今鳴いた烏がもう笑う


 ルミちゃんと喧嘩をした。
 そう言うと、電話の向こうの焦凍くんは大層驚いたようで一つ間を置いてから「そうか」と言った。以前彼から「ミルコと喧嘩とかしねぇのか」と聞かれたときははぐらかしたけど、正直なところ、お恥ずかしながら喧嘩はする。かなり頻繁にする。絶賛喧嘩をしている最中で、まだ関係修復まで至っていない。いい大人だからみんなの前で喧嘩することはないけど、二人きりとなると別だ。同じ住居に住んでいるとどうにも言い争いが絶えない。服を脱ぎっぱなしにしないで、服を着て寝て、お菓子のゴミは捨てて、にんじん勝手に食べたら買い足しといて、勝手に私のプリン食べないで、などなど。
 それらを素直に言うのはなんとなく憚られて「まあ、日々の同居生活の不満がね」と言うと、彼はまた驚いたようだった。

──なまえさん、ミルコと一緒に住んでたのか。
「うん……あれ、言ってなかったっけ?」
──ああ、聞いたことない。

 あ、そこからか。焦凍くんとは結構突っ込んだお話をしているから、すっかり話した気になっていた。ここまで来るともはや何を話したのか、話してないのかわからないぐらいだ。

「私たち半同居みたいなことしてるの。ルミちゃんってば全国を跳び回ってるでしょう?」
──ああ、事務所ないもんな。
「それなのにマンション借りるの金の無駄だよなって、ルミちゃんから言い出して……今は私のマンションにたまーに帰ってきたりしてるの。服とかも全部置いてってる」
──なるほど、巻き込まれたのか。
「んんん、間違っちゃいないけど……」

 見えないけれど、焦凍くんの頭の上にはてなマークが浮かんでいるに違いない。間違っちゃいないけど、いつもルミちゃんに巻き込まれてるみたいな認識をされてるのはちょっと悔しいのだ。まあ私の人生はずっとルミちゃんに巻き込まれっぱなしだから、焦凍くんの言う通りだけど……。

──同居して長いのか?
「うん。卒業してからずっとだから……7、8年くらいになるかなぁ」

 ミルコさんは事務所に所属したことがない。高校生の時のインターンでとあるヒーロー事務所に伺った際、それはもう酷く周りを振り回したらしく(私は別の事務所に行ったから知らないけど)、彼女もその自覚があったために事務所に所属することはなく、今の活動形態に至った。
 私はというと、卒業ギリギリで免許を取ってからは地元の事務所でサイドキックとして働いていた。しかし私は私で弱すぎて周りを振り回してしまい、もう辞めようかと迷っていたところ、ミルコさんに「私についてこい!」と言われて今に至る……というわけだ。
 それから、彼女は堂々と私の家に転がり込むようになった。初めはクローゼットの3分の1程度しかなかった彼女の服も、今や半分ほど占拠するまでになった。まあ、ルミちゃんに遠慮とか求めてはいないけど。

──もし、なまえさんが別のやつと暮らしたいってなったらミルコはどうするんだろうな。
「え?」
──もしかしたら、恋人と同棲したり結婚したりするかもしれねぇだろ。それでも同居するとか言う人なのか。
「ああ、そういうこと……」

 流石に、同居は解消されるんだろうなぁ。別にルミちゃんは実家がないってわけではないし、いざとなったら家くらい借りるだろう。同居もお金がもったいないって理由だけだし……とは思ったが、ルミちゃんのことだからはっきり同居解消しましょうと言わないとわからないかもしれない。

──それに、ミルコの方も結婚したりとかあるかもしれないだろ。
「まあその時は流石に、ねぇ。ルミちゃんも結婚相手と暮らすでしょうよ」
──寂しくねぇのか。
「寂しい?なんで?」
──8年一緒に住んでたんだろ。
「今生の別れでもないし寂しくないよ。それに半同居ってだけで常に一緒にいるわけじゃないし」

 どうせどちらかが結婚しても、連絡が途絶えるわけでもあるまい。むしろこれからも巻き込まれ続けるに違いないだろう。26年の歳月は伊達じゃないのだ。
 焦凍くんは私の言葉に黙り込む。うーん、今そんなに考えるところだったかな。

──もしミルコが出て行って、どうしても寂しいってなったら、
「うん?」
──俺が遊びに行くから。
「……ありがとう」

 不器用ながらもストレートな、彼なりの慰めだったらしい。
 それから近況報告みたいなことを話して、焦凍くんが「悪い、もう寝る」と言い出して通話はお開きになった。彼は生活習慣がかなり良い方だから、夜更かしさせるわけにもいかない。おやすみ、今日はありがとうね、と簡単に挨拶を交わして通話終了のボタンをタップした。
 彼との通話が終わると、部屋はしんと静まりかえっている。喧嘩をしてから、ルミちゃんはしばらく帰ってきていない。まあ、そもそも頻繁に帰ってくる方でもないのだけど。

「……寂しい、ねぇ」

 いまさらそう思うことはないと思っていたけど、彼女が帰ってこないことが思いの外ショックだったのかもしれない。起きてると余計なことを考えてしまう。最近はずっと仕事に明け暮れて寝るのが遅くなっていたが、今日は早く寝ようかな。

