おはようございます、アリスでございます。本日はこのお屋敷にお父様はいらっしゃいません。
「あれ、キルシュさんもう出かけたの?」
「はい、いつものように8時きっかりにお出かけになりました」
毎月13日になると、お父様はお屋敷から出てどこかへお出かけになります。その日のうちにはお帰りにはならずに、翌日の朝になるといつの間にかお屋敷にいらっしゃいます。お父様がどこにお出かけになっているか、お兄様はおろか私すらも知りません。一度尋ねたことはありますが、冗談を言われてはぐらかされてしまいました。
「では、紅茶をいれましょう。お兄様、ご希望はございますか?」
「え?うーん、紅茶の種類とかよくわからないからなぁ・・・。そういえば、前にジョニーさんが来た時にいれてたあの紅茶、あれ美味しかったなぁ」
「シッキムでございますか?かしこまりました、ストレートでおいれしますね」
久しぶりにお兄様とのふたりきりです。有意義に時間を過ごせそうで私は嬉しく思っております。
その男は13日にやってくる。復讐者の牢獄の最深部にいる1人の女に会う為、たった1人で何も持たずに。
「やぁ、エミリー。少し痩せたかな?君がいない屋敷は広くて困る。家族が1人増えても、やはりこの喪失感は埋まらないよ」
女の名前はエミリー・ハーミット。11年前に投獄され、真っ先に最深部での終身刑を架された受刑者だ。この男、情報屋ソロモンの、妻である女だ。
『クフフ、無駄ですよソロモン。彼女は思考回路を完全に遮断してしまっている。考えることをやめた女に、声など届かない』
「六道骸、喋ルナ」
「構わないよ、看守諸君」
この最深部に投獄された受刑者、六道骸はよく喋る。特にこの男が来た時には。六道骸はこの男、そして受刑者エミリー・ハーミットに、因縁があるのだ。
「妻に聞こえていようがいまいが、私が妻を愛していることには変わりないのだから構いはしないよ」
『クフフ・・・。その女の所業を知ってなお愛を貫けるなど、あなたも酔狂な男だ』
「彼女ほど魅力的な女性はいないと、私は今でもそう思っているよ」
エミリー・ハーミットの罪状は『殺人』だ。この牢獄に投獄されている者の罪状はほとんどが殺人だが、この女は他の連中とは訳が違う。この女は、罪の意識さえなくいとも簡単に人を殺す。この女は表での裁きさえ生温い人間だ。だからここへ来た。
『僕がここから出た暁にはあなたもその女も全て殺してさしあげますよ。・・・おっと、そんなに睨まないでください復讐者(ヴィンディチェ)。今は脱獄する気はありませんよ』
「そうはいかないな、モルモット。たとえ私が死んだとしても、彼女だけは生きていてもらわなければ困るのだよ」
『それは愛ゆえですか』
「そうとも、愛ゆえに」
六道骸がソロモンを睨む。しかしソロモンは気にもとめず、まるで存在しないかのように背を向ける。その後、物言わぬエミリー・ハーミットに何度か話し掛けた後、別れの言葉を呟いて去っていった。
精神世界。生ける植物となったエミリーと、憎悪に燃える骸が向き合っていた。
「全く、あなたは幸せな人です。自分の欲望のままに生き、愛した男に愛され、架された苦痛から逃れられたのですから」
エミリーは答えない。その姿はまさに花である。永遠に枯れぬ、美しく物言わぬ造花だ。
「僕はあなたを憎んでいる。あなたはそれからも逃れて、僕の憎悪をものともしない。僕はあなたが憎くて憎くて仕方がありませんよ」
世界が少しずつ薄れていった。目覚めの時が来たのだ。骸は瞼を閉じてその時を待つ。
「時が来るまで・・・。あなたはそうしているといい。ドクトル・エミリー・ハーミット」
世界は霧散した。
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