Disapper tear

 そして彼は仮面を被る





「アリア、頼みがある。」
彼女の目が暗闇の中で輝いた。それにらしくもなく冷静さを崩される。
一緒にいたい、助けてほしい…様々な思いがごちゃごちゃに混じり、言葉と共に込み上げてくる。

「へ?」
「マリアンを連れて、ここから…ダリルシェイドから離れてほしい。……できるだけ早く…!」
「え…」
彼女は驚いた様子で目を見開いた。
無理もない。こんな身勝手な頼み事、どんなお人好しでも頷かないだろう。

「…なんで?」
「…っ、理由は…言えない。」
「そっか…」
縋るような目で見てしまっただろう、困ったように視線をさ迷わせる彼女を見て後悔した。
なんてことを言ってしまったんだろう。

「いいよ。」
本当なら、このまま彼女と別れるために別れの言葉を告げるつもりだったのに。
しかし心のどこかでこうなってくれたらいいと思っている自分もいた。そしてそのままどこか遠くで幸せになってほしい。
自分はどうなってもよかった。自分の大切な彼女たちだけは、どうあっても助かってほしかった。

自分が死んだら、次は彼女が駒として使われるかもしれない。それが我慢ならなかったのも事実だ。

複雑な気持ちだった。もしあの男にこのことが見つかったら……しかしそれをかいくぐって彼女はやってくれるだろうか。

「……ありがとう。」
頷いてくれた彼女は穏やかに微笑んでいたが、ひどく悲しそうに見えた。
そんな顔をしてほしくなくて、感謝の言葉を口にした。柄にもないが悪くない。

「…へへっ…」
やっと彼女が嬉しそうに笑ってくれた。
…他者を突っぱねる自分が素直に礼を言えたのは、きっと彼女が“アリア”であるからだろう。
彼女とカノン、そしてマリアンには、自分は敵わない。
この先があったとしても、一枚上手になれる日はきっと来ないのだろう。

自分の望むものはただふたつ。
そう決めて、すべてを諦めていたのに。いつの間にか手を伸ばせば届く場所に、憧れていたすべてがあった。
だが、ただ一人を選ぶことなどできない。許されなかった。
数少ない仲間も、家族のように慕う人も、心から護りたいと思う人も。どれが一番大切にするべきなのか、まだわからない。

ただ、これだけは言える。
自分の優柔不断で一番振り回され、深く傷つけられたのは、間違いなく目の前の彼女だ。
どれだけ傷つけたかなど計り知れない。彼女の気持ちを知っているからこそ、自分ははっきりとさせるべきだったのだ。
だが、できなかった。今の優しい関係が壊れてしまうのが怖かったからだ。

「僕はもう行く。……頼む、アリア…」
「うん。わかった。気をつけてね、リオン。」
後悔しても遅い。悲しいが、今は自分にできることをやるべきだろう。

「……」
「? どしたの?」
周囲の気配を窺ってから彼女から離れる。
きょとりと目を瞬かせている彼女は、そのままこちらを見た。その双眸の光は陽光のようだ。
彼女に称号を与えた七将軍たちも、同じようなことを言っていたのを思い出した。



「……名前を、呼んでくれないか。」
ずっと前に教えた自身の本名。
あの頃、急に屋敷に住むことになり、急に客員剣士としての地位を与えられた彼女を毛嫌いしていたのは今でも覚えている。その頃は彼女に辛辣な言葉を浴びせたことも、醜い皮肉をぶつけていたこともあった。

今思えば、相当ひどいことを言っていた気がする。
それでも彼女はすぐに屋敷のメイドたちと打ち解け、マリアンと親しくなった。
マリアンづてに彼女の話を聞くことも多かった。活躍の多い彼女を妬んでいたのかもしれない。
呑気に笑って、素振りのように剣を振っているだけの軟弱な女だと思っていた。

――リオンってさ、ヒューゴさんと親子なんだよね。一緒に食事したりとかしないの?
彼女からの的確な指摘(冷静になって考えれば彼女は相当な観察眼を持っていることがわかる。きっとこの質問も文面通りの意味ではなく、親子関係がよくないことについて聞きたかったんだろう。彼女は心配性でもある)に激昂したことだけははっきり覚えている。

――親子という関係が皆、お前のところと同じだと思うな。
確か、こう言ったはずだった。我ながら辛辣かつ剣山のような物言いだと思う。実は自分は皮肉の天才なのではないかと今頃気付いた。


――ごめんな。自分のところがわかんなくってさ。だから他のところはどうなのかなーって思っただけなんだ。
しかし彼女は朗らかに笑ったのだ。どこか中身のない、悲しそうな笑顔だった。
呟くように零れた言葉を聞き逃せるわけがなかった。まさか彼女が記憶喪失だとは思いもしなかったからだ。

――記憶喪失、なのか…?
そして自分が恥ずかしくなった。
出会いの時、彼女は兵士たちに暴行を受けていた。それ以前の彼女の情報は全くといっていいほどなかったのだ。
それを気にもしていなかった。


――うん。わざわざ言うこともないって思って…黙ってたんだけどね。
だって不幸自慢みたいじゃない?
そう続けて明るく笑った彼女は、ひどく儚く見えた。

不安でないわけがない。
過去の記憶がないということは自分が何者なのかも、親の顔も、親しかった友人のこともすべてを忘却してしまっているということだ。


決して同情したわけではない。
しかし今までの行動や、彼女に対しての皮肉を反省して自分なりに普通に接するよう努力した。彼女の態度は終始一貫して、自分に対してどう贔屓目に見ても友好的だった。
おそらく年の近い自分に親近感を覚えてくれていたのだろう、親しい友人も作れなかった環境は両者共通していた。

いつしか彼女はかけがえのない友人になり、そして同じ志を持つ仲間となり――そして、護りたい人になった。



「…エミリオ、気をつけてな。」
彼女はしばしの逡巡の後、緊張した面持ちで僕の名を呼んで照れくさそうに笑った。
本当の名前で呼んでもらえたのは久しぶりだった。思わず体が反応してしまう。嬉しさでいっぱいだった。

無言を貫いたまま、彼女の細い体を抱きしめた。もう、こうすることはできないのだろう。
硬直する彼女が彼女らしくなくて、また笑ってしまった。精一杯の感謝の気持ちを込めて、彼女の耳元に唇を寄せる。
「ありがとう……」



「行ってらっしゃい。」
「行ってきます。」
帰ってくること前提の、言葉がかけられた。
ただそれだけのことなのに胸が暖かくなる。絶対に『ただいま』を言えないことも忘れて、自分も帰ってくること前提の言葉を返した。




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