の家族は薬品臭すぎる」
「私は今のままで満足している。愛しい妻と、可愛らしい娘に囲まれて、こんなに幸せなこともあるまい」
「・・・そんなにエミリーを愛してるのか」
思えば兄は、私がエミリーと結婚する時も反対していた。私とエミリーの結婚を境にハーミット家から離別し、遠く離れた日本で幸せに暮らしている。それならば、私の心配をする必要もないというのに。
「あぁ、愛してるとも。エミリーは人間を人間とも思わずに人間を愛してるような女だが、そんな女でも私は心から愛しているんだ。同じようにエミリーとの間に生まれたアリスのことも、心から愛している」
「・・・お前は昔から女運がない」
「失礼なことを言う」
この時、エミリーが復讐者の牢獄に投獄される1年前であった。
※アリス&ボブとは暗号、物理学などにおいて「AさんとBさん」みたいな意味で使われる名札みたいなものです。
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