ch2.密林の白昼夢




アルフォンソがアリサに追い付いた時、彼女は険しい表情で立ち尽くしていた。気配を殺して様子を伺うように、アリサは草陰から吊り橋を眺めている。アリサに近寄る全速力で走ってきたアルフォンソの額にはうっすらと汗が滲んでおり、それを拭うこともせず、アルフォンソは気配を消して警戒している彼女に近付いた。

気配を消しているとはいえ、アルフォンソの気配の消し方は決して完全なものではなく、アリサのように気配に敏感な人間にはすぐに察知されてしまう。長年共に仕事をしてきたアリサのそれをアルフォンソはよく理解していたため、そのまま躊躇うこともなく、背後からアリサに声を掛けた。
どうかしたか。無声音の言葉だったがアリサにはちゃんと聞こえたらしく、彼女の赤髪がアルフォンソの問いかけを小さく肯定するように揺れた。

アイツら、吊り橋に細工してやがる。アルフォンソと同じように無声音でアリサはそう言いながら、吊り橋の方をアゴで軽くしゃくった。彼女の見据える先には吊り橋があり、大きな吊り橋の中央部には、トビアスとアハトがコソコソと立ち去ろうとする姿が見えた。まさか彼らもほんの数秒かかるだけの罠を、後ろからかなり遅れてきたはずの俺達に見つかるとは思ってもいなかったのだろう。アリサの俊足を侮ったか、とアルフォンソは理解し、ニヤリと笑みを浮かべた。

吊り橋の真ん中に何か仕掛けたね、あそこさえ注意すれば難なく追いつけるさ。アリサがそう言ってトビアスとアハトをすぐに追いかけようとしたのを、アルフォンソが彼女の肩を掴んで止める。怪訝そうに振り返ったアリサの視線と、口元に柔らかい笑みを浮かべたアルフォンソの視線が重なる。

いっそ逆に、奴等をハメてやろう。そう言ったアルフォンソが笑みを深めると、それを見たアリサは一瞬目を丸くした後にニヤリと笑うと、いいね、と呟いた。散々小細工されたのだ、やり返さなければ気が済まない。珍しくというべきか柄にもなくというべきか、この時のアルフォンソは無性に闘争心に燃えていたのだった。

アルフォンソはアリサに何かしらを耳打ちすると、アリサが頷くのを確認し、一気に草陰から単身で飛び出した。
その瞬間、まるでアルフォンソの早すぎる追跡に驚いたとでも言いたげな表情を、トビアスがワザとらしく浮かべた。

「ちっ、もう来やがったか! おい、どうするよ?」

「仕事が優先だ、逃げるに決まっている」

トビアスが憎々しげにアハトに言うと、アハトは淡々と返事した。これも演技なのだろうと想像できるだけに、アルフォンソは帝国の隠密部隊員の演技力に感心したのと同時に、その間抜けさに盛大に笑い出しそうになるのを必死に堪えた。


無表情を努める様にしながら、それでも楽しげに歪んだ口元は隠すことが出来ず、アルフォンソは大きく揺れる吊り橋に、躊躇なく一歩を踏み出した。吊り橋がグラグラと揺れ、アルフォンソとトビアス、アハトの三人の男たちの足元がふらつく。生死をかけた綱渡りという恐怖が、アルフォンソの脳を支配した。
しかし、それも一瞬のことで、アルフォンソはヒュッと息を詰めたように吸い込むと、そのまま吊り橋の中央部で佇むトビアスとアハトに向けて、一気に駆け出した。
それを草陰で眺めていたアリサが、楽しそうにニヤニヤと見ていたのはアルフォンソの知る所ではなかった。

