このだだっ広い敷地に反して、生徒数はごくわずか。表向きは私立の宗教系高校として通してる東京都立呪術高等専門学校に、私は今日入学した。やっとの思いで辿り着いた教室にはまだ誰もおらず、私が一番乗りだったらしい。机は3つ。一番窓に近い席に座って、私は購入した教科書をぱらぱらと眺める。いくら呪術を学ぶ場といえど普通科目もある。しかし、内容はどれも易しく、薄い。き呪術の方が重要なのだということは、教科書を見て直ぐに理解した。普通ではない学校に入学した自覚はあったが、入学してまだ一日も経っていないのに先が思いやられる。思わずため息を着いたが、気持ちが晴れるわけでもない。窓の向こうに見える空は変わらぬ青色なのに、自分だけどこかの別世界に来たような気持ちになった。
 そうやって空を眺めていると、しばらくして入ってきたのは、男子生徒と女子生徒の二人組だった。入ってくる前から仲良さげに話す声が聞こえてきて身構えたが、教室に入り私の姿を見るや否や、男子生徒が「あーっ!」と声を上げた。

「よかった!僕達以外にもいたんだね!」
「本当、二人だけじゃなくて安心しました」
「ね!僕もみょうじさんも理系が苦手なんだって話になってね、二人だったらテストどうしようかと思ったよ!」

 男子生徒は溌剌とした笑みを浮かべ、女子生徒(みょうじさんと呼ばれていた)はあまり表情を変えるタイプではないらしい。先程の教科書を見た感じ、別に困るところはないだろう。二人とも頭が悪そうなタイプには見えないが、勉強が苦手なタイプなのだろうか、と考えていると、「僕は灰原雄!君は?」と聞かれた。

「七海です。七海建人」
「七海!よろしくね!こっちは……」
「みょうじなまえです、よろしくね七海くん」
「よろしくお願いします」

 女子生徒──みょうじさんは私や灰原より随分と身長が低い。呪術高専所属と言われても信用できないほど普通そうな見た目をしており、どちらかというと、良いところの女子校に通っていそうな雰囲気すらある。穏やかそうな目は虫すら殺せそうにない。本当にこの人は呪いを祓えるのかと疑ってしまったが、聞けば、家が神社なのだと言う。立居振る舞いに品があるとは思ったが、なるほど。神職の家系だというなら納得した。
 入学式(とはいえ、中学で行われたような規模の大きいものではない)を終えて、灰原に誘われて昼食は三人でとった。私と灰原の前にはAセットの生姜焼き定食が、みょうじさんは鯖の味噌煮定食が置かれている。灰原はなかなか話好きらしく、私とみょうじさんがあまり話す方ではないというのに先程から会話は止むことがない。我ながら、誘われて断らなかったことを意外に思う。中学までの自分ならば、入学初日の食事は一人だったかもしれない。しかし同級生が少ないせいか、それともこの二人の性格もあってか、初めから断る選択肢はなかったに等しい。仲良くしなければならないとは思わないが、邪険にする必要もないだろう。

「僕は非術師の家系で、スカウトされたんだ。七海は?」
「私もです」
「じゃあ一緒だ!」

 灰原はまたよかった、とため息をつく。この数時間一緒にいただけで灰原のことはすぐにわかった。素直で、善人。声が大きく溌剌としていて、あまり物事を深く考えようとはするタイプではない。よくいえば楽観的で、私とは違って根明だった。これは彼が言っていたことでもあり、私自身が思ったことでもある。
 対して、みょうじさんは少し分かりづらかった。善人なのはわかるが、やはり男女の壁のようなものがあるのか少し私にも灰原にも遠慮しており、先ほどから笑顔を見せることは少ない。裏表があるようには見えないが、この数時間のうちでは心の底を一切見せてはくれなかった。しかし、過剰というわけでもない。きっと灰原と並んでいるから壁があるように見えているだけで、一般社会で見たら普通の部類だろう。そう、普通だ。灰原の方がわかりやすい人間だったが、みょうじさんの方が私には理解できるのだ。
 昼食を終えると、私たちは再び教室に集まった。教師からそのように伝えられていたからである。普通の学校とは違うと分かっていたが、入学当日から任務を入れられるなんて思ってもいなかった。呪霊を正式に祓除したことのない私と灰原は4級始まりで、みょうじさんは3級だという。しかし、今日の任務を見て実力が伴っていれば、すぐ二人とも3級に上がるだろうと担任から伝えられた。

