Disapper tear

 枝垂れ桜






「うっ…」
『大丈夫ですか? 坊ちゃん……』

ノイシュタットに到着してすぐにイレーヌの屋敷は見付かったが、肝心のイレーヌが出掛けていた。
スタン達も暫く待っていたのだがアイスキャンディーを買いに行くと出て行ったばかりだ。


今、屋敷に残されているのは船酔いの余韻がまだ抜けていないリオン。
そしてそれに気付いて彼に付き合っているカノンだけだった。



「ふふっ、これは大変だ。」
「貴様…人事だと思って…っ!」
『船酔いかー…慣れない内は厄介だよなぁ…』
カノンが笑顔のままリオンに微笑みかければ、リオンは整った眉を寄せる。カノンの後ろ腰に繋がっているソーディアンのコアクリスタルが瞬いた。

「カノン、どこへ行く?」
そんなやり取りの中、カノンはリオンに背を向けて入口へ向かう。
リオンは真っ青な顔のままカノンの名前を呼んだ。


「リオンは何味が良い?」
「なんのことだ。」
「アイスキャンディーだよ。冷たいものを食べたら少しは楽になるかもしれないし……それに、本当は食べたかったんでしょ?」
「……チョコレート。」
「了解しました。」
俯いたリオンから告げられた好みの味は、なんとも可愛いものだった。
それが余計カノンの笑いを誘う。ひっそりと笑って、カノンはドアを開けた。



「じゃあ、少し待っててね。」
『行って来るぜー。』
「カノン様、お出掛けですか?」
「はい。僕が居ない間、リオン様をお願いしますね。」
近くを通りかかったメイドがカノンに声をかける。可愛いメイドさんに笑顔を返して、カノンはドアノブをひねり外へ出た。




「あ、桜……」
ノイシュタットの桜は、いつ見ても美しい。
カノンは流れていく花弁を、そっとつまんだ。薄桃色の小さな花弁は少しでも力を入れたらきっと千切れてしまうだろう。



「桜を、綺麗と言う権利は…僕にはない……よね。」
『……』
「僕には、やらなければならないことが…」
『……カノン…』
「なんとしても…やり遂げなければならないことが……」
誰に言うでもなく呟くと、カノンは花弁を離した。流れていく花びらたちを見て、カノンの瞳は悲しく光る。


「僕は守るべき人をひとりも守れなかった。そんな僕に、綺麗なものに触れて癒される権利なんて…ない。」
『カノン、お前ずっとそう言ってるけど……』
「アーク……」
カノンのサファイアには悲しさだけが宿り、その悲しさが今にも零れ落ちそうなのもアークは知っていた。
自身のマスターがいつも笑っているのは、それを曖昧に隠してしまうための壁。
カノンの背中にはいつも重い重い使命と責務がのしかかり、それがマスターの作る壁を一層厚いものにする。


『辛いならそんな義務捨てちまえ。』
アークは思う。
こんなにもマスターに慕われ、そして守られている人物。


『あいつのために投げ捨てたお前の幸せはどうなるんだよ。』
しかし彼女はマスターのことも、マスターと契った過去の約束も、自分の義務も全て忘れて……今を生き、楽しんでいる。
マスターはこんなにも悩み、苦しみ、夜だって過去を思い出しているのか…魘されている時だってあるのに。

「僕はなんとしても……あの人を幸せに導かなければならない。」
カノンは緩く首を振る。
マスターは自分の幸せなんて二の次で、一番に彼女を思う。マスターの行動の全ては彼女のためにあるのだ。


「ここなら確実にそれが叶うんだ。僕のことなんてそれに比べたら価値なんてない。」
言い切るマスターはとても嬉しそうだ。しかしそんなマスターを見る度に、アークはどうしようもない不安を抱く。


『……そうか。』
自身のマスターの行動は復讐しようと怨嗟に燃える人間に良く似ている。
カノンの場合はそれが復讐ではなく、特定の人間を幸せにしたいという思いなのだが。

『でもな、カノン……』
「ん?」
アークは自分の幸せを用意してもらうなんてのはまっぴらごめんだが、マスターは彼女を幸せに導くことが自分の生きる意味であり義務だという。
別にその者が幸せを握ろうが握るまいがアークはどうだっていい。問題はそれをやり遂げた後のマスターだ。

『自分を、大事にしてくれよ…?』
マスターは彼女に依存している。それはどこか狂ったような依存の仕方だ。

「…努力はするよ。」
彼女を幸せに導いたとして、マスターは生きる意味を失ってしまうのではないか。
それだけじゃない、彼女を失った時…マスターはどうなってしまうのか。

彼女なしの世界が訪れたら──…マスターはそれこそ気が狂ってしまうかもしれない。



(カノン、もしあいつを幸せにしたとして…目的を遂げたお前はどうなってしまうんだ?)
(あいつを失った時、お前はどうなるんだ?)
マスターは馬鹿な考えのガキじゃない。アークのその考えだって、危惧していることだってきっと自覚しているはずだ。
それでもマスターがその生き方を貫こうとしているのは、それ以外の生き方を知らないからだろうか。


『俺はいつでも、カノンの味方でいるからな。』
「……ありがとう。」
俺の言葉が、少しでもマスターの苦しみを和らげられたら。
そう思ってアークはいつもカノンと話をする。


(俺の心が、ちょっとでもカノンの力になれたらいいのに。)
無力な自身を呪って、アークはコアの蓋を閉じた。
 


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