Disapper tear

 そして彼は仮面を被る




『坊ちゃん……大丈夫ですか…?』
不気味なほどに静まり返った街に靴音だけが響く。
腰のシャルティエが弱く光った。彼の声に答えられる余裕もなく、ただただあの男に言われた通りに屋敷への道を歩く。

「……」
飛行竜の格納庫の番をしていた兵士は、先日自分が隊長にと推薦した男だった。

剣を構えた彼を見て、引かないことは目に見えていた。だが、結末は目に見えていた。
先日自分は上官として、彼は部下として任に就いたのだ。客員剣士と隊長に昇格したての兵士…そして自分には晶術もある。

――あんたから貰ったこの場所を、譲るわけにはいかねえんだ!
彼はどこかの誰かにとてもよく似ていた。
目の前のことを放っておけないお人好しで、単純バカで。仲間のためなら命だってかけることのできる……そんな図々しくて能天気で馴れ馴れしいやつだった。

彼を隊長に推薦した時の嬉しそうな顔を思い出した。
彼のこれからを奪って、自分はここにいるのだ……。


「……っ、」
書物に出てくる“胸が詰まる”とはこのことを言うのだろう。締め付けられるように苦しかった。

「……!」
石畳を踏みしめ、屋敷の門をくぐる。
その瞬間、圧倒的な晶力を感じた。どうして今まで気付かなかったのか、それほどまでに強大なエネルギーが迸っている。
巨大な炎を連想させる、すさまじいエネルギーだ。こんな晶力の持ち主はこの屋敷の中に一人しかいない。


『坊ちゃん! これはアリアの晶力では…!』
シャルティエも持ち主である自分同様、彼女のことを感じ取っていた。
いつも穏やかな声を発する彼が、珍しくも緊迫している焦った声を出した。

「……どうなっている…!?」
弾かれたように駆け出した。先ほど通った廊下を走る。
壁には焼け焦げた跡が無数に残され、敷いてあったはずの絨毯は雑巾のようにぼろぼろになっている。無論、炎の晶術のせいだろう。

「どこだ、どこにいるんだアリア!」
アリアを呼んだその瞬間、ガス爆発と同じくらいの衝撃を感じた。静寂の中で衝撃が走り、館全体が震える。かなり大きな晶術が使われたのは明白だった。

彼女が普段使っている部屋の方向だ。
今屋敷の中で起きているのはアリアだけだろう。足が縺れないように祈りながら走った。



「アリア…?」
部屋のドアは吹っ飛んでいる。
壮絶な戦いが行われていたというのは容易に想像できた。シャルティエを抜き、警戒しながら中に入ると一人の男が立っていた。

「ヒューゴ……!」
「ご苦労だったリオン。随分と早かったな。」
「……お前、いったい何を…、っ…!」
ヒューゴを詰問するよりも先に、足元を流れる赤に気が付いてしまった。徐々に広がっているそれを視線で辿って源に行き着く。
真っ白な絨毯の中心に、真っ赤に染まった人間が倒れていた。見間違えるはずがない、先ほど別れたはずの少女だった。

「あ…、……っ、」
「お前が帰ってくる前に終わらせるつもりだったのだがな。まあいい、長くは持つまい。」
「き、さま……!」
脳がそれを彼女だと理解するのに数秒を要した。理解した瞬間、全身が粟立って冷や汗が噴き出す。
ヒューゴの声にはらわたが煮えくりかえるような怒りを覚えた。剣を持つ手に力が籠る。
今すぐに、この男の首を跳ね飛ばしてやりたかった。

「回復術をかけてやったらどうだ? 最も、いたずらに寿命を延ばすだけに過ぎないがな。」
怒りに震える自分の横を、せせら笑いながらヒューゴが通り過ぎた。

言われなくともそうするつもりだった。ヒューゴが部屋を後にしたのかどうかも確認せずに、彼女に駆け寄って抱き起こした。
彼女の意識をこちらに引っ張ってこれるように祈りながら軽く頬を叩く。ぼんやりとした視線だったが、彼女はこちらを向いた。

「――ヒール!」
これならと掌に晶力を集中して、癒しの力を彼女に向ける。しかし彼女の傷は一向に回復する気配を見せない。


「ち……しっかりしろ! アリア!!」
青白くなった彼女の頬に、透明な水が落ちていく。思わず瞠目して自分の頬を擦った。水は自分の目から出ている。
目を擦る手に、小さな手が触れた。彼女の手だ。

「……ど、たの…? どっか、いたいの…?」
ひどく悲しそうな表情を見せた。なんというお人好しなのだ。
死ぬほどの怪我をしているというのに、彼女は自分の怪我よりも目の前の男が泣いている方が悲しいらしい。


「自分の心配をしろ……!」
彼女の手はぞっとするほど冷たかった。少しでも暖めようと自身の手を重ねた。

「すまない…。」
無駄なことはわかっていた。しかしそれを認めたくなかった。矛盾した感情がないまぜになって、謝罪の言葉としてぽつりと漏れてしまう。


「…え、みり、お……?」
「……」
「そんな、わけ…ないか……あいつは今、出かけてったん…だから……」
名前を呼ばれた。しかし彼女はすぐに自嘲するように微笑んだ。目の前の男がエミリオ本人だとは気付いていないらしい。

「ね……きみ、」
「……なんだ?」
「えみりおってともだちがいるの……」
「…ああ。」
とろんとアリアの瞼が細められる、……もう限界が近いのだろう。

「つたえて…」
「…っ、わかった…。」
真っ白になった唇にまたもぞっとした。彼女は普段から血色がよくて健康的だったから、こんな血の気の失せた顔など見たことがなかったからだ。
風邪で寝込んだ時でさえ、こんなにはならなかった。


「……彼に、なんて?」
「えみりお……やくそく、まもれ…なくて、ごめん、ね……」
掠れた声で懸命に言葉を紡ぐアリアは、ひどく儚い。約束という言葉に彼女は自分の頼みを果たそうとしてくれていたということを理解した。
ルビーを細めて、彼女は静かに目を閉じた。瞼の裏には、きっと彼女の求めてやまない『エミリオ・カトレット』が描かれているのだろう。


「えみりお、だいすき……だ、よ……」
「!」
彼に対して届かない声を送ったアリアの手が、支えを失って頬から落ちていく。そのまま絨毯の上に落ちた手は、動かなくなった。
安らかな表情だった。一片の後悔もないと言わんばかりに、彼女は眠るように息を引き取ったのだ。

彼女の最期の告白を聞いてしまった自分はエミリオ・カトレットだ。つまり届かないと思って彼女が送った言葉はしっかり本人に届いてしまっていたのだ。



「アリア、君も同じことを思っていたのか…?」
これは罰だろう。
彼女にマリアンを頼む時、いっそこのまま彼女に想いを伝えてしまおうかと、彼女を縛り付けてしまおうかなどと考えた自分に対しての天罰。
まさか考えていたことを彼女にやられてしまうなんて思いもしなかった。
きっと彼女は自分のように、どす黒い嫉妬故にああ言ったわけではないだろうが。しかも目の前にいる男が自分だと思ってなかったんだから言い逃げるつもりはなかったんだろう。


「ずるいよアリア……、そういうことを思いつくのは僕の役目だろう…。君はそれを叱ってくれなくては…だめじゃないか…!」
先ほどから治まらない水は、どんどん増していった。溢れて伝って、白い絨毯に落ちていく。

自分の無力を痛感した。
大切な人一人護ることができなかった。絶望の中で残されていたのは、たったひとつ。


「マリ、アン……」



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