「よかった、すぐみょうじさんに追いつけるね」
「……人手不足なのでは?」
「あっそういうこと!?」

 術師は等級が上がるほど、祓える呪霊が増えて任務の危険度が上がる。そして、上の等級になればなるほど人手が足りないのだと聞いた。つまり、学生で経験がないからと言って4級に留めておくほどの余裕はないということなのだろう。
 担任から伝えられた任務は、廃ビルに巣食う呪霊の祓除だった。4級以下複数、3級3体。緊急性はなかったため、私たちの試験にしようと入学まで待たれたらしい。三級がそれだけいるのに緊急性がないとは、いかに。

「よし、じゃあとりあえず探そうか!」
「いえ、灰原くん。闇雲に探すのは効率が悪いです」

 みょうじさんはそう言うと「巳毒顕現」と言って手で印を組む。その途端地面から何かが湧き出て、気づけば彼女の周りに無数の小さな白蛇が美しく漂っていた。そのうちの数匹が廃ビルの中へと這っていく様を、私と灰原は後ろから眺める。

「全部3階ですね」
「……みょうじさんの術式、便利だね!」
「ありがとう」

 いきましょう、と言う彼女の小さな背中に着いていく。頼りきりで情けない、と隣の灰原は落ち込んでいたが、私は別にどうとも思わなかった。灰原の術式がどんなものかは知らないが、適材適所だ。彼女の術式が索敵向きだったからと言うだけの話である。私は別に落ち込むような人間ではない。起きたことは受け止めれば良い。出来ないことは、今はしょうがない。向き不向き、自身の力量不足なんてものは存在する。どうしようもなく不向きなものを伸ばす必要性はないし、自身の強みをこれから伸ばせばいいのだ。失敗も成功も事実として捉えて、自身の気持ちなどは後回しでいい。私を高専にスカウトした人は「それで良い」と言ってくれたから、これからもそうするつもりだ。だから何も落ち込むことはない──という考えは、すぐに打ち破られることとなった。
 4級以下複数、3級3体という情報が間違っていると気づいたのは、みょうじさんだった。2階に上がったところでみょうじさんの顔が強ばり「奥に明らかに強い呪霊がいる」と言われる。みょうじさんの穏やかな目が一瞬にして鋭くなった。それから、彼女はやはり私たちを前に出すことはなく進んでいく。道中、3級呪霊を2体私と灰原で祓ったが、それでもみょうじさんのアシストがあってのことだった。みょうじさんは、術師として経験のない私たちにとってあまりにも心強く、頼もしかった。だからこそ、彼女が私たちと変わらぬ1年生で、3級術師ということを忘れてしまっていた。
 3階に辿り着き、階段に近いところから順番に部屋を見て回る。しかしとある一室を覗き込んだ瞬間にみょうじさんは踵を返し、私たちの手を掴んだ。

「どうしたの、みょうじさん」
「……撤退します」
「え?まだあと1体いるんじゃ……」
「でも、あんなの私たちじゃ敵わな──」

 ──その瞬間、目の前にいたみょうじさんが吹っ飛んだ。

「は……?」
「みょうじさん!?」

 吹っ飛ばされたみょうじさんが壁に叩きつけられる。肺から空気が一気に吐き出されたような声を聞いて、私は咄嗟に脚が動いていた。そして、脚が動いたのは灰原も同様だった。灰原は私とは反対の方へと向かうとみょうじさんに駆け寄り、彼女を抱き起こす。彼がそうしたのを横目で確認し、右手を力一杯握りしめて、迷わず"ソレ"に振りかざす。みょうじさんを襲ったソレ──蛞蝓のような呪霊に拳は当たったものの、ぬるりとした粘液に拒まれ傷をつけることはできない。間違いなく強く、3級とはとても思えなかった。みょうじさんですら祓えない呪霊を、経験の浅い私たちが祓えるわけがない。撤退するしかない──と思ったところで、私の身体も薙ぎ払われた。緩慢そうに見えてなかなかに俊敏、かつ力強い呪霊の手に押し負け、私もみょうじさん同様壁に叩きつけられた。

