猫の手も借りたい


「なまえさんってホークスのこと苦手なのか?」
「ぶっっ」

 飲んでいた蕎麦茶を吹いてしまって、私は思わず口元を押さえた。爆弾発言の張本人である焦凍くんはそんな私を見て、心配そうな顔で「大丈夫か、変なところ入ったのか……?」とかなんとか言ってくる。そうそう、彼は天然さんなのだ。その上、ルミちゃんなら「きたねー」とか言うところを、わざわざ自前のハンカチを差し出してくれるぐらいに優しい。彼のハンカチを受け取って口元を拭きながら、彼の質問に答えるべく口を開いた。

「な、なぜそれを?」
「前出てた番組見たんだ。ホークスと話してる時のなまえさん、なんかよそよそしかったからな」
「そ、そう、ご視聴ありがとうございました……」

 天然ではあるけど変なところで鋭くもあり、彼のそういう面にどきりとすることもしばしばである。現に焦凍くんの言葉は私にとって図星だった。
 私の身体は見た目こそ人間だが、性質のほとんどがハムスター寄りだ。動物の本能には抗えない。焦凍くんはそれを聞いて、納得したようだった。

「もちろん、個性だってのはわかってるし弱い私が悪いんだけど……どうしても怖くてね」
「個性ならしょうがねぇだろ。俺のお母さんも個性柄夏は苦手だ」
「そっか、お母様は氷の個性だっけ」
「ああ」

 焦凍くんは続けて「じゃあ猫も苦手か?」と聞いた。猫。あの三角耳、鋭い目、よくとがれた爪、しなやかな体、大きく開く口から覗く牙……と考えて、また身震いをする。
 ワイルド・ワイルド・プッシーキャッツの皆さんのように、猫を模したコスチュームならまだいい。しかし動物系個性となると、きっと私はホークス同様苦手意識を持ってしまうのだろう。

「うん、苦手……動画ならいいけど、実物は怖いかも」
「そうか」
「うん」
「俺、猫の個性じゃなくてよかった」
「うん……うん?」

 焦凍くんはそう言って満足げに笑い、蕎麦を啜った。……仲良くなったとはいえ、私はたまに焦凍くんが何考えてるかわからない時がある。まあ、その人の全てを知るなんて元より難しいことではあるし、と無理矢理納得させて蕎麦に手をつける。
 本日は、かねてより計画していた焦凍くんへの誕生日プレゼントのため、彼と二人で蕎麦屋に来た。大人の私でも少しお高めではあるが味は間違いないし、なによりも個室。学生でありながらプロの私なんかよりずっと有名人である彼に、もってこいの店だった。
 焦凍くんは少し遅めの誕生日プレゼントを、私が想像していた以上に喜んでくれた。「なまえさんがくれるものならなんでも嬉しい」となんとも人タラシなセリフを言いながら、私が今まで見てきた中で一番嬉しそうに、それはもう美味しそうに蕎麦を啜っていた。わかる、ここ名店だもの。名前だけでなく味も一流だ。今まで二八派だったけど、十割に宗旨替えしたくなるくらいには美味しい。

「来年の誕生日もここ来よっか」
「いいのか?」
「もちろん」
「でもその前に、なまえさんの誕生日だな」
「……私のはいいの。春は忙しくなるからね」

 私の誕生日はルミちゃんと同じ三月だ。春──おそらく、例の作戦が動く季節である。学生である彼らを無事二年生へと昇級させるためにも、私たちは作戦を成功させなければいけない。
 まだプロではない焦凍くんは、この作戦のことを知らない。伝えられるのは作戦の直前になるだろう。雄英のどこかにいるという内通者のこともある。焦凍くんに限ってそんなことはないと思うが、誰がわからない以上作戦を広めるわけにはいかないだろう。
 「なんでだ」と不思議がる焦凍くんに「春は変な人が多くなるから」と返す。これで誤魔化されてくれるといいのだけど、と考えていると、彼は特に気にかけることもなく「そうだな」と言った。

「確かに昔から、春になると変な不審者が多かった気がするな」
「みんな浮かれるもの……って、ちょっと待ちなさい」

 まるで自分が遭遇したみたいな言い方に、私は思わず喉をひゅっと鳴らした。





 それは、焦凍くんと蕎麦を食べたのが数週間後のことだった。突如我が家にやってきたエンデヴァーは、玄関で出迎えた私を見るなり「助けろ」と言った。あのNo. 1ヒーローがなぜ私に、そう思っていると彼は足元を指差した。

「……なんです?これ」

 足元には──紅白色をしたなんともおめでたいカラーリングの猫が、私に話しかけるようにニャオニャオと鳴いている。その猫の隣に立つエンデヴァーは、なんとも言えない顔でこちらを見ていた。

「焦凍が猫になった」
「それは……」

 私の方が大ピンチなんですけど。

「敵の仕業ではない、救助者の個性でこうなった、つまり個性事故だ」
「そ、そうですか……で?なぜ私に?」
「仲がいいだろう、焦凍と。それに動物系の個性は身近でお前しかいない」

