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#01


 月島に妹がいると分かったのは、銀城との戦いの一週間後のことだった。なんでもリルカがそう言っていたのだと、浦原さんと井上が教えてくれた。リルカが言うには唯一の肉親ではあるが兄妹は既に絶縁状態だそうで、お互いに連絡はとっておらず別々に暮らしていたらしい。「月島のあの馬鹿みたいにでかい屋敷を妹のあの子は知らないのよ」とか、なんとか。

「で?なんで僕が付き合わされるんだ」
「うっせーな、俺だってヤだよ」
「それは僕の言葉だ」
「さっさと行くぞ」
「行くぞって……僕がいないと辿り着けないだろう」

 石田を連れ出したのは、単に井上もチャドも都合が悪かったからだ。あの二人は月島が死んだことで能力が解除され、月島のことなど覚えてないのだと浦原さんは言っていた。二人以外で霊圧探知ができ、なおかつ月島の顔を知っている人間となると、俺の周りでは石田しか頼れなかった。
 男二人──お互いにそこそこに身長があって、何より愛想のいい方ではない。石田は真面目な優等生然としてはいるが、同時に冷淡さも感じられる。俺はといえば、中学を過ぎたあたりからの周りの評価は"ヤンキー"だ。親しみなんて俺から最も遠い言葉だってことは自覚している。
 月島の妹が何歳かは知らないが、せめてビビられませんようにと祈りながら歩を進めた。

「そろそろ霊圧探知ぐらいできるようになってくれ」
「適材適所だろ」

 月島の妹の顔を俺たちは知らないし、写真が入手できたわけでもない。しかし、住んでいるらしいと噂のアパートに辿り着けば、たしかに月島に近い霊圧は感じられる。霊圧探知が苦手な俺でもなんとなくわかるのだから、石田や、あるいはアイツと戦った白哉ならもっとわかるだろう。
 少し古びたアパートは俺の家からそう遠くない場所に建っていた。例の屋敷やXCUTIONのアジトと比べると随分ともの寂しさがある。雰囲気があるというと聞こえはいいが、言ってしまえばボロい。

「二階だ」

 石田に言われて階段を登る。ギシギシと階段の軋む音がして、まるでタイムリミットでも刻まれているかのようだった。
 ──俺たちは今から、兄が死んだことを妹に伝えにいかなければならない。そしてその猶予はあとほんの数メートルしかないわけで、足取りは重くなる一方だ。それは石田も同じらしく、月島の表札がある部屋の扉の前に立っても何も言わなかった。気まずくなってお前がインターフォン押せよ、黒崎お前が押せ、と言い争いをする。そんな風に喚いていると、とても大切なことに気がついた。

「……インターフォンねぇな、ここ」

 石田はそれに答えることなく、控えめに扉を叩く。しばらく無言だったが、扉越しにばたばたと慌てたような音が聞こえて、それから小さく「はい」と聞こえた。

「すみません、お待たせしました」

 小さく開いた扉の隙間から、女の人の声と片目だけが覗いていた。俺があのー、えっと、と吃っていると、石田が「突然押しかけてすみません」と言う。というか、言おうとした。

「……兄のお知り合いですか?」
「え?ええ……知り合いです、一応」

 斬り合いをしました、だなんてのは冗談でも言えないだろう。ぐっと言葉を飲み込めば、女の人(たぶん、月島の妹)はとうとう扉を開けた。

「兄のご友人ですか?」
「まあ……」
「いや、全然」

 隣で石田が「おい黒崎、」と小さく抗議した。言いたいことはわかる、きっと友人だと切り出した方が疑われない。それでもこの人には嘘をつきたくないと思った──きっとこの人が月島とどこか似た目をしていたからだ。

「まあとりあえず、上がってください」

 お言葉に甘えて二人で部屋に上がる。小さいアパートだと思ったが、予想通り中もだいぶ狭い。男二人がいると余計そう感じる。しかしワンルームの部屋は綺麗に片付けられていて、とはいえ生活感がないというわけでもない。女性らしい部屋に少し胸が高鳴った。……ケイゴのこと馬鹿にできねぇ。

「狭くてごめんなさい。ベッドでもどこでも座ってもらっていいので……お茶かコーヒーどっちが好きですか?」
「いや、お構いなく」
「あ、貰い物のお菓子があるんです。ドーナツなんだけど、食べます?」
「いえ、お構いなく」