恐怖心を金繰り捨てて吊り橋を駆ける敵の姿に、トビアスは目を見開き、流石のアハトでさえも驚きに身を硬くしていた。が、すぐに我に返ると、二人は慌てたように吊り橋の先へと進もうと一歩を踏み出し、アルフォンソに背を向けた。この不安定に揺れる吊り橋の上で、槍を投げつけたり銃撃したり出来ないのは、お互いに承知済みなのだ。だが、こちらには不利な吊り橋上には居ない、心強い味方がいる。アルフォンソはそう思いながら彼らの背後で不敵に微笑み、その場に低く屈んだ。

「アリサ投手。第一球目、投げたー!」

三人の男が乗る吊り橋の後ろから、楽しげに響く声と同時に、剛速球でアルフォンソの頭上を、まるで真空を裂くかのような音が通り過ぎた。その声に驚いて振り返ったトビアスの顎に、アリサが剛速球で投げた何かがモロにぶち当たった。トビアスの顎に当たって跳ね返ったものは角ばった小石で、二転三転と吊り橋の上をピョンピョンと跳ねた後、遥か眼下にある渓流へと吸い込まれるようにして消えていく。

ノーガードでアゴに衝撃を受けたトビアスが、吊り橋の上でフラリと大きく体を揺らした後に、勢い良く倒れこむ。三人の乗る吊り橋を構成する丈夫なツタが、ミチミチと悲鳴を上げて大きく揺れた。とっさにアルフォンソとアハトは身を硬くして、反射的に近くのツタを掴む。

「おい、トビアス!」

アハトが声を荒げて呼びかけると、呻き声を上げてトビアスは、倒れたまま右手をヒラヒラと力無く振った。どうやら無事らしい。たいした頑丈さだと、アルフォンソは深く感心する。

が、その直後にトビアスの左手がカチリと銃を掴んだのを見たアルフォンソは、ヤバイと直感的に身を捩った。寝転がった姿勢であるトビアスは、その身全体を吊り橋に支えられて安定しているため、いつでも銃撃でアルフォンソを狙うことだ出来るようになったのだろう。ドン、という重い音がして、トビアスの銃口から一発の弾丸が発射される。身を捩るアルフォンソの右頬を、鋭く放たれた銃弾が僅かに掠めた。チリッと摩擦のような痛みがアルフォンソの頬に走り、それから、その痛みはヒリヒリとした沁みるような痛みに変わった。

トビアスが二発目を撃つべく銃を持つ腕を持ち上げるより前に、アリサが再び凶器じみた速さで小石を投げつけた。アルフォンソの様子を見るために少し上半身を起こしていたトビアスの顔面めがけて飛んでいったアリサの剛速球に、銃のトリガーを引きかけていたトビアスが咄嗟に上半身を沈める。そうしながら彼の指はトリガーを引いてしまったようで、トビアスの撃った銃弾はアルフォンソより随分と手前の位置、吊り橋の中央部に小さな穴を開けた。

瞬間、吊り橋の中央部で爆発が起きた。吊り橋が割れるように崩壊し、アルフォンソはその一瞬、全身を包む浮遊感を感じた。予想外すぎる展開に、目を見開いたのはアルフォンソだけではない。トビアスとアハトも同様に、途方も無い驚きと焦りの色を滲ませた表情を浮かべながら、宙に投げ出されていた。

彼らと同じように宙に投げ出されたアルフォンソは、眼下に迫り来る雄大で残酷な渓流を眺めながら、ぐっと喉を詰めるように息を呑んだ。トビアスとアハトが仕掛けていた小細工は、吊り橋の裏に仕掛けられた爆弾だったのだ。少しばかり迂闊な行動だったかと思いながら、アルフォンソは宙で身を捩り、頭を下にして両手で頭を守るように抱え込む。今は生死をかけた飛び込みのことだけを、ただそれだけを考えなければならない。

いよいよにまで迫った入水の一瞬、硬い硬いコンクリートに全身をぶつけたような痛みと痺れがアルフォンソの全神経を支配し、深い深い川底に沈みながら、アルフォンソは詰めていた息を吐き出した。ゴボリという水泡の音がアルフォンソの鼓膜を刺激したと同時に、彼の体は一気にグワリと水面に浮上する。






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