 動物系個性だからって動物と仲良くなれるわけではないんですよ。むしろ私は猫や鳥とは相性が悪いですし。そもそもエンデヴァークラスのヒーローなら、動物系個性のお知り合いの方絶対いますよね、ホークスとか……。というか、焦凍くんのクラスに動物と話せる子いたような気がするんですが。
 そんなようなことを遠回しに伝えてみたが、全て否定されてしまった。さすがにあのNo. 1ヒーロー・エンデヴァーの息子が猫になったとなれば印象がよろしくない、ということを彼は言いたいらしい。焦凍くんはそこそこ名前も顔も割れちゃってるし、もしどこかから流出すれば、世間に示しがつかないということだろう。
 しかし何より、エンデヴァーと焦凍くんのこの遠く離れた距離──猫になったことで好き嫌いが顕著になっているのだろうか。先ほどからエンデヴァーに近寄らないどころか、少し距離を詰めただけで毛並みを逆立てて威嚇している。よくここまで連れてきたなぁ。

「抱っこもできないのにどうやって連れてきたんですか?」
「焦凍の方からここに来たんだ」
「焦凍くんが?」

 なるほど、それを追いかけてきたというわけか。だからこそエンデヴァーのことを威嚇しているのでは、なんて野暮なことは言わず、私は屈んで彼の方に手を差し出した。

「おいで、」

 ……本当はおいでなんてしたくない。引っ掻かれたり噛まれたらどうしようとか考えて出す手は控えめになってしまうし、腰も引けている。しかし焦凍くんは私の差し出した手になかなか近づこうとしなかった。あれ?私もしかして嫌われてる?

「しょ、焦凍くん、おいで」

 耳がピクリと動いているあたり、別に私の声が聞こえてないというわけでもない。ただ私の前を彷徨いている。それが迷い、遠慮するような姿に見えて──私は自分の行いを反省した。
 遠慮がちの手を堂々と出して、私は焦凍くんを見つめる。

「怖くないよ、大丈夫。ね?」

 猫の姿ではあるけど、中身は焦凍くんという一人の人間だ。人ならば、自分のことを嫌がっている人に近づきたくないなんて当然だった。ましてや焦凍くんは優しいから、怖がる私のことを思って近づこうとしなかったのかもしれない。
 大丈夫、焦凍くんだもん、猫でも怖くない。自分に言い聞かせるようにもう一度声をかけると、焦凍くんは私をじっと見つめてから、控えめに私に擦り寄った。
 猫を触るのは生まれて初めてだったから、こんなにも温かくてふわふわだなんて知らなかった。思ってたより、ずっと可愛いかもしれない。喉の辺りを撫でるといいんだっけ。足りない知識で控えめに撫でると、ごろごろと喉の辺りから音がした。目を細めて撫で撫でを享受する彼に私まで目元が垂れそうになる。
 しかし、エンデヴァーがなぜかこちらをじっと見ているせいで、表情筋を緩ませることは叶わなかった。

「あ、あの、エンデヴァー……?」
「なんだ」
「いや、あのー……なんでずっと見てるのかなぁって」
「別にいいだろう」
「それはそうなんですけど」

 やだ、今は猫よりエンデヴァーの方が怖い。思わず焦凍くん(猫)をゆるく抱きしめてしめると、胸の辺りから温もりがじんわりと伝わってくる。

「このまま雄英に行きましょうか。イレイザーヘッドの個性があれば、人に戻れるかも」
「救助者の話によれば、時間が経てば人に戻るらしい。だからそのままでもいいだろう」
「よくないですよ。早く元に戻してあげる方が、焦凍くんも助かるでしょう?」
「無闇矢鱈に外に出て拐われたらどうする」
「えぇ……」

 エンデヴァーはそれから、昔のことを話し始めた。焦凍くんは昔から変なやつに狙われやすいとか、なんとか。それはエンデヴァーの息子だからという理由もあったそうだが、彼の容姿も相まってのことだったそうだ。そういう、よからぬ性癖の人に付け狙われることもあったらしい。前に焦凍くんは不審者遭遇したような言い方をしていたと思ったけど……なるほど、"遭遇したような"ではなく"遭遇していた"のか。また私の喉がひゅっと音を立てた。

「でも今は猫ですし」
「猫だから危険なんだ。今の焦凍に個性は使えないだろう」
「私が責任持って付き添いますから」
「お前は凶悪敵と一対一で勝てるのか?焦凍でも倒せないような相手を、お前が倒せるとは思えん」
「……すみませんでした」

 暴漢程度なら倒せるだろうけど……エンデヴァーの言うことはもっともだったが、あまりにもストレートな物言いに少しだけ胸が痛む。しかし、私が謝ったのと同時に、腕の中の焦凍くんがばっと飛び出した。

「きゃっ、焦凍くん!」
「っ!焦凍ォォ!!」

 飛び出して、エンデヴァーの顔のあたりに勢いよく手を押し付けた。いわゆる"猫パンチ"をかまして、そのままの勢いでターンをして私の腕に戻ってくる。危うく落としそうになったが、焦凍くんの方から私の腕にしがみついたことで事なきを得た。
 エンデヴァーの顔に特にこれといった傷はないようだったが、ひどく落ち込んだように見えた。

「……じゃあ、私の家でお預かりしますね。また戻ったらご連絡しますから、引き取りに来てください」
「……、ああ……」

 肩を落としたように帰っていくエンデヴァーの姿はNo. 1といえど人の子、人の親にしか見えなかった。腕の中の焦凍くん猫に向かって「元に戻ったらお父さんに謝ろうね」と言えば、機嫌が良さそうにニャア、と鳴いた。うーん、やっぱり可愛いから私が許しちゃおうかな。なんて。


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