アウグストの十字架

 11.五十二日目の悪巧み





優菜が転校してきてから一カ月と三週間が経った。
女子生徒たちに呼び出されて以降、優菜は陰湿ないじめを受けていた。昭和のヤンキー並の思考に、最早優菜は乾いた笑いしか出て来ない。

お金持ち学校の割には庶民のようないじめの仕方で、下駄箱にゴミを入れたり、動物の死骸を入れる。鼠の死骸を見つけてしまった時に優菜は怯えてへたり込み、テニス部の面々に心配されるという演技を見せつけてやった。そのためなのかいじめは過熱している。
机も落書きや中にゴミを入れるのは当たり前、教科書も破かれるし、体操服もどこかに行ってしまった。
上履きも焼却炉に放り込まれてしまったので、それ以降はずっと持ち帰っている。

それでもテニス部員には訴えることをせずに、優菜は耐えている。警戒して優菜を観察していたらしい跡部景吾には見つかってしまったが、彼にも誰にも言わないようにと頼んであった。

呼び出しも数回受けているし、その度に優菜の手足には痣がついてしまう。しかし呼び出した少女たちに優菜は『どんなことをされても部活をやめない』とずっと言い続けていた。



「優菜ちゃん、」
思考に耽っていた優菜は、呼ばれた名前にデジャヴを感じつつ振り返った。やはり前回と同様、場所は部室で後ろには松野愛里が立っている。時間は部活動の真っ最中だ。

いじめのこともなんだか日常の一部になって来てしまい、そろそろ何か別の策を仕掛けてきそうだと考えていた頃だ。
祐娜は十中八九彼女が黒幕だろうと予想している。しかし彼女自身はまったく何も仕掛けて来なかった。
呼び出し担当の女子生徒たちも口を滑らせない精鋭部隊であったから、尻尾を掴めずに動けずにいたというのが正しいだろうか。


「松野さん、どうかしたの?」
「う、うん…。優菜ちゃんに話があって……」
「私に? どうかしたの…?」
とにかく黒幕の少女は、振り返った優菜に愛想笑いをすると入ってきたドアを閉めた。
後ろ手に何を隠しているのか、内股で入ってくる彼女は果たしてそれで隠しているつもりなのだろうか。
優菜には何をするつもりなのかいとも容易く予想できたのだが、ここは彼女に踊らされてやるべきだろうとそ知らぬふりで首を傾げる。
優菜の問いかけに松野愛里は俯くと、唇を噛んだ。そして顔を上げて、涙を見せると小さく震える声で言う。


「優菜ちゃん、私…景吾が好きだって言ったよね……?」
優菜は目を見開いた。そして三週間ほど前、それらしき会話をした時のことを思い出す。もちろん優菜はその雰囲気から会話の内容までをしっかりと覚えていた。
確かにそれらしき動きは見せていたが、松野愛里ははっきりと『跡部景吾のことが好きだ』と口にしていない。

「松野さんが跡部くんを…?」
優菜はきょとんと目を見開き首を傾げると悩むそぶりを見せた。優菜のその行動に、松野愛里は少々眉を寄せて唇を噛んだ。
優菜は彼女が仕掛けてくることを確信した。
部室に置いてあるトロフィーのリボンを盗み見る。頬に手を置いた優菜は、指先でピアスを撫でた。内蔵されている通信機が起動する。通信機からごく微小のノイズが入り込んだ。


『好きなように動いて構わないよ? 証拠なんていくらでもでっち上げられるんだからね。』
愉悦または満悦といった色を含んだ小さな声だった。一緒に食事に行った友人に自分は日替わりランチにすると言うかのような気軽さで紡がれる。
モニターの向こうにいるはずの彼女がこの喜劇を鑑賞しながら、優雅にティーカップを傾けているのが容易に想像できた。今日の茶葉はニルギリだったから、彼女は喜んでミルクティーを楽しんでいることだろう。

「…ああ!」
彼女の声を確認した優菜は、考え込む動作をやめて両手を合わせた。合点が行った、ということを見せつけるためだ。
わざとらしい優菜の行動に、通信機の向こうで数人が笑いを漏らしたのが分かった。

「あの時ですわね。確かにそういった話をしましたわ。」
怪訝な顔をしたままの松野愛里には構うことなく、優菜はそのまま捲し立てた。
三週間前のことを思い出しているのが相手にわかるように注意しながら、優菜は顎に手を添えて虚空に視線を泳がせる。

「優菜ちゃん言ったよね…景吾のこと好きじゃないって……。なのに、なんで景吾は優菜ちゃんばっかり…」
「ええと……それは、私もわかりませんわ…」
「優菜ちゃん、本当は景吾のこと好きなんだよね……だから、景吾に付きまとってるんでしょ?」
呑気な態度の優菜とは裏腹に、松野愛里は今にも泣きだしそうな表情だった。
しかし泣きだしそうな表情にはいつの間にか暗い影が落ち、声には敵意が込められている。そんな彼女の豹変に優菜は呑気な態度をやめて、目を見開いて松野愛里を見つめた。


「え…! ちょっと待って、私は…」
「私が必死に景吾にアピールしても、景吾はいっつも優菜ちゃんばっかりに……」
「松野さん、聞いて…! 前にも言ったけれど、跡部くんのことは仲間として信頼しています。でも、」
弁明するべく優菜が松野愛里の肩に手を置くと、その手は振り払われてしまう。払われた手を切なげに見つめた優菜は、それでも彼女へと言葉をかけようとこちらを睨みつける双眸を見つめた。
付け睫毛に縁取られた大きな瞳は零れ落ちそうなほど大きく、またもや以前見た時とは色が違った。一体彼女は何色の瞳を持っているのだろうか。



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