 思わず石田と顔を見合わせる。……なんかこの人、随分と世話焼きというか。予想していた人間と違いすぎるというのが本音だった。月島の妹という情報が先行しているからかもっと胡散臭い人間を想像していたのだが、実際のこの人は拍子抜けするぐらい普通の人であった。霊圧と容姿は似ているが雰囲気は全く別物だ。終始にこやかではあるが、月島のような胡散臭い笑みではない。どちらかと言うと井上に近しいものを感じる、お人好しっぽい笑みだった。
 女の人は俺たちがお構いなく、と言ったにも関わらず紅茶とコーヒーとドーナツを準備していた。さらに大量に盛られたドーナツは、流石に食べ盛りの男子高校生といっても簡単に消費できる量ではない。見るからに少食そうなこの人が食べ切れるとも思えない。誰だよ、こんなに持ってきたの。

「自己紹介まだでしたね。月島なまえです」
「黒崎一護……です」
「石田雨竜といいます。本日は突然押しかけてしまい申し訳ございません」
「いえいえそんなそんな……あ、苦手じゃなかったら食べてください!美味しいんですよ、ここのドーナツ」

 押し付けられるようにドーナツを差し出されて、俺たちは恐る恐る手にする。「毒は入ってないから!」と冗談を言うこの人はやはり井上にどこか似ている。
 月島妹──なまえさんの差し出してきたドーナツは、どこかで見たことがあるものだった。確かに言う通り味は美味い。

「あ、あの、」
「一人暮らしだとこんなに食べれなくて困ってたんです。お隣さんにもお裾分けしに行ったんだけどね」
「まあ、こんなには俺たちも食べれないっつーか……」
「あ、よければ持って帰ります?」
「イエ、オカマイナク」

 大事なことを言おうとすればするほどこの人のペースに巻き込まれる。石田も同じことを考えていたようで、ちまちまとドーナツを齧りながらゲンナリとした顔を浮かべていた。

「くれるのは嬉しいんですけどね。でもたくさん食べたら太っちゃうし、運動らしい運動もしてないから」
「はぁ」
「くれるぐらいなら一緒に食べてくれればいいのに。自分も好きなのに、持ってきて帰っちゃうんですよ?」
「……友達ですか?」
「ん?ああいや……友達、ではないのかな」

 その言葉に疑問を浮かべる。どうやら顔に出ていたらしく、なまえさんは「そうだよね、わかんないよね」と困ったように笑った。

「いつもドーナツをくれるだけなんです、その子。私は友達だと思ってるけど、その子がどう思ってるのか、私にはわからなくて」
「不思議な人ですね」
「うん……兄の、お友達らしいんですけどね」

 兄の友達──そこまで聞いて、俺はやっと理解した。ドーナツが好きで月島の仲間といえばアイツしかいない。このドーナツに見覚えがあるのなんて当たり前だった。
 アイツがドーナツをあげるくらいなのだから友達だと言い張ってもいいのだろうが、この人の様子を見るにいつものつっけんどんとした態度のまま、一人じゃ食べ切れない量を押し付けるように渡しているのだろう。不器用にも程がある。まあ、アイツらしいと言えばアイツらしい。

「……兄のこと、ですよね」
「え、ああ、はい」

 なまえさんは俺たちの前に座って小さく言った。
 まさか向こうから話題を切り出してくるとは。さっさと話して帰ろうと思っていたが、いざ話そうと思うと話したくない気持ちが湧いてくる。石田も同じ気持ちだったようで、ドーナツを食べる手を止めた。

「兄に何か、ありましたか」
「あー、えっと……」
「はっきり言ってもらって構いません」

 なまえさんは俺たちから目を逸らして、机をじっと見つめるように俯いていた。膝の上で硬く握られた両手には覚悟が込められている。
 俺たちはぽつりぽつりと、何があったかを話した。月島が俺の家族や仲間に手を出したことや、銀城とのこと。結果、月島が死んだこと。死神のことを伏せたせいで辿々しい説明とはなったが、"俺と月島と対立した結果、月島が死亡した"ということだけはなんとか説明するに至ったのだった。
 なまえさんはただ黙って話を聞いていた。彼女が口を開いたのは、俺が話し終えて一息ついた頃だった。

「兄が、ご迷惑をおかけしました」
「いや……むしろ、謝るのは、」
「黒崎さん。あなたは悪くない」
「でも、」
「悪くないんです。悪かったのは、兄の方」

 深々と頭を下げるなまえさんを止めようとしたが、彼女の深刻そうな声に触れることができなかった。

「私が兄と関係を絶ったこと、ご存知ですか」
「ああ、まあ……」
「……兄はずっと、おかしな能力に固執していた。そのチカラで、知らない人を家族にしていたんです」

 完現術のことだろう。この人は霊が見えるだけの霊力はあるみたいだが完現術は持っていないらしく、その能力がどのようなものかは知らない口ぶりで話をする。
 俺にとっても月島の能力はあまり思い出したいものではないが、なまえさんは忌々しいものを語るかのように話をした。

