アウグストの十字架

 8.三十一日目の呆れ顔




玲緒はモニターに映る鈴村優菜を見上げて、そして彼女へ向けられる嫉妬の視線に人知れず眉を寄せた。
彼女の向かいに座す沙羅は、相変わらずお茶菓子に手をつけレモンを浮かべたダージリンを飲み干す。彼女は年中暇だから、大広間にいない時の方が珍しい。
この時も例に漏れず、沙羅はモニター越しに氷帝学園テニス部をじっと観察していた。もちろん口を動かすことも忘れていなかったが。


鈴村優菜がテニス部のマネージャーとなって一週間が経過した。彼女が氷帝学園に転校してからは一ヶ月が経とうとしている。
彼女はマネージャーとして活動を始めると次々に仕事を覚えた。
彼女なしにはテニス部は成立しない、と言われるまでに彼女はテニス部にとって有益な存在になっている。
今では松野愛里よりも仕事をこなし、選手たちの相談も引き受けるなど、部員からの信頼も大きい。

『鈴村先輩!』
『鳳くん…?』
『あの、今大丈夫ですか?』
『ええ、もちろん。何かあったのかしら?』
画面の中の鈴村優菜は、鳳長太郎に声をかけられた。
彼女が振り返ると、まとめ上げられた美しい黒髪がふわりと揺れる。
鳳は彼女が快く返事をしてくれたことに安心してか、ほっと息をつく。そして真剣な表情で彼女を見た。

「B級恋愛映画でも見てるの、玲緒。」
「……シンク…、本当に君は容赦ないね。」
入室してきたシンクが仮面を外す。着席したシンクはアッシュが淹れて行った紅茶をカップに注ぐと、長い脚を組んで椅子に凭れた。
身も蓋もない物言いに玲緒の柳眉が寄る。しかしそれは怒りというよりは呆れに近いものがあり、シンクの辛辣な発言が日常的なものだということが窺えた。

「容赦したところで、何か良いことがある?」
理屈っぽい返しに玲緒は返答することを放棄して、彼の言う恋愛映画に視線を戻す。
画面の中の鳳長太郎は、本当に鈴村優菜のことを信頼しきった顔をしているように見えた。

『あの、俺最近サーブの調子が悪くて……。先輩が俺のサーブ見てて、もし何か気付いたこととかあったら教えてほしくて…』
『そうね……』
頬を染める彼は、自分で悩んでも問題が解決しなかったのが恥ずかしいのだろう。反応を窺っているかのように、上目遣いに彼女を見ているのが何よりの証拠である。

『鳳くん、最近手首をこう……なんて言うのかしら…変に曲げちゃってサーブを打っている気がするわ。』
一度言葉を切って悩んだ優菜は持っていたボール用の籠を置くと、ラケットごと彼の手を包み込む。
ぎょっと目を見開く鳳は肩をびくつかせて茹でダコのように真っ赤になった。そんな彼の様子に気付いていない様子の優菜は、鳳の手首をぐにぐにと動かしている。

『あっ……そうか…また癖が出てきちゃってるんだ…』
『癖?』
涼やかな音で発された言葉を聞いた鳳は、目を見開いて顎に手を添えた。
優菜は鸚鵡返しに尋ね、首を傾げる。それに頷いた鳳は苦く笑うと人差し指で頬を掻いた。

『はい。俺、中学の時から手首を捏ねてサーブを打ってしまう癖があって…直ってきたと思ってたんですけど、最近油断してたのかも…。』
『そう……じゃあそれに気をつけて打ってみたら上手く打てるかもしれない。私が見てて感じたのはそれくらいで、他に違和感はなかったように思うわ。』
『ありがとうございます! もう一度気をつけてやってみます!』
一連の会話が終わると、鳳は深く頭を下げて去っていく。
そんな彼に頑張って、と声をかけて鈴村優菜は手を振った。


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