「あ、そうだ、プリン……」

 喧嘩のことを思い出していたら、今回食べられてしまったプリンを買い直したこともついでに思い出してしまった。たしか、賞味期限は今日までだったはずだ。忙しくてあんなに楽しみにしていたプリンのことすら忘れるなんて。
 しかしもう眠気がそこまで襲ってきていたから、また明日でいっか、と睡魔に抗うことなく目を瞑った。





 次の日、ふと寝苦しさを感じて目を覚ますと、目の前にルミちゃんの褐色の肌が広がっていた。

「……はい?」

 ルミちゃんは寝る時に服を着たがらない。何かあった時に困るからやめてと言ったのに改善されたことはなく、彼女は今でも半裸(というか、パンツしか履いてない)でベッドに入ってくる。
 はあ、とため息を吐くと目元を温かいものが触れた。どうやらそれは彼女の指で、ルミちゃんにしては珍しく早起きだったようだ。「おはよ」と言ったが、ルミちゃんが挨拶を返すことはなかった。

「飯、何がいい」
「え?ルミちゃんが作るの?」
「おう。悪ぃか」
「え、私が作るよ」
「いいから」
「……じゃあ私も一緒に作りたい」

 正直、ルミちゃんは料理は得意じゃない。一人で料理なんてしたらキッチンがめちゃくちゃになるだろうということは想像できる。しかしそれを言えば彼女は気を悪くするだろう。
 私のおねだりにルミちゃんは折れたらしく、服を着たルミちゃんと二人でキッチンへ行く。どうやら朝食の材料を全てあらかじめ買ってきてくれたみたいで、パンや野菜の入った袋が無造作に置いてあった。

「何作るの?」
「サンドイッチ、あとサラダ」
「スープは?」
「にんじんだけのやつ」
「それじゃあ栄養偏るよ」
「いいんだよ」

 彼女は私にスープを任せるつもりらしい。どうせルミちゃんのことだからそうだろうとは思ったけど、さっきからちぎるだけのサラダにしか手をつけていない。レタスは大きさがまばらで、手でちぎっただけ。盛り付けなんてのはルミちゃんの頭にないらしく、ドレッシングと和えてボウルをそのまま机の上に置いた。
 それから、サンドイッチ。バゲットを適当に切って、これまたサラダと同様見た目なんか気にせずに詰めていく。その様子にとうとう我慢ならなくて、私はぷっと吹き出してしまった。

「んだよ」
「ルミちゃん、それじゃ詰めすぎ」
「食えりゃいい」

 そう言って、行儀悪くパンにかぶりつくと、中に詰められたトマトが溢れてびちゃりとシンクに落ちた。ルミちゃんの口の周りはマヨネーズでベタベタで、口の端に着いたそれに手を伸ばして拭う。子供扱いされたのが嫌だったのか、ルミちゃんは食べかけのそれを私の口に押し付けた。それも、思い切り。

「んぐっっ!?」
「おら、食えよ、私の飯は食えねーってか?」
「んん、んんん、」

 案の定、具が多くて口に入れるのも一苦労した。一口噛み切ってもルミちゃんが満足してくれることはなく、口がぱんぱんになるまで齧り付く。そんな私を見て、今度はルミちゃんが吹き出す番だった。「久しぶりに頬袋使ったな!」……食べさせたのはルミちゃんでしょうが。
 結局そんな風に味見し合って、すっかり机に座る気がなくなってしまったのか、今日は行儀悪く立ちながら、作りながら朝食を済ませることとなった。ルミちゃんは久しぶりの料理に満足したらしく「もう二度と作らん」と言ってソファーにどっかりと座り込んでいる。そんな彼女の隣に、ブラックコーヒーを持って座った。

「……ねぇ、ルミちゃん」
「あ?」
「言いすぎちゃってごめんね」

 それに対してルミちゃんは何も言わない。テレビのチャンネルを変えて興味ないはずのニュースを見て適当に頷いている。

「ルミちゃん、もう帰ってこないかと思っちゃった」
「……おう、そのつもりだった」
「え!?」
「でもやめた」

 ルミちゃんが徐に私の持っていたマグカップを奪って口つける。そして、自分から飲んだのに「にっが」と舌を出した。

「寂しいと死ぬだろ、なまえは」

 そう言われて、私は咄嗟に奪われたマグカップを奪い返して思い切り呷った。普段こんな飲み方はしないからか私がまた怒ったのだと勘違いして、ルミちゃんは目を見開く。そんなルミちゃんにさっき彼女本人がやったみたいにべ、と舌を出した。

「それ、うさぎの話でしょ」
「はぁ?そんなん都市伝説だっての」

 そう言って、私たちの喧嘩は幕を閉じる。珍しくしおらしいルミちゃんに私が折れて、許してしまうのが悪いのかもしれない。私も彼女も、お互いにはつくづく甘いというわけだ。
 ルミちゃんが私もコーヒー飲むか、と立ち上がったのを制する。朝ご飯作ってくれたし今日くらいは多めに見てあげようかな。そう思って再びキッチンへ行く。ルミちゃんは苦いのがそんなに得意じゃないから、ミルクを入れないと飲めない。そういえば、私今日冷蔵庫開けるの初めてかも……と思いながら扉を開けると──あったはずのものが無くなっていることに気づく。

「……ねえ、私のプリン食べたでしょ」
「おう。賞味期限切れてたし」
「っ、ルミちゃん!!」
「は?何そんなにキレてんだよ」

 ルミちゃんは私がなんで怒ってるのか分からないようで、ポカンとした顔でこちらを見ている。……やっぱり、喧嘩再開かもしれない。


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