Visibile ferita

 重なる影に手を伸ばす





リーネを出て数日。
ノイシュタットの港に到着したはいいものの、肝心の船はまだ修理が終わっていなかった。
船長が申し訳なさそうに頭を下げたのを見て、カイルが両手を振った。
同時にねっとりと絡みつくような、嫌な視線を感じたフィアは視線だけで背後を窺った。
気色悪い愛想笑いを見せているのを確認して、無視することを決める。
そのまま気付かないフリを決め込んだフィアはため息をついて、鞘を支えるベルトにだらしなく指を突っ込んだ。


フィアの記憶は結局戻っていなかった。
リリスの話を聞いていて気を失ってしまったらしいが、起きたフィアはそのことを全く覚えていなかった。
カイルたちから聞いた話を総合すると、『高雅の英雄』の話をしていた時に急に取り乱し気を失ってしまったという。
つまり記憶を取り戻すヒントはその『高雅の英雄』である、ということだろう。
ハイデルベルグに英雄についての資料が纏まった博物館があると聞いたフィアは、その場所を訪れることを当面の目標にすることにした。
どうせ一行と行き先は同じだから、ハイデルベルグまで同行することはカイルたちに伝えてある。


「よし、じゃあ街の中に――」
時間を潰すためにノイシュタットの観光でもどうかと提案してくれた船長に挨拶をしてから、街の中に入ろうと一歩踏み出す。
陽気なカイルの声が止まった。
不思議に思ってそちらを見れば、カイルはリアラを見ている。
そしてリアラが見ていたのは、若い青年だった。いや、視線を辿ると青年からは少しずれている場所を見ているようだ。
注意深く目を凝らすと、青年の隣にもう一人いることに気付く。青年よりも幾分か幼い少年だ。
リアラが見ていたのはその少年のほうだったようだ。

「頼む! また相方が腹壊しちまって……一緒に出てくれよ!」
少年に青年が何かを頼み込んでいるらしい。両手を合わせて頭を下げていた。

「また…? 困ったな、僕…仕事があるんだけど…」
「そこをなんとか! 頼む、この通り! 親方には俺が説明するから!!」
少年は後ろ姿しか確認できないが、整った体つきをしていた。細身で華奢だが、バランスよく筋肉がついているようだった。
青年よりも頭一つ分小さい。背は少年にしては低めだろうか。
「……わかった。今回限りにしてね」
呆れたように溜息をついた少年は、渋々と言った様子で頷いた。
それに目を輝かせる青年は喜色満面と表現するのがふさわしいだろう、戦う前から勝利が確定したかのような表情を見せる。
やってみないとわからないのに。フィアはそう胸中で呟いて、青年を冷静に見つめていた。

「お前強いのに、なんでそんなに闘技場出たがらないんだ?」
「あまり目立ちたくないんだ。」
「えっ、なんで!?」
「……試合の時間、走らないと間に合わなくなっちゃうよ?」
「え、あ、やべえ!!」
闘技場、という単語でカイルの耳が大きくなったような、そんな幻覚が見えた。
目を擦ればそんなことはもちろんないが、代わりに硬直したまま興味深そうにきらきらと目を輝かせている。

「闘技場……ジューダス!」
わくわくとした様子で、カイルはジューダスを見た。
どうやらジューダスは彼の純粋な眼差しに弱いらしい。居心地が悪そうに視線を逸らした彼は、明後日の方向に向くと目を閉じて、そのあと続くであろうカイルの言葉を切り捨てた。
「……許可するわけがないだろう。」
「なんでー!?」
「闘技場に出るにも参加費がいる。今の所持金で払えないこともないが、そうすれば僕たちは宿を取れなくなるぞ。」
「リアラも病み上がりだし、宿取ってゆっくり休んだ方がいいんじゃないの?」
「ぐっ……」
さりげなくジューダスの援護をする。リアラのことを引き合いに出せば大人しくなるということをフィアは知っていた。
案の定カイルは言葉に詰まり、リアラを見る。彼女のことを考えれば、安易に闘技場に出場したいなんて言えなくなってしまったのだろう。
よしもうひと押し、そう思って次の言葉をカイルにかけようとしたその時だった。

「あ、あのう……見たところ腕の立つご一行とお見受けしますが…」
声もそうだが、揉み手や顔つきまでも怪しい、先ほどからこちらに視線を向けていた男が声をかけて来た。
不気味なほどに過剰な愛想笑いは、フィアですらすぐに見抜けるほど洗練されていないものだった。

「なに? おじさん?」
警戒心など微塵も抱いていない様子のカイルに、男の笑顔は一層胡散臭いものになった。
ジューダスを見れば険しい顔をしたまま男を静かに見据えている。どうやら彼も男が怪しいと気付いたらしい。


「怪しさ全開だな…」
「ああ、疑ってかかった方が良いだろう。」
怪しい笑みを張り付けたまま、男は自分の家にカイルを招いた。
だましているようにしか見えない。そう判断したフィアは警戒態勢を崩さない方向で決めた。
「だね、カイルは人が良いから騙されちゃうだろうし。なんたってあのお人好し一家だもん。」
ジューダスの声にそう返してカイルを見た。無邪気に笑っている少年は、男の怪しい笑みに気付いていないのだろう。


(気を付けて見てなくっちゃ)
前を歩くカイルはあのお人好しの息子なのだ。
あの怪しい男の言でも、困っていると思ったら助けてしまうだろう。


フィアは気付かなかった。
カイルのことは知っていても、その父親には全く接点がないはずなのに。
まるで知っているかのように考えてしまっていたことに。

「……。」
そしてもうひとつ、ジューダスの視線がこちらを向いていたということに。



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