Disapper tear

 記憶と責任の反比例





「……あ…これ……」
マリーの家に入ると、一つの鉢植えが目についた。
アリアはそれに近付く。マリーもそれに気付いたらしく、アリアの後ろに歩いてきた。

「大切な思い出……」
小さく呟かれた声。
その声の主――マリーを見ればぼんやりと鉢植えを見つめている。
それにどうするべきなのか困惑したアリアはリオンを振り返った。



「あの人と二人、この家を花で埋め尽くそうと笑って話した…」
「あの人……?」

ルーティが呟くも、マリーの目はどこか遠くを見ている。
振り返った先にいたリオンも事を静観していた。紫水晶がマリーを追ってきらりと動く。



「このキッチン……」
またマリーは一人呟いた。
すぐに動き、マリーはキッチンに向かう。そっとシンクの銀色を撫でた。



「わたしが料理していると、あの人が来て…優しい言葉を囁いてくれた……」

間違いない。
マリーの記憶が戻りつつあるのだ。

カノンをうかがうと、彼もそれに気が付いているらしい。穏やかな笑みを湛えたまま、静かにマリーを見守っている。
アリアもそれに倣うことにした。


「わたしの作ったポワレをあの人は美味しそうに食べてくれて……」
「マリーさん……」
マリーの声は震えている。
分離していた心と記憶が、今ようやく同調しようとしているのだろう。

スタンの驚愕に震えた声が、彼女の名前を呼んだ。
まさか、と呟かれたスタンの予想はこの場のほとんどが考えていることと同じだろう。




「寒さの厳しい夜は暖炉の前であの人と身を寄せ合って過ごした。幸せそうに眠るあの人の寝顔を…一晩中見ていたこともあった……」

ルーティも心配そうにマリーを見つめていた。
いや、ルーティだけではない。
この場にいる者全員が固唾を飲んで彼女を見守っている。



「この家には、あの人と過ごした日々が宝物のように詰まっている……!」
「マリー!?」

「苦しい……! 次から次へと思いが溢れだして…とめどなく湧きあがってくる……! 胸が、張り裂けそうだ…!!」

ぐらりとふらついたマリーを、ルーティが支えた。目を固く瞑って頭を抱えるマリーは悲痛な声を上げる。



「わたしは……!」
「マリー……?」

ルーティの声が不安の色を帯びている。
マリーはしばらくじっとしていたがやがて顔を上げた。
そしてふらりと立ち上がる。




「すまない、みんな。取り乱してしまったな……」
「マリーさん、記憶を……?」
「ああ、全て思い出した。」
遠慮がちに聞いたスタン。
それに静かに頷いたマリーはみんなに笑顔を返した。




「聞いてもいい?」
しかし笑顔を見せたといってもまだ少し顔色の悪いマリーに、ルーティは控えめに声をかけた。それに反応したマリーはすぐにルーティを見る。


「あの人って…?」
それを聞いたマリーは短剣を抜いた。それが全員に見えるよう、右手で持つ。

その短剣は、いつもマリーが大切そうに手入れをしていたものだった。
謎のイニシャルが刻まれていることにアリアが気付いたのは、シデンの宿屋で彼女が手入れをしていた時だ。



「この短剣の持ち主だ。名は……ダリス・ヴィンセント。」
「確か、さっき会った人もダリス隊長って呼ばれていたような……」
スタンが呟く。
そう、先程遭遇した茶髪の男。彼の名前もダリスだった。


「あれはわたしの夫だ。」
彼がマリーを見て驚いたような表情をしたのが見え、何かしらの関係があるのだろうと想像していたが……まさか夫婦であったとは。

「夫ぉ!?」
アリアの心中を代弁するかのように、それぞれが驚愕の声を上げた。一番良く聞こえたのはスタンだったが。
……田舎者は声が大きいらしい。

そう結論付けて、アリアはマリーの話に集中した。



「彼はこの国を変えようとする、理想に燃えた男だった。彼の語るこの国の未来の姿に、多くの人間が夢を膨らませた。」
思い返しているのだろう。
マリーはなんともいえない表情をしていて、ぽつぽつと語り始めた。


「彼のもとには大勢の人間が集まり、いつしか“サイリル義勇軍”となった。わたしはそんな彼のそばで、彼を支えるのが生きがいだった。」
「それで……?」

苦く笑ったマリーに、スタンが先を促す。
一度言葉を切ったマリーは俯き、そして顔を上げると頷いて話を再会した。



「どれくらい前なのだろう。……街が突然、王家の軍に包囲された。」
「王家の軍ですって……?」

ルーティだけでなく、この家の中にいるほとんどの者が目を見開いた。
唯一人、ウッドロウだけは酷く冷静に、言葉を発する。
「…二年前の動乱のことか。」


「ダリスは義勇軍のリーダーとして皆を率い、勇敢に戦った。わたしも彼の隣に立ち、彼と共に武器を振るった。」
ウッドロウには答えずに、マリーは話を続ける。


「だが結局は多勢に無勢……義勇軍は敗れ、同志は散り散りに…」
「どうしてそんなことに…」
「詳しい理由はわからない…唯一明らかに言えることは……軍を派遣したのは国王イザーク。ウッドロウの、父親だったということだ。」
「そんな…!」
眉を顰めて尋ねたスタンはマリーから返ってきた答えに目を見開いた。しかしそんなスタンとは裏腹にマリーの目は冷静であった。
だが冷静さの奥に、複雑な思いがあることはわかる。

当時のマリーにとっての敵であった王族の人間が目の前にいるのだ、無理もないだろう。
それをマリーは必死に押さえている。

それは彼を仲間として扱って来たからだろう。



「……先に話を聞かせて。」
ルーティの一声でその場の居心地の悪さは多少改善された。
アリアはカノンを見る。彼にしては珍しく、何やら神妙な顔で考え込んでいるようだ。
いつも笑顔を浮かべている彼がそんな顔をしているのはなんだか不思議だった。



「それから…どうなったの?」
「わたしはダリスと北の大河まで逃げたが、王家の軍に追い詰められてしまった。絶体絶命の窮地に、ダリスは……わたしだけを助けようとしたのだ。」

そこで一旦言葉を切ったマリーは苦しそうに眉を顰め、強く唇を噛み締める。両手を握って静かに口を開いた。


「わたしを崖から突き落とすことで……!」
「な……!」
自然と漏れた声は続かなかった。アリアの思考回路が瞬時に回る。

ではその後ダリスはどうなったのだろうか。
大切な人を逃がすために身を犠牲にしたまではいい、犠牲にしたはずの身が何故無事でこの地にいたのか。


「その時のショックで記憶を失ったってこと?」
「そうだろうな……」
「ダリスさんは…マリーさんに気付かなかったのか?」
「そうは思わないわ。あれはきっと、知ってて知らないふりをしたのよ。」
「なんでそんなことを…?」

会話が進んでいく中で、アリアは考えていた。
軍が出てくるほどの大惨事で、リーダーであるダリスはマリーを庇ったあと……おそらく捕まっただろう。

そんなダリスが、何故無事に…しかも国家に対して反抗的なこの街にいることが出来るのだ?


…それが示す答えは一つだ。




prev / next

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -