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 カリカリ、静かな中隊事務室に音が響く。今事務室に隆人以外の人物はいない。元々事務室に人がよりつくこともなかなかないのだが。昼時ということもあって兵士たちは食堂だろうか、そろそろ自分も休憩を取ろうかと隆人が一度伸びをした時、事務室の扉が控えめに叩かれた。

コンコン

「月島軍曹であります。鶴見中尉より書類をお持ちしました」
『入れ』

 軍帽を脱いだ月島が事務室に入る。敬礼後、隆人の席に近づき持っていた書類を手渡した。

『ああ、ありがとう』
「いえ。それでは失礼いたします」
『月島待て、これは急ぎの書類のようだ。目を通した後署名するからまた鶴見中尉殿まで持って行ってくれ』
「承知いたしました」

 隆人が書類にくまなく目を通している間も、月島はピシッとした背を崩すことはない。軍人して当然のことなのだが、月島は一等真面目だと隆人は常々思っていた。軍曹という立場上、上からの命令や下への指導などで忙しだろうな、まあそれは准士官である自分も同じなのだが。隆人は心の中で苦笑した。

『待たせたな。この書類だけ頼むよ』
「承知いたしました」

 月島は律儀に敬礼し、書類を受け取ると再び「それでは失礼いたします」と言って事務室を出ようとした。

『、月島』
「…はい」
『………いや、なんでもない。引き止めて悪かったな』
「いえ」

 今度こそ月島は事務室を出て行った。彼が部屋に入ってから出るまで、その表情は一切変わることはなかった。

 鶴見中尉を中心とする数名の兵士たちの不穏な動きは隆人も感知していた。下士官兵を管理する隆人は軍曹である月島、伍長である玉井のことを特に注視していた。訓練中の態度は変わりなく、規律違反をしている様子もない。しかし、以前と何かが変わった。それも、鶴見中尉を中心に。全ては日露戦争が終結してからだった。戦争が何もかも変えてしまった。戦場に置いてきたのは戦友や自分らの体一部だけではなかったとでも言うように。

『…戦争は終わったというのに、今度は軍内で反乱でも起こす気か?』

 隆人は冷たい自身の左手をゆっくり撫でた。義肢である左手が右手の温度を感じることはなかった。

 隆人は元々陸軍でも有名な狙撃手だった。陸軍教導団出身でありながら、学術優秀で品行方正だと認められ士官学校への転向が許された。それも狙撃の腕が確かだった影響が大きいと隆人は思っていた。
 その腕は戦場でも遺憾無く発揮され、第七師団内だけでなく他師団でも名が広まっていると和田大尉が自分の事のように嬉しがっていたのを隆人はよく覚えている。優秀さを認められ奉天会戦前には少尉への進級も打診されていたが、その奉天会戦で敵の放った弾により左手を吹っ飛ばされ義肢での生活を余儀なくされたため、進級の話は無くなった。
 隆人の今の義手は陸軍中将である有坂成蔵が製作したものだ。義肢の対象者が少ないこともあって、医師達が義肢に興味を示さず製作されることも少なかったので、隆人にとって有坂中将は恩人に他ならなかった。三十年ほど前の西南戦争では、人型をしていても機能を持たない装飾義手と呼ばれるようなものだったのに、技術は日々進化しているのだと感心したものだ。長年の兵器開発の影響で騒音性難聴となってしまったので、どんな会話でも大声で話さなければならないことは少々難ではあるが。
 義肢となった後も訓練を怠ることはなく、利き手じゃなかったこともあり知らぬ者にとっては彼の片手が義手であることはわからないだろう、と言うほどまるで自分の手かのように扱っていた。しかし以前ほどの精密な狙撃ができなくなったことは自分が一番理解しており、日露戦争が終結したこともあって最近はもっぱら今のように中隊事務室にこもりきりだ。

『鶴見中尉殿らは、一体何をする気なんだ…』

 隆人は今後の第七師団のことを考えて少し頭が痛くなった。












「月島、神成特務曹長殿はどうだった?」
「鶴見中尉がお作りになられた書類をくまなく精査していらっしゃいましたが、特に何も言われなかったので問題ないと思われます」
「そうか…彼は非常に優秀な男だからな。兵の身上調査書を保管し、内務を管理している特務曹長は非常に厄介だ。出来ることなら彼も掌握したいところだ、が…殺すにはあまりに惜しい男だ、なるべくそれは避けたい」
「神成特務曹長殿は和田大尉殿とも近しい人物ですので、中央から何か聞き含んでいる可能性もあると思われます」
「日露戦争で体の一部を失った者同士…是非とも仲良くしたいものだ」


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