「七海!!」
「灰原!走って、外に救援を求めてください!」
「わかった!」

 怪我が少なく、足も速い(これは先ほど分かった)灰原が救援を頼む方が良いだろう。案の定灰原は猛スピードで階段を降りていった。
 無数の触覚のようなものが、私たちを阻もうとする。なかなかに知能は高いらしく、先ほどから無闇矢鱈に攻撃を仕掛けているわけではないらしい。クソ、たかが蛞蝓風情が──心の中で悪態をつきながら私は彼女を片手で抱える。しかし彼女は私の手を振り解きゆらりと立ち上がると、先ほどやったように手で印を組む。無数の蛇が這い出て呪霊に襲いかかる。呪霊そのものを覆い隠すほどの夥しい数だったが、すぐに溶けて消えてしまう。蛇と蛞蝓、そもそも相性は最悪なのだ。それでも彼女は、私たちの退路を確保するために攻撃を止めることはない。それならば──私だって、逃げるわけにはいかないのだ。拳と打ちつけた背中が痛み、呼吸を一瞬忘れる。しかし、少し上を向いて息を吐き出せば、再び正常な呼吸へと戻っていった。

「七海くんって」
「はい」
「どういう術式?」
「十劃呪法。対象の長さを線分し、7:3の比率の点に強制的に弱点を作り出す術式です」
「……じゃあ、相性最悪だね」

 先ほどから、呪霊は形を変え続けている。伸びる触覚も、ドロドロと溶け続ける身体も、7:3を生み出すにはあまりにも難しい。初めての公式な任務でこれとは、なかなか私も運が悪い。しかし、術師などこういうものなのだろう。自分の弱点を突かれ、それでも相手を倒さねばならない。自分の力量を超えていようが、たとえ不利であろうが、勝たなければ殺される──そう、私たちは死の淵に立っているのだ。

「でも、勝たなきゃ」
「はい」
「入学初日に死にたくない。それに、今死んだら灰原くんを一人にしちゃうから」
「……はい」
「絶対祓おう、七海くん」

 その時、相手を射殺さんとする瞳と意思の込められたその言葉に、私は彼女の本質を垣間見た気がした。





「初日から随分派手にやったね」
「お疲れ様」
「……おかげさまで」

 呪霊を倒し、命からがら帳から出ると、そこに待っていたのは家入硝子さんと夏油傑さんという一個上の先輩たちだった。私もみょうじも傷だらけで、入学初日だというのに服も身体もボロボロである。みょうじはスカートもタイツも破れ、素足と下着らしきものが見えてしまっていた(決して、見たかったわけでも自分から見たわけでもない、断じて)。流石に男の前でその格好は恥ずかしいだろうと思い、私の学ランを彼女に渡す。しかし、なぜかみょうじはそれを肩に羽織ってしまった。

「羽織るんじゃなくて、腰に縛ってください」
「え……?」

 たしかに上もボロボロではあるが、下に比べたらマシだ。彼女の肩から学ランを奪い、腰に縛るように渡す。そこでようやく、みょうじは自分の格好に気づいたらしい。

「あ、ありがとう、……ございます」

 先ほどと同じ人間かと見紛うほど、弱々しい声であった。私から目を逸らし、急いで学ランの袖を縛り上げる。気まずそうにこちらをチラチラと見る彼女の頬は赤く染まり、あからさまに照れているようだった。──みょうじはあまり感情を見せるタイプではないと思っていたが、どうやらそれは私の勘違いらしい。
 家入さんの反転術式というもので傷を治してもらう。しかし、服が治るわけでない。もう買い替えなければならないのか、いやこれも術師の宿命か、と既に諦めてしまった。本当は経費で落ちてくれれば嬉しいのだが。そんなことを考えていると、夏油さんが私たちに「でもすごいよ」と笑った。

「君らの倒した呪霊、ほぼ2級だったみたいだよ」
「ほぼ?」
「3級には間違いない。でも、2級に片足突っ込みかけてたみたいでね。それを倒せるだけの力が君たちにはあるというわけだ」

 お手柄だ、昇級も間違いない。という夏油さんの言葉に、隣の灰原が溜息をついた。

「僕は何もしてないから、昇級できないかも」
「あなたも3級倒してたでしょう」
「それは、みょうじさんと七海の力があってこそだし……」
「それを言うなら、私だってみょうじに──」

 ほぼお荷物だった、と言っても過言ではない。みょうじがいなければ私も灰原も死んでいた。力量不足というだけではない。これはただ、私たちが術師としてあまりにも甘かったというだけのことだ。そして、彼女が強かっただけだ。私もああならなければならない──彼女よりも、もっと強く。そんなことを考えていると、灰原は「そういえば」と笑って言った。

「いつのまにかみょうじさんのこと呼び捨てにしてるね!」
「……成り行きで」

 戦闘の最中で、勢いで呼んでしまっただけだ。そこに意図などない。みょうじも気にしていないみたいだし、そのまま呼び続けているだけだ。そう説明する。「じゃあ僕もみょうじって呼ぼうかな」という灰原の言葉も、別に気にしてなどいない。





×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -