アウグストの十字架

 4.上映予定は未定




小さな足音が鳴り響く。その音の持ち主はまだあどけなさを残した少女。
真っ暗な城の中にその少女の足音だけが鳴り響き、住人たちはそっと少女──柳川綾を見下ろす。


「…あれ……?」
綾が声を発した。周囲をきょろきょろと見回して、綾は不安そうに眉を寄せ胸の前で手を組む。
それはまるで神への祈りのように神聖なものだった。

「こ、こんにちはー…」
綾の声に答えが返されることはない。
住人たちは不気味なほどひっそりと佇み、綾を観察するばかりだった。

「どうしよ…」
綾が背後を振り返る。そこには誰もいないことに気付いてか、綾は目を見開いた。
そして盛大にため息をつくと、その場に座り込んでしまう。大きな瞳は潤み、不安なのが窺えた。
見兼ねた一人が足音を鳴らして綾の前へ姿を現す。いきなり現れた姿と足音に綾は細い肩を震わせた。


「そんな怖がらないでください。なんにもしませんから。」
終始怯える様子を見せる綾に苦く笑って、姿を見せた住人──アッシュは綾に手を差し伸べる。
その大きな手と彼の顔を交互に見比べた綾はやがて恐る恐るアッシュの手を取り立ち上がった。周囲を見回す綾は小さな音にさえびくりと肩を揺らしてアッシュを窺い見る。
その様子にため息をついたアッシュは、綾に微笑みかけた。


「大丈夫ですよ、警戒心は強いけど飛びかかってくるような人たちじゃないですから。」
「は、はい。……っ!?」
戸惑いながらも素直に綾が頷く。そして真っ暗な城内を見上げると、アッシュの手をぎゅっと握りしめた。
前を歩く彼を見上げた綾の視線が顔の横で止まると、か細い、声にならない悲鳴が上がる。驚愕の視線を向ける綾にアッシュは長い前髪の下で悲しそうに微笑んだ。
そんな彼らの前にひとりの少女が姿を現す。


「こんにちは、」
「あ、こ、こんにちは…」
「君が柳川綾さん?」
「は、はい…」
「ついてきて。」
淡々と言葉を紡ぐ彼女はくるりと背中を向けた。そして降りてきた階段を上るとある一室の扉の前で彼女は止まる。
決して豪勢ではなく、しかし質素なわけでもない、不思議と品の良さを感じる扉が翡翠の少女──玲緒によって開かれた。中に入るように促され、綾はおずおずと部屋の中へ足を踏み入れる。

「いらっしゃいませ、依頼主さん。」
甘く優しい旋律のような音が、静かに紡がれた。綾は顔を上げる。
彼女の視線の先には赤い衣装に身を包んだ女性が一人、品のいい椅子に腰掛けていた。そんな女性は優雅にティーカップを傾け、綾へ慈愛に満ちた視線を向ける。

「あなたは…?」
「はじめまして、私は祐娜。」
綾の不安はまだ消えず、警戒したような様子で女性に問いかけた。
そんな綾の態度を気にした様子もなく女性はティーカップを置き、綾に一礼する。
戸惑う様子を見せる綾に、女性──祐娜は上品な笑顔を浮かべたまま続けた。


「あなたの依頼を見て、そして依頼を受けることを決定した責任者ですわ。」
「責任者……?」
「君の依頼は僕たちに届き、そして祐娜の目に止まったんだ。」
祐娜の言葉に綾──綾は弾かれたように顔を上げる。そんな綾に玲緒は冷静な態度を崩すことなく、決して多いとはいえないが言葉を述べた。
その玲緒の言葉を聞いて、綾は瞳を輝かせる。嬉しそうに頬を染めると、大きな双眸を潤ませて祐娜を見た。


「依頼…じゃああなたたちはやっぱり……!」
「そうよ。私たちはあなたが依頼を出した白……そして、あなたの願いを叶える黒。」
「モノクロクロス…! 助けて…くれるんですか……!?」
ティーカップを傾けている祐娜は綾の声を聞いているのかいないのか、相変らず笑みを浮かべたまま。
そんな祐娜に違和感を感じたのか、綾は首を傾げて祐娜を見つめた。その視線には構わずに祐娜は優雅な所作で椅子から立ち上がる。
アッシュと玲緒の視線も祐娜に合わせて動いた。


「……それは、あなた次第になるわ。」
「私?」
「ええ、私はあなたにこれからどうして欲しいか質問するわ。あなたにはそれに素直に答えてほしいの。」
「は、はぁ……」
祐娜の声に綾はゆっくりと頷く。アッシュが祐娜の向かいにある椅子を引き、立ったままの綾を手招きした。
頬を染めてそれに応じた綾はおずおずとその椅子に腰かける。彼女が椅子に座った瞬間、玲緒の翡翠がすうっと細められた。長い睫毛に縁取られた目が鋭く光り、細く真っ白な指がゆっくりと綾に向けられる。

「う……!」
「玲緒さん、これって…?」
「危害を加えようってわけじゃないよ、大丈夫。」
同時に綾の瞳から光が消え、かくりと首から力が抜けた。そんな彼女をアッシュが支え、そして長い前髪に隠された紅玉を困惑の色に染めて玲緒に視線を向ける。
しかし玲緒はその冷静な表情を崩すことなく、綾を見据えたまま唇を開いた。


「『顕露』」
おそらく普通に生活しているとなかなか聞く機会はないだろう。この言葉は玲緒が能力を発動した証とも言えるものだ。
魔女が唱える呪文のように禍々しい響きを孕んだそれは、玲緒によってこの世に産み落とされた。呪文を唱えた玲緒は、刹那祐娜へちらりと目で合図を送る。

「では、お聞きしますわ。『あなたが本当に望んでいることは何かしら?』」
玲緒の合図に微笑んで頷いた祐娜が綾に尋ねたのは、彼女が心から望んでいることだった。
これによってこの城の住人たちは彼女の依頼を受けるか受けないかを決める。言わばこの城の住人たちからの『審査』とも言える質問であった。

「『私は』……」
祐娜の質問に、綾は熱に浮かされたように呟いた。
そのまま虚ろな瞳は祐娜を見る。その瞳に映る空虚に、祐娜は静かに目を細めて彼女の闇を傍観していた。

「『助けてほしい』…」
「『それはどうして?』教えて頂けないかしら。」
「…『私はまたみんなと一緒に全国を目指したい…でもみんなは私のことを嫌っている』……『だから前みたいに…一緒に笑えるように、助けてほしい』…」
「そう……では最後の質問よ。」
そして綾が言葉を続けようと小さく口を開き、そしてすぐに閉ざしてしまったのを祐娜は見逃さなかった。彼女が微笑んで言葉を紡ぐ。
祐娜が何を聞きたいのかはアッシュも玲緒も、そしてこの様子を城のどこからか見物している住人たちも理解していた。


「あなたが怯えているものはなに? …『何』から『助けてほしい』のかしら?」
祐娜の漆黒の双眸はすうっと細められていく。
この城全体が静寂に包まれ、住人たちは綾の荒れた唇から言葉が紡がれるのをじっと待った。



「……『あの子』から『助けてください』…」



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