「朝起きたら、家に私の知らない人がいる。兄のことをお兄ちゃんと呼んで、その人は私のことを妹だと言った」
「……」
「それで、兄と私とその人の三人で、花火大会に行った時の話をしたんです。私たちは人混みではぐれてしまって、でもお兄ちゃんの身長が高かったからすぐに見つけられたんだって」
「……」
「私たちはお兄ちゃんを見つけられたことが嬉しくて泣いてしまって……困ったお兄ちゃんが、私たちの機嫌を取るために綿飴を買ってくれた……」

 なまえさんが手を硬く握る。

「──その思い出は、私とお兄ちゃんの物だったのに」

 なまえさんの表情は見えない。月島によく似た軽やかな黒髪が顔を隠してしまっている。怒りのせいなのか、悲しみのせいか、声が震えていた。

「その人は、次の日にはおかしくなってしまった」
「兄は何も言わずにその人を家から追い出した」
「兄は何度も何度も、同じことを繰り返したわ」
「その度に誰かがおかしくなって、そしてまた家から追い出される。そんなことが何日も、何年も続いた」
「次追い出されるのは私の番だろうと思っていたら──兄の方から家を出て行った」

 畳みかけるようにそう言った彼女に、幼い頃の記憶が蘇る。遺影の中で笑顔の母。泣き止まない妹。気味が悪いくらいいつも通りの、でもいつもより少し優しい父親。黒崎家の太陽が母だったように、この人にとっての太陽は月島だったのだろうと思う。きっとあの頃の俺と同じなのだ。
 奪われたものは、死んだものはもう甦らないことを、俺たちは知っている。自分の無力を嘆くしかないことを知っている彼女──そんな彼女の項垂れる頭が双子の妹たちのことを思い出させていた。しかし、すぐにパッと顔を上げて不器用な顔で笑った。

「でも今だったらわかるの。同じチカラを持たない妹なんて、あの人にとっては他人だったって。私が兄のことを理解できなかったように、兄も私を理解できなかった。しょうがなかったんです。家族だって、所詮は他人ですから」
「……」
「教えてください、黒崎さん。あの人、最期は誰かと一緒にいましたか?」

 その言葉に俺は頷く。事実、あの男は獅子河原に看取られて死んでいったのだから。なまえさんは俺を見て、一言呟いた。

「一人で死んだわけじゃないのなら、よかった」





 その後、たわいもない話をたくさんして、「そろそろ家帰らないと親御さん心配するよ」というなまえさんの言葉でお開きとなった。
 男の俺たちの帰りが遅いくらいで心配するような親たちではない……と思いながらも帰り支度をする。それからなまえさんは、俺たちにドーナツをこれでもかというほど手渡して見送ってくれた。わざわざ玄関の外まで出てきて、ずっと俺たちに手を振っていた。
 今時珍しいくらいお人好しななまえさんは、やはりあの兄とは似ても似つかない。また来てね、勉強で困ったことがあったらメールしてくれていいから、と朗らかに笑う笑顔には月島の面影すら感じなかった。

「まさか石田がメアド交換するとはなぁ……つーかその携帯現世こっちでも使えたのか」
「浦原さんが改造したらしい」
「それって……いや、なんでもねぇ」

 あの石田が、初対面の女の人とメアドを交換するとは。純粋に疑問に思って言うと、信じられないと言ったような顔で「それに、あの人を断れるのは外道くらいだろう」と呟いた。こいつに同意するのは癪だが、まあわかる。

「それにあの人は医学部生だと言っていたからね。コネクションは作っておいて損はない」
「お前って強かだよな」
「先を見据えていると言ってくれ」

 すでに暗くなった道を歩く。夏に向けて日が伸びているとはいえ、春先はまだ寒くてしょうがない。高校三年生にもなれば、ましてや医学部志望ならばそう考えるのも無理はない。それに、勉強を理由に顔を出してやろうというわかりづらい石田の魂胆を、俺はすでに見抜いていた。こいつは嫌いな男だけど、嫌な男ではないのだ。
 赤の他人で敵の身内ではあるけど、なんとなくあの人を一人にはできない。自分を置いていった兄をしょうがないと言ってしまえる妹を、見捨てるわけにはいかなかった。俺より大人とはいえ、ひとりが寂しいことなんてとっくの昔に知っている。

「井上と仲良くできそうだよな、あの人」
「癪だが、僕も同意見だ」

 人を想えるあの人が、ひとりで死ぬことがないように。死んだ人間が尸魂界に行くことを分かっていても、そう願わずにはいられなかった。








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